第2話 葬式

 記憶の蓋が開いて、現れた光景は去年の姉の葬式だった。



 読経が天井高く響く十一月の本堂には、まるで白い鳥が羽ばたいているかのような百合の花祭壇がある。

 祭壇の白木位牌には長い戒名と、〈俗名 一ノ瀨 美世 行年二十五歳〉。


 せっかちな性格だとは知っていたが、まさかこんなにも早く姉が死ぬと思っていなかった僕は、親族席からぽかんと口を開けて祭壇を見上げていた。



 強気な笑みを返す姉は、美貌の遺影だった。

 写真なんて面倒くさがって撮らない人だったから、直近で使えそうなものが成人式の前撮り写真ぐらいしかなかった。

 葬儀屋に渡したら、赤い振袖が黒い留袖に変わった。


 棺桶の小窓は閉められていた。

 腐った桃のように潰れた姉の顔は、死に化粧をどれだけ施してもごまかしきれなかった。


 ぶつかった相手が大型トラックというのが、良くなかった。

 警察の話では、姉の身体は十メートル以上跳ね飛ばされ、顔面からアスファルトに落下したらしい。



 僕の隣で、大きな荷物が崩れ落ちるような音がした。

 見ると、黒紋付姿の母が、青白い顔でぐったりと畳の上に倒れていた。

 慌てて抱き起こした父が、母の名前を呼んでいる。



 いつの間にか、僕らの前に黒いワンピースの幼女が立っていた。


「ごめんなさぁい……、ごめんなさぁい」


 幼女は火照った頬に真珠のような涙をぽろぽろと零して、謝りはじめた。

 姉が庇わなければ、遺影はこの子になっているはずだった。


 参列者席から追いかけてきた幼女の両親が、僕らの前で土下座をした。


 十六年の人生で土下座なんて初めてされた僕は、逃げ出したい衝動にかられて、視線を泳がせる。



 窓の外は秋曇りの末枯れた庭で、テレビ局のカメラやリポーターらしい人影がうごめいていた。

 道路に飛び出した三歳児を庇って死んだ姉は、英雄のように報道されている。


 百人ほどの参列者は正しく並んだマネキンのように、ものも言わずに座っていた。

 参列者席の後ろでは、ご本尊の阿弥陀如来が、姉の祭壇を静かに見据えている。



 視線に行き詰まり、天を仰ぐと、龍の天井絵があった。


 その白黒の龍が、眩暈のようにゆっくりと回り出して、目の前の風景が僕の記憶とずれ始めた。




 読経がぴたりと止んだ。


 祭壇の方を見ると、僧侶が祭壇ごと消えていた。


 

 誰かに学ランの右袖を引っ張られた。


 右に視線を落とすと、幼女やその両親、僕の父と母も消えていた。



 誰かに左肩を叩かれた。


 左を向くと、参列者が消えていた。



 誰かに身体を揺さぶられた。


 辺りを見回すと、空っぽの本堂に僕一人。

 百合の匂いも残らず消えていた。



「ねーえ」


 男の子の声が、本堂に響いた。



「おにいちゃん」


 僕に弟はいない。二人姉弟だ。

 声は、出入り口の板戸の向こうから聞こえていた。



「ねえってばぁ」



 僕は声の方へ向かった。



 渋い引き戸を開けると、柔らかい風が堂内に入り込んできた。

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