第7話 半永久的な雇用契約
――と、とりあえずお礼を! 先ほどから何度も言い逃しているお礼をともかく!
「み……ミッドフォード様、この度は大変お世話になり、ありがとうございます」
私はそう言って腰を落として頭を下げた。これが貴族の礼“カーテシー”だと昔母に教わったから。最初の「み」の音が裏返ったのはご愛嬌だ。
「私はカスティル男爵家の長女、アリーゼと申します」
「うん。よろしくアリーゼ。私のことは“ラウロス”と呼んでほしい」
「はい。承知しました。ラウロス様」
そう言って深く頭を下げると、ラウロス様は少し悲しそうな顔をした。私が先ほどまで気安く接していた態度をころりと変えたからだろう。
……が、私は全力で知らないふりをした。平民同然の男爵令嬢から見て、侯爵家の嫡子など雲の上の存在なのだから。
「ラウロス様。改めまして、何から何までありがとうございます。何かお返しをしたいのですが、私はあいにくお返しするに相応しいものを何も持ち合わせておりません。そこでご相談なのですが……」
「ん? ええ……いいよ。お返しがほしくてしたことでもないし」
まあ、それはそうだろう。しがない男爵令嬢、しかも頬を腫らして割れたメガネをかけたままふらふらしていた人間である。富と名声と美貌、すべてを持っているミッドフォード侯爵令息が私から得られるものなど何もないだろう。だがしかし……
――ただより高いものはないのよ……!
「いいえ。それでは私の気がすみません。それとも、やはりラウロス様のために私ができることは何もありませんかね……?」
「うーん、その言い方はずるいなぁ……」
本当にいいのに……などと、ぶつぶつ呟いていたラウロス様だったが、しばらくすると覚悟を決めた顔をして私へと歩み寄った。
「じゃあ、お言葉に甘えて。本っっ当ーーに困っていることがあるんだけど、それを頼んでもいいかな?」
「はい! 私にできることならなんでも! できそうになくても、できるように努力します!」
私が意気込んでそう伝えると、ラウロス様はふっと微笑んだ。
「じゃあ、きみに一つ仕事を任せたい」
「はい!」
どきどきしながら待つ私に、真面目な顔をしたラウロス様はこう続けたのだ。
「我がミッドフォード侯爵家に、半永久的に雇用されてはくれないだろうか」
「はい?」
「結婚してほしい」
「はいぃ?」
◆◆◆
『……じゃあ、ラウロス様は?』
『ラウロス様、最優良物件よね!』
そんな会話が私の耳に入ったのは、当時はよく参加していた舞踏会で、少し風に当たろうとバルコニーへ向かって歩いていたときだった。
『でもラウロス様ってぇ……』
『うん。
『それなのよねぇ』
『でも私、あの顔を眺められるなら我慢できるかも』
『あの顔はすべてを解決するわよねぇ』
『えー。私は獣臭染みついて取れなくなったら嫌だな……』
耳のいい自分を恨んだのは初めてだった。
そのときの私は既にミッドフォード商会の運営を任されていたし、任されてすぐの頃に躓いてしまったので、利益を取り戻すのに必死だった。
――『獣くさい』か……。
私はふっと笑ってしまった。
――顔がいいから、『獣くさい』という欠点も我慢して伴侶になれる……?
私を、私の仕事を馬鹿にしていると思った。
恐らくミッドフォード商会の看板商品である“毛皮”の製品のことを揶揄した言葉なのだろうとわかってはいた。だが、だからといってそのような評価を受け入れられるかといえば、答えは
――そんな伴侶はこちらから願い下げだ。
それから、私は女性を避けるようになった。嫌な思いをするくらいならと舞踏会も欠席するようになった。
そしてある日、私は考え至ったのである。
――私の顔だけを眺めていたいという女性を避けたいなら、
ひらめいた私は、すぐに商売上交流のあった魔女のところへと向かった。
「私のこの顔を醜く変えてほしい」
「ええ? 神から特別な祝福を受けたとしか思えないその顔を? どうしてまた……」
「必要ないからだ。できないのか?」
「できるけれども。好きな女ができたら後悔するよ?」
「はっ。女を好きになる? 有り得ん。よってその心配は無意味だ」
「……絶対後悔するよ。それでもいい?」
「無論だ。後悔などしないから早くやってくれ」
魔女はため息をつきながら、仕方なさそうに
「はぁ……。いい? お前に呪いをかけるからね。これを解くには……」
「待って。解けない呪いをかけてくれ。永遠に」
「はぁ。わかったよ。ちょっと待ってな」
魔女は投げやりにそう言って部屋の奥へと消え、数分後にまた私の前へと戻ってきた。
「これを飲むと顔に大きなアザが現れる。一生消えないアザだ」
「アザか……。それで醜くなれる?」
「大層な自信だが、大丈夫だろう。特に貴族は……」
「まあ、そうだな。女性なんて少しでも傷がついたら“キズモノ”呼ばわりだし」
私は清々しい気持ちでそれを一気に飲み干した。躊躇など一瞬たりともしなかった。
その後、顔に現れた大きなアザを隠しもせずに社交界へと現れた私を、貴族女性たちは嫌悪の目で見るようになった。あれほど私の周りに群がって秋波を送ってきた女性たちも、今や一人も寄ってこない。顔にアザを作っただけでこんなに効果があると、もはや笑うしかない。
両親に悲しそうな顔をさせてしまったのは申し訳なかったが、最終的には私の意思を尊重してくれたし、私は最善の選択をしたと自負している。
だから、そんな自分から「結婚」の言葉がすんなり出たことはちょっとした驚きだった。
でも、不思議と違和感はなかった。
なぜかと問われれば、うまく説明はできなかったのだが――。
「契約妻として働いてくれれば、将来のミッドフォード侯爵夫人としてのポストは自由に使ってくれて構わない。もちろん、人もカネも全部思いのまま。それとは別に給金もきちんと支払うし、カスティル男爵家への援助も惜しまない」
「え……カスティル男爵家の援助まで……?」
「対外的には“正式な妻”になるのだから当然だよ」
「そんな……夢みたいな……」
「もちろん、きみが嫌になったら遠慮なく言ってほしい。やめてほしくはないが、辞職理由が納得できるものであれば受け入れる」
「…………」
「つまり、これはきみがやめたくなるまでの“半永久的”な雇用契約だ。やめたくならなければ一生当家のために働いてほしい。終身雇用を約束する」
「…………」
「どうかな?」
私は緊張しながら彼女の答えを待った。YESと言ってくれ……! と心の中で強く祈りながら……。
「はい。承知しました」
「よかった……! 受けてくれて感謝するよ」
「……と言いますか、私は今日、勤務先を解雇されたばかりだったのです。この先家族をどう食べさせていけばいいのかと途方に暮れていたところでした」
知っている。アリーゼがひどい目に遭ったのは、彼女を迎えに行こうと決めておきながら、なぜかすぐに行動に移せず、ぐずぐずしていた私の責任だ。だからスパイからの情報で事態を知ってすぐ、執事に叱咤されながら必要なものを秒速で準備して、急いでアリーゼの元へと向かったのだから。
「だから、こんなに私に都合のいいお話をいただけるなど思ってもいなくて。むしろこちらが感謝しなければなりません」
彼女の家の事情についても調査済みなので、私がアリーゼにとって適切な提案ができたのは当然だ。
――交渉をするにあたり一番重要なのは情報だからな。
私は勝利の笑みを浮かべてアリーゼへと言葉を贈る。
「ようこそ、ミッドフォード侯爵家へ」
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