第9話 アリーゼの功罪

 商会の運営に携わるにあたって、まずはバロラール商会や競合についての勉強をしていた。


 勉強のサポートは、なんとラウロス様自らが申し出てくれた。この方は本当に私のことをビジネスパートナーとして対等に扱ってくれるらしい。素晴らしい雇い主に出会えて感涙したことは秘密だ。


 今日もいつものように、私のために時間を割いて丁寧に教えてくださるラウロス様の話に耳を傾けていたのだけれど――。


「え……。うそ……」


 その中で知った事実に、私は現在頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けている。


「それ、私のせいです……」


 私は泣きそうになりながら呟いた。

 

「やはりな。さすがアリーゼだ」


 ラウロス様はまるでなんでもないことのように、誇らしげに笑った。……けれど、その笑みが少し悲しそうに見えたことはきっと忘れられないだろう。


 現在のバロラール商会の主力商品は、陶磁器や上質で珍しい織物、それらを加工した品々である。しかし、苦心してなんとかそれらを主力商品にまで育てたのはラウロス様で、それまでのバロラールを支えていたのは「毛皮」だったという。

 毛皮をこの国に持ち込んだのはバロラール商会が最初で、確かに市場をリードしていたのだ。けれど、隙をつかれてハドソンに一番大きな毛皮の仕入れ先を奪われ、市場を独占されてしまったのだそうだ。

 一番大きな取引先を奪われてしまっても、ハドソンには毛皮加工に関するノウハウが全くない状態だった。だから、毛皮を扱いきれるわけがないとラウロス様たちはたかをくくっていたのだという。

 しかし、蓋を開けてみれば一番目利きが必要な毛皮の選別まで完璧にやってのけていた。その上、婦人に不評だった毛皮の「におい」の問題を解決する「デザインファー」という商品を開発し、それが大ヒットして市場を席巻したのだ。


――全部、私がハドソンで関わった仕事だわ。


 よかれと思って口を出したことが原因となり、他の商会にそこまで影響を与えることになるなど想像できていなかった。

 ラウロス様の態度を見ればわかる。バロラール商会にとって、毛皮事業はとても大切なものだったのだ。


――私には視野の広さが足りない。もっともっと勉強して、今度はラウロス様のお役に立ちたい。


「“デザインファー”の発想にはまいったなぁ。話を聞いた瞬間に『やられた!』と思ったのはあれが初めてだったよ」

「私もふと、思っただけだったんです。臭いが取れないなら、臭わないものを作ってしまえばいいのに、って」


 当時から毛皮は高級品だったため、富や権力の象徴として特に地位のある男性が主な購買層だった。しかし、毛皮をなめす技術が発展途上で、商品として加工する際に動物特有の臭いを綺麗に取り去ることが難しかった。男性はそれでも身に付けたけれど、女性には『獣くさい』と嫌厭けんえんされ、なめし技術が進歩しない限り購買層の広がりは期待できないとされていた。

 

 だから、思ったのだ。デザイン性も品質も高い偽の毛皮を人工的に作ればいいのにと。それを作ろうと思ったら手間暇がかかりすぎて本物の毛皮と同じような値段になるだろうから――。

 ハドソンの商会長には、私のそのひとりごとを拾われ、雇われることになったのだ。そのときは、私のアイディアが実現可能なものだとも思っていなかったし、そんなに大きな価値があるなんて思ってもいなかったから。私の小さな思いつきを莫大な利益を生む事業に育てたのは、間違いなくハドソン商会長の手腕に他ならない。


「まさかあんなに見事な“偽毛皮”を作ってしまうなんてね」

「私も驚きました。構造を考えたのは私ですが、まさか本当に実現できるとは思っていなかったもので……」

「ああ。本当に、なぜ俺はもっと早くアリーゼに出会えなかったんだ……!」


 どきり。


――もう、この心臓に悪い物言いはやめていただきたいものだわ……!


 ラウロス様は、この勉強会を始めた当初からことあるごとに私を褒めてくださる。最初は恥ずかしいだけだったのだけれど、最近はなぜか心臓にダメージを受けてしまうので困っている。


――特に、こんなふうにラウロス様に“必要とされている”と実感できる言葉を聞くとだめだわ。

 

 どくどくと動きを速める私の心臓事情などつゆ知らず、ラウロス様はまだ「俺が、もっと早くアリーゼの存在を知っていれば……! もっと早く迎えに行けていれば……!」などと言って自分を責めている。


「俺だって、俺だってアリーゼのアイディアを実現できるんだ! 俺にもチャンスをくれないか⁉︎」


 そう言いながら間近まで迫ってくる国宝級美形。

 わかったから、その距離感を本当にどうにかしてほしい。


「わかりました。お伝えします。私、実は思いついたことがありまして……」

「本当か! 俺にもチャンスをくれるんだな!」


「ありがとう、アリーゼ……!」と感極まりながらまたもや迫ってくる国宝級美形。今度はキラキラした笑顔の暴力を受けながら手まで握られてしまった。ドキドキが渋滞中なのでどうか勘弁してほしい。


「ハドソンに取られた事業、取り戻しましょう!」


 私は煩悩を振り切るようにしてそう宣言した。

 私のその言葉を受けたラウロス様の笑顔のキラキラメーターも振り切れていた。


 

 それから聞いた話によると、ハドソン商会は“デザインファー”をヒットさせて莫大な利益を上げるだけに飽き足らず、毛皮を調達する過程で不当に搾取していることがわかったそうだ。

 それはたとえば、商品を安値で買い叩いたり、従業員を虐待して働かせたり、奴隷労働を強いたりなど……。ラウロス様の調べで判明しただけでもかなりの不当搾取をしているようだった。


――許せない。


 毛皮産業において不当な方法を使って成功しているハドソンの地位を、バロラールに返してもらうのだ。


 そのために、私のアイディアが実現可能かを自分の目で見定めなければならない。そう思い、ラウロス様にバロラール商会の毛皮事業を支える現場へ視察に行きたいと申し出たのだけれど……。

 

 予想外の形でその願いが叶えられるのは、このあと割とすぐのできごとだった。

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