第10話 新婚旅行のお仕事

「アリーゼ! 新婚旅行に行こう!」

「はいっ⁉︎」


 心臓を止めにかかってきたラウロス様の突然の宣言を受け、今、ゴトゴトとあまり舗装されていない道を走る馬車の中に私はいる。

 隣には機嫌良さそうにニコニコ笑顔で殺人級の美貌の持ち主が座っている。この顔の良い雇い主は実際に私の心臓を握っているも同然なので、“殺人級”とは自分で言っておいてなんだが言い得て妙である。


――はぁ。心臓持たない。男性に免疫ない私には手にあまる上司だわ……。


 ラウロス様によって“新婚旅行”と周囲に言いふらされて出かけることになったが、これは新婚旅行と称した“視察”である。

 私が考えるバロラール毛皮事業立て直し策が実行可能かどうか自分の目で見て確かめたいと私が駄々をこねたので、ラウロス様は“新婚旅行”の名目で私を連れ出してくれたのだ。

 ラウロス様は私を驚かせるのが好きな困ったところがある人だが、その一方で私のやりたがることはすべて全力で叶えようとしてくれる、懐の深い理想の上司だ。


――私もその信頼に、応えたい……!


 その一心で、私は狭い馬車の中で煩悩を追い出そうと努力している。道が悪いせいで馬車が激しく揺れるので、隣に座った理想の上司が心配して私の肩をホールドしてくれたのだ。「揺れてどこかに頭をぶつけると危ないから」と殺人スマイル付きで。


――あなたの笑顔のほうが危ないわっ!


 なんて失礼なこと、考えるだけでもおこがましい程なのだけれど。

 

 とりあえず、こういうときは難しいことでも考えて無心になるに限るのである。


 

 ラウロス様が率いるバロラール商会も、一番大きな取引先を失ったものの、自分たちで作っていた毛皮だけは守り続けていた。しかし、それはそれこそ王族レベルでないと買えない、かなりの高級ラインだった。なので、ハドソン商会がヒットさせたデザインファー流行の波に飲まれ、毛皮事業は急速に業績が悪化することとなった。その結果、在庫過多で健全な経営ができなくなっていたのだ。

 そのことを帳簿を見せてもらって確認したのはラウロス様に雇われてすぐのことだった。

 

――私がハドソンに雇われるきっかけとなったあのアイディア。実は、バロラール商会の毛皮の質があまり良くなくて、品質では勝負できないから取り込めていない女性客をターゲットにするほうが効率的じゃないですか? っていう提案だったのに……それが逆にバロラール商会の事業を圧迫してしまうなんて……。


 アリーゼはバロラール商会の毛皮がいかに高品質かを実際に見て知っていた。だから、ハドソンでは勝負にならない、別の方法を考えたほうが身のためだと思っただけだったのだ。まさか自分の考えが、思わぬところにまで影響を及ぼすなど想像もしていなかったのだ。


――でも、仕方なかったよね……。


 ラウロス様のもとで働いてみたからこそ、なおさらわかる。私にとって、ハドソンの職場環境は最悪だった。その状況を知っていながらも、虐げられる私を助けてくれる人はいなかったし、商会長にそれとなく伝えても変わらなかった。

 “私は使い捨てのコマに過ぎない”――。そうわかっていながらも、私は自分の生活を守るために見て見ぬふりをしていたのだ。


 ハドソンの過酷な環境に比べ、バロラールは天国すぎる。それはもちろん、偽の立場ではあるが“侯爵夫人”という身分が最強ゆえの結果だとはわかっているけれど。


 具体的に何が最高かって、まず私のために完璧に整えられた環境で、やるべきことがはっきりしていることが一つ。それから、労働時間もきっちり決められていて、三食すべて私のために調理されたものが、専属メイドによって部屋まで運ばれてくるのが一つ。さらに食事はすべて完璧においしい上におやつ付き。もうこの時点で私は叫び出したいほどに歓喜しているのに、私の時間を管理してくれる侍女という名の秘書もつけられている。彼女の存在のおかげで、私は以前のように食事を抜いたり、オーバーワークをして睡眠時間を削ることはなくなった。

 結果、この一カ月でこれまで不摂生してきた分を優に取り戻してしまったらしく、今の私は肌ツヤ髪質が過去最高レベルに仕上がっている。

 

――権力最高。この職場最高……! 一生手放したくないわ。


 私はおそらく、バロラールから、そしてラウロス様の妻の役割から逃れられないだろう。もちろんそれは自分の意志で。

 そしてこんなにいい待遇で雇ってもらっているのだから、私も全力で役に立てるよう力を尽くす所存だ。


 私がそう決意したところで、馬車は目的地へと到着した。

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