第2話 18歳
『彼女』は突然やってきた。
「いらっしゃい」
私は笑って出迎える。
「こんにちは……? 私、どうしてここに?」
自分でも訳が分からないのだろう、辺りをきょろきょろと見渡している。
彼女の疑問には答えず、私は彼女を招き入れる。
「怪我をしていますね、こちらにどうぞ」
「……ありがとう、ございます」
何かに怯えているかのような、そんな態度の彼女。私は気づかれないようにため息をついた。彼女の生活環境は、よく知っている。最近彼女の身の回りに起こった事件も。
「さあ、怪我を見せて。手当するわ」
「えっと……。失礼ですが、どなたですか?」
流石に警戒心が強い。しかし、これは『あなたのことを信じたい』というメッセージでもある。
「私は……。ごめんなさいね、私自身まだ良く分かっていないの。分かっているのは、私はあなたを待っていた、ということ」
本当のことだった。彼女に問われて考えてみると、私は自分の名前すら思い出せないことに気がついたのだ。
――私は、誰?
「あの、手当、して貰えますか?」
私が黙り込んでいるのを察したのか、彼女は慌てたように言った。
「あ、そうね。ごめんなさい……」
私は座って手当をする。
「飲み物、取ってくるわね」
彼女にも、ホットミルクを用意しよう。次するべきことを考えうとすると、頭の中にすっと最適解が浮かぶ。でも、何故それが分かるのか、私には分からない。
「はい、どうぞ」
私は2つ持ってきたうちの1つを彼女に手渡す。
「ありがとうございます。――ふーっ、ふーっ」
慎重に温度を確認してから、彼女はホットミルクを飲んだ。
「だいぶ落ち着いてきたみたいね。お風呂が湧いているから、ゆっくり入りましょ」
私は、夕飯の準備を始めながら言った。
「――わかりました」
なんの戸惑いもなく、機械的に頷く彼女。私は、思わず言ってしまう。
「お風呂が苦手なのは知っているの。ここでは、苦手なことは取り繕う必要は無いわ。ただ、身体を温めた方が良いと思うから、嫌でなければ私も一緒に入ろうかと思うのだけれど……、どうかしら?」
彼女は私が何を知っているのか、疑っているような顔をしたけれど、結局私を信じることにしてくれたみたいだ。
「ありがとうございます、是非」
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「湯加減はどうかしら?」
「丁度いいです」
彼女も、だいぶリラックスしてくれたようだ。気持ち良さそうにお風呂に入っている。
「お風呂、凄く広いんですね。旅館みたい……」
彼女に言われ、私は改めてお風呂場を見回した。
確かに、旅館のお風呂と言っても遜色ない程度には広い。
「さっきも言ったように、私にもよく分からない部分があるのだけれど、お風呂は広い方が安心できて良いわよね」
何気なく言った感想に、彼女はぱっと笑顔になって言った。
「ですよね! 開放感があって良い感じです」
「――さあ、そろそろのぼせてしまうわ。あがりましょう」
用意していたバスタオルを持ち、私は手招きをした。
「えへへ」
外見と態度はとても大人びているように感じられるけれど、やっぱり心の底ではまだ子どもでいたいのだ。少し恥ずかしがりながらも、彼女は素直に身体を預けてきた。
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「さあ、めしあがれ」
二人でお風呂に入った後は、夕食の時間だ。
今回の献立は、手作りハンバーグ、キャベツのサラダ、お味噌汁、それと白米だ。
「わあ……! 私、誰かの手作りの料理を食べるのは久しぶりです」
「遠慮しないで、たくさん食べてね」
私は、そう言いながら自分もハンバーグを一口食べた。
我ながら美味しくできたのでは無いだろうか? 私は満足して一人微笑んだ。
「――。」
「! あなた……」
暫く黙って食事を続け、ふと彼女を見ると。彼女は、静かに涙を流していた。
「――えっと、誰かにこんなに尽してもらったのはいつぶりだろうと考えていたら、なんだか嬉しくて」
涙を流しながらも、彼女は私に笑いかけた。
「ありがとうございます。なんだか、救われた気持ちです」
「いいのよ。あなたはまだまだ子どもなんだから。たくさん甘えてちょうだい」
そう言いながら、私は自分の目が潤んでいることを自覚した。彼女を救うことで、私も救われている。そう直感した。
「さあ、私は寝る支度をしてくるけれど、あなたはゆっくり食べていてね」
そう言って席を立った私は、ただこの涙が彼女に気づかれないようにと、それだけを願っていた。
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「さあ。そろそろ寝ましょうか」
「はい。もう眠くなってきちゃいました」
彼女は、素直にベッドに潜り込んだ。
「――あの、私の話、少しだけ聞いてもらえますか?」
「もちろん」
「私……。今年、大学受験をしたんです。高校に入学してから、バイトもしながらだったけど頑張って勉強していて、受かることが出来たんです」
少し声を震わせながら話す彼女。
「でも、両親が、無理だって。二人は、私に就職して欲しかったみたいです。なら、早く言ってくれれば良かったのに……。なんて、親不孝者ですね、私」
「いいえ。全く」
彼女は、暫く黙っていたけれど、また話し始めた。
「やっぱり、両親は私のことを愛してなんかいないんです。高校も、行かせてもらったことには感謝しているけれど、本当はとてもプレッシャーだった。朝起きて、お弁当を作って学校に行って、帰ってきたらバイトをして、その後から勉強をして……。本当に辛かった……」
言い終わると、彼女は声を上げて泣き始めた。私は、そんな彼女をそっと抱きしめる。
そうよね。あなたはまだ幼いのに、大きすぎるものを抱えてしまった……。
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翌朝。
「あら、おはよう」
「おはようございます」
昨晩のことを引きずっているのか、彼女は少し恥ずかしそうにしている。
「話、聞いてくれてありがとうございました。本当に、お世話になりました」
「それが私の役目だもの。いいのよ」
「そろそろお暇させていただくことにしました」
昨日より明るい顔をしている彼女を見て、私は頷いた。
「わかったわ」
「――では、また」
「またね」
来た時と同じように、一人で帰っていく彼女。
出来ることなら二度と会いたくないけれど。彼女は、またここに来る。
私はそっとため息をついた。彼女が去り、心做しか広くなったリビングにいられずに、私は台所で朝食の支度をすることにした。
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