第6話 至れり尽くせり
「あなたは、とても強い人ですね」
「……え?」
心配そうな声で、男性はそう呟いた。
――なんだか、私に何が起こったのか知っているみたいな……。
私が違和感の正体を追いかけようとしたとき、男性は嬉々として私の世話を焼き始めた。
「あ、カップ受け取りますね。もう一杯飲みますか?」
「あ。じゃあ、いただきます……」
私は謎の紳士に世話を焼かれながら、いつの間にか緊張を解き、抱いていた疑問をどこかへ手放していた。
――はぁ。落ち着く。
けれど、彼の行動への違和感は残った。
――カモミールティーはどちらかといえば女性に好まれるお茶だし、さっきから私が飲んでばかりで、この方は一口も飲んでいないわ。
「あの。私ばかりいただいてしまってすみません。これは、あなたが飲むはずのものだったのではないですか?」
「いいえ。気にしないでください」
謎の紳士は紳士らしく、とても穏やかで優しそうな声色で言った。メガネにヒビが入ってちゃんと顔が確認できないことが悔やまれる。
――まあ、いいか。
疑問へ対する明確な答えは返ってこなかったが、不快ではない。「世話をしてもらう」と、自分が特別な人間になったように思える。今まで世話をするばかりの側だったので、とても新鮮な心持ちだった。
「ありがとうござ……」「ああ、そうか」
ハンカチとカモミールティーのお礼を言おうとしたら、男性の声と被ってしまった。
「ん? ああ、お礼はいいですよ。大したことはしていないですから」
男性は私の手から空になったカップを受け取り、相変わらず優しそうな声でそう言った。こちらも相変わらずひび割れたメガネのせいで表情はよく見えないけれど。
「ずっと気になっていたのですが、そのメガネ、割れてヒビが入っていますよね。よく見えていないのではないですか?」
「あ。ええ……」
「その状態でよくここまで歩いて来られましたね。目元に怪我はないようでほっとしました」
色々と不自然な点が見受けられることもあり、少し
――信頼していた人に裏切られたばかりなのに、私ってなんて馬鹿なのかしら。
そうは思ったけれど、ここに辿り着くまで、赤の他人である私のことをここまで気遣ってくれる人はいなかった。だから余計に、心を向けてもらえたのが嬉しかったのかもしれない。それが、たとえ同情からだったとしても――。
「このあと何か予定はありますか?」
「え。いいえ。特には……」
私が考え事をしている間にも会話は続いていて、質問に対して素直に答えていると、男性は唐突にこう言ったのだ。
「そのメガネ、直しに行きません?」
「え?」
「だって、レンズはガラスでできているんですよ! 割れたまま使用していて目を怪我したら大変じゃないですか」
「はぁ……」
意識がどこか別のところを
男性は気を悪くした様子もなく、友達を遊びに誘うような気軽さで「いい店があるんです」と言った。
気づいたら頬に当てていたハンカチもするりと回収され、「ちょっと大袈裟ですが我慢してくださいね」とひんやりした薬のようなものを丁寧に塗られ、ガーゼのような布をあてがわれていた。
それらは、すべて男性が持参したバスケットの中から出てきたので、いつも持ち歩いているのかと思いぎょっとした。それが伝わったのか「今日は特別なんですよ」と言い訳のように言っていたけれど。
「ほら、前がよく見えないでしょうから、私の腕にしっかりと掴まってくださいね」
出発する準備が整い、言われるがままにベンチから立ち上がると、男性は私の手を自分の腕へと誘導した。
私はすっかり男性のペースに巻き込まれていた。
◆◆◆
そうして男性に連れられるがままに訪れた店に入ると――。
――ここは……!
先ほどから男性の持ち物がすべて
「バロラール商会の……」
「ええ。当店をご存知でしたか?」
「知ってるもなにも……」
バロラール商会といえば超老舗の商会で、この店はバロラール商会が持つ
「いらっしゃいませ」
「このメガネを直したいんだ。すぐにできないかな」
「職人に確認いたしますので、一度お嬢様のメガネをお預かりしてよろしいでしょうか」
私が驚いている間に、男性はお店の人と話を進めていた。
「ちょっ……! お待ちください!」
「ん? どうしました?」
「連れてきていただいておいて申し訳ないのですが、私、その……待ち合わせが……」
バロラール商会は品質のいいものを置いていることで有名な商会だった。一度勉強のためと称して偵察に来たことがあるが、置いてある商品はどれもこれも質が最高なので驚いたものだ。ハドソン商会とは格が違う。
そして質がいいということは、比例して金額も高くなるということで――。
――メガネは必要だけど……。バロラールに置いてあるものを買う余裕は、今の私にはないわ。それに、このメガネを預けるのは……。
私が考え込んでいると、こともなげに男性は言った。
「大丈夫です。勝手にここへ連れてきたのは私ですから、あなたに支払わせるようなことはしませんよ」
「え、でも……」
私たちがそう話していると、店員さんが「ご歓談中失礼します」とやってきて、男性に何かを耳打ちした。
――そういえば、私、名乗ってもいないし、この方の名前すら知らないわ……。
今ごろ気づいた事実に衝撃を受けていると、男性は私へと視線を向けて告げた。
「申し訳ありません。すぐに直すのは難しいみたいです。今日は代わりのものを用意したので、これで許していただけますか?」
そう言って彼が店員さんから受け取っていたものは、私が長年使用していたものと比べ、品質が格上だと一目でわかるものだった。
――許す、許さないの話じゃないし……! しかも私のメガネ渡してないのに、なんで話が進んでるの?
「いえ、あの、あなたとは初対面ですし、そこまでしてもらうわけにはいきませんので……」
「なんと……! あなたは控えめなのですね」
――私が、控えめ……? この人の価値観、なんだかズレてるようね……。
「あげる」と言ったものを「いらない」と言われたことがないような受け答えだった。
これは拒否するのは難しそうだ、と感想を抱いたところで、男性は格上メガネをそれが乗った台座ごと私の目の前へと差し出した。
「いいから、受け取ってください。もちろん返す必要はないので、いらなければ売り払ってお金に替えてください」
「いいえ……! せっかくいただいたものを、売ったりなんてしません」
私はそれをありがたくいただく決意をした。
メガネを新しいものに替えると、視界が明瞭になった。
――でも……。
私のメガネには、瞳の色を誤魔化す特殊な加工がしてあったのだ。いくらバロラールといえど、私のメガネを実際に手にして確認することもしなかったし、この短時間で同じものを準備できたとも思えない。
――私の秘密がバレてしまう。
私が床を見つめたままぎゅっと目を瞑って顔を上げられずにいると、「失礼します」と店員らしき人に声をかけられてそっと手に何かを握らされた。
――手鏡……。
私はそのまま鏡を見て、鏡ごと顔を上げて驚いた。
「これ……。ありがとうございます」
鏡にうつった私は、いつも私が鏡で見ている私だった。つまり、渡された新しいメガネは、私の割れたメガネと同じ加工がされてあるメガネだったということだ。これなら私の瞳の秘密はバレない。いや、正確に言えばこの店にはバレているのだろうけれど。
私が何も言っていないのに、察して配慮してくれた店側の対応は、これぞ一流といえるものだった。
――すごい。どうしてわかったの……?
バロラールの心遣いが嬉しくて、感極まりながら隣にいる紳士を見たところで私は呆然とした。
そこには今まで割れたメガネ越しにぼんやりとしか輪郭を捉えられていなかったことを後悔する程の美形がいた。
――すごい。見たこともないほどの美形だわ。
私、こんなに目立つ人に今までエスコートされてたの? と、背筋が凍るようだった。
この店に来るまでに確かに数え切れない人たちからジロジロと見られた。けれどひび割れたメガネのおかげで表情はよく見えなかったし、そもそも私がボロボロなせいで注目を浴びているのだと思ってしっかり見ようとしていなかったから……。
――ジロジロ見られたのは、絶対にこの人のせいだわ。だって顔が良すぎるもの。左の目元から額にかけて大きなアザがあるけれど、そんなの全然気にならない奇跡の美貌だわ。
私が呆然と男性の顔を見上げていると、ニコリと爽やかに笑みを作った男性は胸に手を当て、目礼した。
「ラウロス・ミッドフォードです。よろしく」
彼の名前を聞いた瞬間、私の背筋を汗がつーっと滴った。
――ラウロス・ミッドフォード様……!
それは、ミッドフォード侯爵家の嫡子として有名な名であり、同時にバロラール商会の商会長の名でもあったから。
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