第8話 契約妻のお仕事

 私は興奮していた。

 

――夢の終身雇用! 家族の扶養つき! こんなにいい職場はどこを探してもないわ!


 未だ胸はときめいている。かつてない……というより、この先これ以上の好条件を提示できる職場が現れるはずがなかった。


――私のどこを評価してくださったのかまったくわからないけれど……。


 こうなったら自分にできる精一杯でお役に立つしかない。ハドソン商会では出し惜しみしていた頭脳をフルに活かしたとしても、拝命したお役目に足り得るかは未知数だ。だけど、やるしかなかった。この職場を逃したら、また毎日のご飯を気にする日々に逆戻りだ。


――それだけはだめよ。


 絶対にラウロス様のお望み通りの結果を出してみせる――! そんな決意をして、私はラウロス様の執務室へと向かった。


「おはよう、アリーゼ。不便はないかな?」

「まっったく。問題など存在し得ません」


 ラウロス様に雇用のお話をいただいた日。

 私は家に帰って、家族にハドソン商会をクビになったことを伝えた。母と兄が顔を青ざめさせたところで、ラウロス様が準備してくれた“求婚状”を見せた。

 

 いろいろ考えたが、家族にはこの結婚が“契約”であることは隠したほうがいいと思ったのだ。


 ともかく、家族はめちゃくちゃ驚いた。それはもう、天地がひっくり返ったのかと思うほどの大騒ぎをしていた。


――玉の輿ってやつだものね。実際はただのお仕事だとしても、立場的には……。


 ラウロス様がすぐに私の代わりとなる使用人を手配してくれたので、私は十歳の頃から八年間毎日続けた家事から解放された。おめでとう私。よく頑張った。


 そうしてその翌日にはこのミッドフォード侯爵家へと住まいを移したのである。


 そして、今日。

 この場で、ラウロス様とを結ぶことになっている。


 ラウロス様から渡された仮のメガネは、さすがに高級なだけあってこんな私にもよく馴染んでいる。そのメガネを通して見るラウロス様は相変わらず神々しいほどの美貌を備えていて、「契約妻、必要? 探せばいくらでも立候補する人がいるのでは?」と思うばかりである。

 けれど、ラウロス様にも私に頼まなければならないほどの抜き差しならない事情があるのだろう。私はよき雇い主のプライベートまで詮索するつもりはない。触らぬ神に祟りなしっていうしね。

 

「これが契約書だ。アリーゼ、この契約書に記載のある、きみに頼みたい仕事は大きく分けて二つだ。しかし、実質は一つだと思ってくれていい」


 私は契約書を受け取り、必死で勉強している間に身についていた速読の能力を使ってその内容を把握する。

 

「承知しました。実質一つと言いますと、“契約妻”と“バロラール商会運営の手助け”、どちらのお仕事のことでしょうか?」


 ラウロス様はなぜか嬉しそうに頷いた。

 

「うん。やはり話が早くて助かる。アリーゼには主に“バロラール商会運営の手助け”をしてもらいたいんだ。“妻”のほうは、それをしやすくするための役職みたいなものだな」

「……ですが、バロラール商会は、私などがお手伝いするまでもないと思いますが……」

「いいや。これから学んでもらう予定だが……きっと帳簿を見てもらえばきみにならすぐにわかるよ」

「バロラール商会の帳簿……!」


 私は思わず目を輝かせてしまった。

 そんな私の様子を見てラウロス様はくすりと微笑む。


「アリーゼは帳簿が好きなの?」

「はい……! お金は私の心を満たしてくれますから……!」

「はは。僕は帳簿を開くのが嫌で嫌で仕方ないんだ。情けないが、これからはアリーゼに頼もうかな」

「え……」


 任せてもらえるなら非常に嬉しいが、私にそんな重要な仕事を回してしまって大丈夫だろうかと不安になる。


「心配は無用だよ。この契約書にサインさえしてもらえれば、僕とアリーゼはめでたくビジネスパートナーになるのだから」

「ビジネスパートナー……」

「そう。僕とアリーゼは対等な関係だよ」


 このとき、彼が私に任せてくれた仕事がどれほどの価値を持つものなのか、貴族と名乗れるかも怪しい私には正確に測りきれていなかった。


 ただ、貴族の家で女性の地位は低かったから、彼と私の立場が“対等”と言ってくれただけて、十分すぎるほどに私の心へと響いた。

 そうでなくとも、彼は名門侯爵家の後嗣こうしであるにも関わらず――。


――この方の下でだったら、私は私らしく働ける気がする……!


 そんな期待を胸に、私は意気揚々とへサインをした。

 

 この日、晴れて彼と私の婚姻が成立した。

 

 結婚に特に夢も希望も持ち合わせていなかった私には、理想的な“契約けっこん”となった。

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