第3話 28歳

 『彼女』は突然やってきた。


「いらっしゃい」


 私は笑って出迎える。


「――ああ、こんにちは」


 俯いていた彼女は、自分が声を掛けられたことに気付いて、顔を上げた。

……顔色が悪い。


「本当ならもっと話をしてからにしたいのだけれど、とりあえず手当をしましょう……? ほら、いつまでも入口に立っていないで、お入りなさい」

「あ、はい……」


 彼女を居間の椅子に座らせると、私は手当を始めた。


「――これでよし、と」


 私が手当をしている間、彼女はぼーっと座っていた。


「飲み物、取ってくるわね」

「ありがとうございます」


――さて、彼女にもホットミルクを出そう。


「はい、どうぞ」


 私がマグカップを手渡すと、彼女はそっと受け取った。


「ありがとうございます」


 私は、彼女をお風呂に促して良いものか、少し悩む。

 でも、やっぱり身体を温めて貰いたいし……。


「お風呂、湧いてるのだけれど、入りますか」


 彼女はぴくっと身体を震わせたけれど、頷いた。


「私も一緒に入っても、良いかしら」


 彼女は煩わしそうに、もう一度頷いた。


「では、こちらにどうぞ」



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「お湯加減は、どうかしら?」

「――良いです」


 彼女は少しだけ回復したようだ。ぱしゃぱしゃと、水で遊んでいる。


「夕食を作っているのだけれど、そろそろあがって食べましょうか」


 彼女は頷いて言った。


「ありがとうございます」


 彼女のことも、タオルで拭いた。大人しく包まれている彼女に、私はなんだか母親のような気持ちになった。

 私は、あなたのことを大切に思ってるのよ。そんな気持ちが伝わればいいと思いながら、優しく彼女の髪をかした。



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「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」


 きちんと手を合わせて、彼女は夕食を食べ始めた。

 今日は、鯖の味噌煮、白米、サラダ、味噌汁。

私は――彼女も――鯖の味噌煮が大好きなのだ。


「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


 二人とも黙って食べていたのだけれど、何故だろう、全く居心地は悪くなかった。


「さて、寝ましょうか」

「はい」


 彼女は、早く寝たいようだった。


「落ち着くまで、ずっとここにいていいのよ」


 彼女はもう寝てしまっているかもしれないと思いながら、それでも声に出さずにはいられずに、私は言った。


「――そうします」


 素っ気ないけれど、彼女が私に心を開いてくれたような気がして、私は嬉しく思った。



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「きっと、あなたは私の母親ですね」


 いつものように朝食を食べている時に、彼女に言われた。


「だって、そうでないとここまで私に優しくしてくれるはずがないもの」

「――でも、あなたには母親がいるでしょう?」

「多分、あなたは私の生き別れの母親なんです。今私が家族だと思っている人達は、ただの他人です」


 彼女の話を聞いていると、本当にそうなのではないかと思えてきた。だから、ここまで共感出来ることが多いのだ。


「現実味はないけれど、夢のある考えね」

「そうでしょう?」


 彼女は笑った。



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「私、今とても辛いんです」


 彼女が言うのを聞きながら、私はこれを待っていたのではないだろうかと思う。


「私、どこにも居場所がなくて。私が今している仕事は誰にでもできることだし、友達なんていない。両親は、私からの援助を頼りにしていて、でもそれは私自身を見ているからではなくて……。収入源としか見ていないんじゃないかって思います。でも、一応両親だから、私は金銭面でだけ援助をしています。趣味もないし、興味があることも何もありません。誰も私のことを必要となんてしていなくて、時々、何故生きているんだろうって考えます」


 彼女は、真顔だったけれど、私には泣いているように思えた。


「結局の所、何故生きてるのかって言うと、『生まれたから』なんですよ。もっと言うと、死ぬ理由がないから、ですね。つまり、別に生きていたくて生きているわけではないんです」


 彼女の話を聞いていると、私もとても辛くなってきた。


「――わかるわ。とても良くわかる。私が生きる理由になってあげられたら……どんなに良いか」

「だめなんですか」


 彼女は私を真っ直ぐに見て、そう問う。


「駄目なの。私とあなたは、ずっと一緒には居られない」

「そうなんですか?」

「そうなのよ」


 どうしようもない。私には、彼女を救うことが出来ない。

 せめて、私が何者なのか、この行為の理由は何なのか、分かれば良いのに。



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「では、ありがとうございました」


 彼女が此処に来てから、何日経ったのか。最初は会話をする頻度も少なくて、お互いに義務のようなやり取りだった。暫くすると打ち解けてきて、様々なことを話すようになった。ここを出て行くつもりはない、と言っていた彼女。しかし今、彼女はドアの前に立っている。


「寂しくなるわね」

「お互いに、ですね」

「――私、助けになれたのかしら」


 独り言のように呟くと、彼女は真剣な顔をして言った。


「私は、気持ちが楽になりました。あなたもそうじゃないんですか」

「――そうね。楽になったわ。なったけれど……」


 何にもならない、と言いかけて、私は今自分が言おうとしたことの意味を考える。何にもならない? どういうことかしら。私は何故、こう思ったの?


「それで良いと思います。私は楽になった、あなたも楽になった。これだけで、此処に来た意味はありました」


違う。彼女は、何処からも『来て』いない。

――これは、何? 誰の、何の記憶?

脳が、自分のものではないみたいで怖い。――怖い!


「あの、では、そろそろ。お暇します」


 ぼーっと立っているだけの私を見て心配そうにしながらも、彼女は無慈悲に言った。


「そうね。

「はい、また」


 彼女が帰った――彼女は此処に来てはいない、では何処へ帰ったのだろうか?――後、私は頭が痛くて、そのまま倒れ込んだ。

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