第12話 看板商品
ラウロス様が差し出してくれた手を借りて馬車から降りると、眼前にはバロラール商会が保有する広大な森が広がっていた。
「なんだか……独特な雰囲気のある森ですね」
「そう? 普通の森だけど」
ラウロス様の先導で森へと足を踏み入れると、澄み切った空気となんともいえない懐かしさのようなものを感じた。
「この森に生息しているのは、リス、ウサギ、キツネ、オオカミや……」
「リンクス、ですね」
私から見える位置で、悠然と寛いでこちらの様子を伺っている存在を見つけた。そちらを見ながら私がラウロス様の言葉を引き継ぐと、彼は苦笑しながら言った。
「うちの唯一の看板商品だ」
「さすが、美しい毛並みですね……」
リンクスは別名オオヤマネコとも呼ばれる動物で、寒冷地にも適応できる種だ。寒くなるとふさふさの毛に生え変わり、その美しさから高く取引される商品になる。
そう。彼らの毛皮を“商品”にするには
――あまり得意ではないけれど、商売に関わるなら避けては通れないわ。
このあとは
「アリーゼ、実は、毛皮の加工過程についてなんだが……」
「はい。屠殺場は近くにあるのでしょうか?」
「それなんだが……。なんて言えばいいのかな……」
ラウロス様が珍しくもごもごと言葉を詰まらせている。一体どうしたのだろうか。
私が未だに一人でもごもご言っているラウロス様を不思議な気持ちで眺めていると、ドレスの裾をツンツンと引っ張られる感覚がした。
――ん?
そちらへ視線を向けると、そこにはいつの間にかとても可愛い男の子がいて、大きな瞳で私をじっと見つめていた。
「ん!」
「ん?」
彼が「ん!」と言って私に差し出したのは、とても見事な毛並みをしたリンクスの毛皮だった。
「えっ!」
――これ、王家に献上するレベルの逸品だわ……!
目の前に掲げられた極上の逸品に私が目を輝かせていると、ラウロス様が焦ってその毛皮を押しやった。
「お前……! どうしてこれ……!」
どうやら二人は知り合いらしい。
焦るラウロス様に対し、少年はきょとんとして言った。
「だって。これと思った人にあげるものだって聞いた」
「いや、そうだけど……」
「だめなの?」
「この人はだめだ」
ラウロス様は真剣な顔で少年を
――なにこれどういう状況……?
私がオロオロしていると、みるみるうちに少年が目に涙を溜めていった。
「いつも、なんでも、だめだめだめ……。ラウロスのバカ!」
そう言って走り去って行った。
「ラウロス様……!」
早く追いかけないと、と言いかけて口をつぐんだ。
ラウロス様が、とても優しい顔で私のほうを見ていたから。
「すべて説明します。彼らが住む屋敷に向かいましょう」
◆◆◆
「獣人……、ですか?」
少年が走り去って行った先には大きな屋敷があった。私はラウロス様に連れられて、今その大きな屋敷の豪華な応接間にいる。そして、耳慣れない話を聞かされていたところだ。
「うん。リンクスの獣人。うちで販売しているリンクスの毛皮は、彼らから善意で提供されたものだ」
「ええと。獣人のみなさまにも季節ごとに毛が生え変わる時期があって、その時期にリンクスの姿から人に変わったとき、役目を終えた毛皮がつるんと完璧な状態で現れる……という認識で合ってます?」
「つるんと……うん、まあ、概ねその通りだ」
「なんてこと……!」
私は
だからバロラール商会が取り扱うリンクスの毛皮はどこよりも上質だったのだ。しかも、屠殺を必要としないなんて理想的すぎる。
とても衝撃的な事実を知らされたはずなのだけれど、私は「獣人が存在する」ことに関してはさほど驚くこともなく、なぜかすんなりと受け入れられた。それよりも、毛皮を得るために屠殺を必要としないという事実のほうが私の胸を震わせた。
「生まれて初めて獣化したあと、初めて毛が生え変わったときの毛皮は貴重で、それを将来結婚したいと思う方に渡すのがしきたり、ということですね」
「そうだ」
「あなたが私にくれようとしたものは、その貴重な毛皮だったということですね」
「……うん」
私が話しかけたのは、先ほど目に涙を溜めて走り去って行った可愛い少年。名前はシリルくんというそうだ。
「シリルくん、ごめんね。気持ちはとても嬉しいけれど……私はラウロス様の妻なの」
私がそう伝えると、シリルくんは下を向いて「わかってる」と呟いてまた走り去っていった。たくさん泣いたのか、赤くなった目元が痛々しかった。
でも、私にはこれ以上どうしようもない。一目惚れ……とはちょっと違う気がするし、彼の事情もよく知らない私が口を出す話でもないだろう。ラウロス様が穏やかな顔で「あとでフォローしておく」と言っているので、きっと大丈夫だと信じる。
――とりあえず、私は私のすべきことに尽力しなければ。
「ちょっと方向性は変わりましたが、いけると思うんです。聞いていただけますか?」
私は自信を持ってラウロス様に向き合った。
「うん。アリーゼのアイディアを聞かせて」
ラウロス様はわくわくした目で私の話を促してくれた。
「単純に言えば、バロラールで扱う毛皮が、今一番売れているデザインファーよりも付加価値が高くなればいいんです」
バロラールのファーのウリは何よりもまず“品質”だ。だって本物なのだから。その上にデザインファーに負けない付加価値を付け足せれば、必ず売れる。私はそう確信してラウロス様へと提案した。
「この案には獣人のみなさんの協力が必須になるのですが……実際に、“見せる”のです。魔法のように完璧な毛皮が現れる瞬間を」
「それは……」
「いえ、もちろん、決して彼らの存在を公にはしません。ただ、そういう“神聖な存在からとれる毛皮”であるということを人々に印象づけられればいいのです」
「ふむ。“神聖な存在”か。貴族が好みそうだな」
「ええ。貴族は“特別なもの”に価値を見出しますから。人に戻る瞬間は“企業秘密”として隠し、その場で魔法のようにつるりと現れた毛皮を披露するのです」
「それで“神聖さ”が際立つわけだな」
ラウロス様は「うーん」と唸りながら続けた。
「私たちは、彼らの存在をなんとか“隠さなければ”と思ってきたから……その発想は思いつかなかった」
「ええ。確かに何もしないよりは、危険が伴いますが……」
私がそう告げると、先ほど出て行ったはずのシリルくんの声が後ろから聞こえた。
「僕、それやりたい」
声がしたほうを振り向くと、少しだけ開けた扉の隙間から、シリルくんがこちらを覗いていた。
◆◆◆
そうして、シリルくんが広告塔となって売り出した“奇跡のリンクス”の毛皮は、大ヒットした。
元々質がいいのに、付加価値もついた上に値段もデザインファーと変わらないので、貴族たちがこぞって手に入れたがり、すぐにデザインファーに取って代わることとなったのだ。
私が解雇されたあと、ハドソン商会のデザインファー事業はガタガタになってしまったようで、そのことも“奇跡のリンクス”がヒットする大きな要因となったようだった。
その後、「アリーゼをひどい目に遭わせたやつが許せない」という理由で、ラウロス様がハドソン商会に制裁を与えたことが追いうちとなり、ハドソン商会は衰退の一途を辿って行った。
結果的に風前の
バロラール商会は今や押しも押されぬ国一番の大商会。私は貧乏男爵令嬢から侯爵夫人となったわけだけれど。未だにお金にときめく変な癖は変わらないまま。
最近では社交界に顔を出してほしいと……ラウロス様ではなく、執事のウォルターさんにせっつかれている。
――だって、“契約妻”が堂々と社交するのはよくないわ。
そう思っていたのだけれど。
大好きなお金を餌にされ、私がウォルターさんにまんまと釣られてしまうのは……、そう遠くない話だ。
ーーーーーーーー
とりあえずFin.です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m
嵌められた勤労令嬢が拾われた先は超優良貴族家でした。雇用先が過保護で困ってます⁉︎ 葵 遥菜 @HAROI
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