第3話
月が一層大きくて、一層明るい夜だ。
喉が渇いて台所に水を取りに行った帰り、恵美は縁側のようになっている廊下を通っていた。大きなガラスの窓が引き戸のようになっていて、今は暑いからとそれが全開になっている。虫の鳴き声と、たまに風鈴の揺れる音。
庭にはもう少しで食べごろのスイカがなっていた。裏の畑とは別に、庭にも小さな畑が作ってあるのだ。
ゆっくりと、庭に当たっていた光が消えて真っ暗になる。見上げれば月が雲に隠れていた。
恵実はそれを見ながら水を一口口に含んだ。風に吹かれた雲が動いて、また明かりが戻ってくる。
部屋に戻ろうとした恵実の耳に、「ぽ」と聞き慣れない音が届く。
思わず振り返った。だってあまりにもタイムリー。坂本のおじいちゃんのところで聞いた話そのままだったからだ。
庭の隅。さっきまで気がつかなかったけれど…いや、もしかしたら、今現れたのかもしれない。
身長はゆうに200cmを越えてる大きな男の人。"八尺様,,がいた。そしておそらく、昼間の見た人も八尺様だった。
昼間はスカートだと思っていた下半身の黒い部分はスラリとしたスラックス。上は清潔感のある白いシャツ。帽子は品のいいカンカン帽。
八尺様って、男の人だったんだ、と思った。
というか実在したんだ。
そう考えると変な感動を覚える。
八尺様は「ぽ ぽ ぽ」としか言わないで、此方に近づいても来ない。
坂本のおじいちゃんは若い人を拐うお化け、と言ったけれど、見る限り穏やかな人のようだった。
恵実はちょうどそこにあったおじいちゃんの大きなサンダルを引っ掛けて、ゆっくりと八尺様に近づいて行く。
「…は、八尺様…?」
「ぽ ぽ ぽ ぽ」
な、なんだか可愛い。
今度は恐る恐る、八尺様の手に触れてみた。八尺様の手はすごく長くて、指先が恵美の大体胸あたりの高さにあった。
八尺様の手はひんやりとして冷たくって、こういう季節には気持ちがいい。
「うわぁ」
恵実はすっかり八尺様がお化けと呼ばれていたことも忘れて、楽しそうに声を上げた。
八尺様を見上げるけれど、顔は見えない。物理的な距離と、やはり明るいと言っても夜だからだろう。
八尺様は相変わらず「ぽ ぽ ぽ」としか言わないけれど、どこか嬉しそうにも見える。欲目だろうか。勘違いじゃなければいいなぁ。
「八尺様、私厚木恵実って言います」
「ぽ ぽ ぽぽぽぽぽ」
「あっ笑った!」
恵美も釣られて「ふふふ」と笑う。
なんだ、全然怖くない。
むしろ、なんていうか穏やかな人だ。
恵実が「八尺様、よければお話しましょ」と縁側を指すと、八尺様が恵実が片手に持ったままだったコップを持ってくれた。恵実の隣に座って、「えーと、」と会話が限られる相手との話題に悩んでいるのを、頭を撫でたり髪を触ったりしてくる。
それで恵美も八尺様の髪に触ってみると、まるで水か何かが流れるみたいにサラサラ落ちた。恵実はそれにまた喜んで、それから「いいなあ」と言った。
恵実の髪はなかなか癖が強い。縮毛矯正が欠かせないから、八尺様の真っ直ぐな髪が少し羨ましかった。
「ね、八尺様。私暫くこっちにいるんです。またお話してくれますか?」
八尺様はただ「ぽ」と答えた。恵実はそれに「ありがとうございます」と言って。
そして、目が覚めた。
さっきまで縁側に居たはずの恵実は自分の布団で眠っていて、しかも夜だったはずなのに、入り込んでくる光は太陽のもの。枕元の時計を見ると、今は朝。
夢だったのだろうか。感触だってまだ残っていて、とてもリアルだったけど。なんだか釈然としないような、残念な気持ち。
居間に起きていくと、ちょうどおじいちゃんが散歩から帰ってきたところだった。
おじいちゃんは棚から取り出したコップに牛乳を注いで、恵実に「そういや恵実」と話しかける。
「ここにあったコップひとつ無くなってんだけんど、おめ持ってったか?」
パァッと喜んで、元気よく「わかんない!」と答えた恵実に、おじいちゃんが変なものを見る顔をした。
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