*


 白浜の綺麗な海に足だけ浸かって、私は今日も魚釣りに勤しむ。

 波の音は繰り返し繰り返し、されど、二度として同じ形をしていない。

 釣り糸を手繰っては投げてを繰り返し繰り返し、されど、一度として釣果は上がらず、根掛かりは絶えず。

 ここは恐らく無人の島。一昨日から私はここにいる。一昨日、と言っても、私が記憶している中で二回夜を越したという事実があるだけで、到底人の理など通用していないこの地で、時に人流の意味づけをするのは聊か憚られた。何故にして私がここにいるのかはわからぬ。ただ、テントやら寝袋やら最低限の食料やらはそろっていた。 

 鬱蒼と茂った木々で覆われた島の一角、半円状に白浜が陽を浴びる場所が一か所だけあって、私はそこ周辺を活動範囲とした。深く森に入っては何が飛び出してくるかわからないし、そもそも暗い森の懐で生活する勇気なんてありゃしない。そして何よりの理由は、我が活動範囲にはかつて人が住んでいたであろう形跡がはっきりと見られるのだ。

 第一に、白浜から森に半ば溶けるようにして、一軒の古屋が建っている。戸にも窓にも鍵がかかっていて、未だ良心が痛むので侵入を試みてはいないが。

 第二に、白浜を横切るように、胸の高さほどのコンクリートの壁が波の侵入を防いでもいる。堤防として造られたのだろうか。今は私の大切な椅子となっている。

 住人がいなくなって、相当の時が経過しているのであろう。もうほとんど森に飲み込まれ、波に打ち消された人の住処。けれど、微かにただようそのぬくもりの残滓が、完全に独りの私には実家の炬燵のように暖かかった。私は今ひどく、人に会いたい。


 何故かここで生きていくための知識はちゃんとあって、罠を仕掛けて貝や小エビや小ガニを獲り、石を積んで釜戸も作った。火の起こし方も知っている。火の番もやけに板に付いている。元から持っていた食料はもっと危機的な状況になった時用に取っておいて、この島で得られたものを焼いて食べる。流れ着いた炊飯ジャーを鍋にして、運よく見つけた湧き水と海水をブレンドしてスープも作った。コツは湧き水と海水を三対一で使うこと、磯臭さ消しとして松の枝もぶち込むこと。

 遠浅の海で魚を釣ることはほとんど期待できず、やけに立派な竿が時間つぶしの道具に成り下がってしまっているのは残念だけれど、大物にありついて満足にお腹を満たせないことは悔やまれるけれど、私は思った以上にやれている。そう、私は無人島でも独りでやっていける人間であるのだ。限られたエネルギーを効率的に使い、全てが非日常の生活を楽しむ余裕なんかもあったりして。昨夜の夜は満天の星がこの世のものとは思えないほど綺麗であった。


 また一回、夜を越した。

「……」

 昨夜は偶然見つけた岩牡蠣をはがして焼いて、久しぶりに満足いく食事ができた。ついでに獲ったカメノテもうまかった。

 コンクリートの椅子に腰掛けてぼんやりと海を眺める。この堤防は端だけ木陰になっていて、心地よい風が頬を撫でた。

 空間に響くは波の音。ゆっくりと進む時。生きたいように生きる生活。

 悪くない。全くもって、悪くない。……けれど。

「……あ、離岸流」

 正面の波が、沖合に向けて流れを作り出した。

 比較的穏やかな波打ち際だから、はっきりと目視できる逆行した流れ。

 この流れはなかなかに暴力的で、多くの水難事故を引き起こしていると聞いたことがある。抗い難い、自然の力。

「……」

 ふと、このささやかな幸せが、波に乗って海へと流れ出していくような錯覚を覚えた。

 胸がざわつく。

 鼓動が速くなっていると気づく。それは徐々にせり上がり、喉から飛び出しそうになる。

 まずい、このままではまずい。「落ち着け、私」と言い聞かせる。

「……………………!」 

 ふと、極限まで張られた糸が断ち切られたの如く、胸中の暴れ馬が静かになった。

 嘘みたいに、心だけ凪ぐ。

「……ま、それでもいいか」

 流れ出すのが、私の幸せならば。

 私の幸せがぷかぷかと、気ままに海を漂う情景が胸に浮かんだ。それは、とても素晴らしいことのように思えた。

 何処まで流れていくのだろうか。

 対岸の誰かに届いたりするのだろうか。

「誰か……」

 満ち足りているはずなのに、身体がずっと欲しているもの。

 慌てて思考の辿り着く先を振り切るように、首を振る。

「私は未熟だ」

 独りごちた台詞は、思った以上に浜辺に鳴った。

 熟した人間は、一人で自分を形作れるものだ。一人で生きていく強さを持っているものだ。私は強く、なりたいと、思う。

「未熟な……ままだな」

 ああ、やっぱり私は変わっていない。弱いままの私。主体的に行動していた気になっていて、その実、自然に翻弄されていただけ。

 そう気づいた瞬間、流されるまでもなく、朧げな幸せは砂浜に砕け散った。壊されないように大切に隠していたガラス細工が、不可視の力で粉々に砕かれたような眩暈を覚えた。


 狂瀾怒濤の心中は、まだ見ぬ小夜嵐の海を思わせた。

 ただ、ただ荒波に翻弄される私の魂。けれど満身創痍のその身体が、ここにきてなお、に縋り付こうと熱を帯びていた。


 気づかず心が欲していたもの。

「誰かのぬくもりだったり、するのだろうか」

 思い立ったが吉。私は堤防を蹴


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る