第4話 43歳*1
『彼女』は突然やってきた。
「いらっしゃい」
私は笑って出迎える。
「どうも……。気付いたらここに……」
彼女は、自分でも何故此処にいるのか分かっていないのだろう、辺りをきょろきょろと見渡している。
「大丈夫ですよ。怪我をしていますね、こちらにどうぞ」
私は促す。
「あぁ、すみません……ありがとうございます」
申し訳なさそうに、しかしやっと休めるという安堵も混じった声だった。
「さあ、怪我を見せて。手当をしましょう」
私は座って手当をする。
「ありがとうございます。ここは暖かいですね……」
外は寒い。彼女はすっかり凍えてしまっているようだ。
「はい、どうぞ。飲み終わる頃には、お風呂が湧くと思います」
「ありがとうございます」
彼女にもホットミルクを渡した。
「――おいしい」
「あら、ありがとう! 少しだけ蜂蜜を入れているのだけれど、私もとってもお気に入りなの」
「安心できる味ですね」
彼女はそのまま飲み進め、あっという間に飲み干してしまった。
「ありがとうございます。落ち着けました」
「じゃあ、お風呂、入りましょうか」
「――お風呂、ですか」
私がそう言うと、彼女は暗い顔をして、俯いてしまった。
一応、ホットミルクを渡す時に予告したのだけれど。先程まで美味しいと微笑んでいたのに、凄い変わりようね。
「水が少し怖くて……」
「大丈夫。ゆっくりでいいので、入りましょう」
私は、彼女をお風呂場に案内し、恐る恐る入っていく彼女を確認した。
大丈夫そうね。
――それにしても、彼女は何故まだ水が怖いのだろう?
彼女が水に苦手意識があるのは、七歳の時、お風呂場で足を滑らせて溺れ、気を失ったことが原因だったはず。意識を失う前に助けを求めて叫んだので大事にはならなかったけれど。目が覚めて、両親に心配されるのではなく、一番に不注意を叱責されたことで心に傷を負ったのだ。
しかし、彼女にはその事件が起こった七歳の時も、その後の十八歳の時も、二十八歳の時も会っている。一緒に過ごすうちにお風呂のトラウマは癒えたはず。
――今回だけではない。毎回帰る時には彼女は水への苦手意識を克服したはずだけれど、次の時には彼女は同じように怯えていた。
そういえば、彼女は私に対していつも初対面の反応をしていた。対して、私は妙に彼女のことを分かっていた。
今になるまで違和感がなかった私も私だけれど……何故?
何故、何故、何故。
たくさんの疑問が頭を埋めつくし、頭が痛くなってくる。
――ああ、更に思い出した。前回、二十八歳の彼女と別れた後、私は同じように頭が痛くなり、倒れたのだ。ただ、気が付いたら私は四十五歳の彼女を出迎えていた。空白の時間は、私は何をしていたんだろうか?
分からない。本当に分からない。
余計なことを知っていて、大切なことは何も思い出せない自分に腹が立ってしょうがない。
「――あの! タオルって何処にありますか!」
彼女の声で意識が急速に引き戻される。
「ごめんなさい、今行くわ」
急いで彼女の元へ行くと、お湯に浸かって温まり直しているところだった。
「タオルは、ここの棚に入っているの。ごめんなさい、気が回らなかったわ……。お湯加減も、大丈夫だったかしら?」
「ええ、とっても気持ちが良いです」
「それはなによりだわ」
彼女に返事をしながら、私はタオルを棚から取り出す。
そして、タオルを持って手招きをした。
「さあ、お詫びに拭いてあげるわ。よく乾かさないとね」
「ええっ!」
彼女は恐る恐る近づいてきた。
「子どもじゃないので、自分で拭けますけど……!」
抵抗を試みる彼女に、私は
「いいからいいから」
と強引に拭き始める。
「なんだか恥ずかしいです」
彼女は、終始バツが悪そうにしていた。
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「さあ、召し上がれ」
お風呂からあがり、私は彼女に夕食を出す。
今日の献立は、カレーライスとサラダ。
「わあ……! 美味しそうですね。頂きます」
歓声をあげて食べ始めた彼女を見て、私も食べ始めることにした。
「カレーライスって、私大好きなんです。特に、昔は良く母が作ってくれて。カレールーを割るのを手伝ったりしてたなあ……」
「私も大好き。でも、大人になると分かるけれど、意外と手間がかかるのよね」
「わかります! 料理ってどれも意外と手がかかるものばっかりで、子どもができてからはもっと実感するようになりました」
――彼女の子どもは、今何処にいるのだろうか?
ふと浮かんだその疑問を、口に出してみようか。彼女は、どんな反応をするのだろうか。
そう考えてはみたけれど、なんだか禁忌のような気がして……。
「とってもわかるわ」
私は彼女に微笑んだ。
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