エピローグもしくはプロローグ

第37話 終わりか始まりか

 薄い鳶色の髪の六歳児はある事実を知ってしまった。


 立て続けに祖父母が死んだ。

 その時に、親戚の誰かが言ったのだ。


「死んでホッとしたわ。都市伝説かもしれないけど、やっぱり呪われた家って怖いじゃない?」

「ちょっと、声大きいわよ。それはみんな同じ気持ちよ。弔辞を言ってた義理の息子さんだって、せいせいしたって顔してたじゃない。これでやっと呪いから解放されたって顔だったわよ。」


 この言葉だけでも、偶々近くにいた六歳児の心は傷ついていた。

 まだ、死を理解する年齢ではないが、祖母が疎まれていたことくらいは分かる。

 でも、これだけでは終わらなかった。


「不憫なのは辻宮さんだよ。未だに神無月の意志には逆らうなと言われていた。」

「マジで?タダでさえ、神無月に呪われてるって言われてるのに?」

「……美夜ちゃん、今日も辛そうにしてたじゃない。来年、生きていられるかどうかだって。あんだけ金持ってるんだから、神無月が出してやりゃいいのになぁ。」

「心臓に穴が空いてるんだっけ。それに他の臓器も移植が必要って……。可哀そうに。神無月さえ居なければねぇ。」


 昨日、一緒に遊んだ近所の女の子の名前が聞こえた。

 この島に帰る機会は少ないけれど、美夜とはいつも一緒にいる。


「美夜が死んでしまう?おばばさまみたいに冷たくなっちゃう?」


 呪われている?

 呪ったのは神無月?

 そんな疑問を全て吹き飛ばす、少女の死。

 

「どうしよう。美夜が死んじゃう……」


 少年はとにかく走った。

 両親に相談しようかと思ったけれど、その考えはすぐに捨てた。

 さっきの話は神無月がお金を出さないからという話だった。


「助けてくれない。多分。えっとこういう時は本を読むんだ。おばばさまがそう言ってた。本を読んだら偉くなるって。」


 彼はなんとなく理解していた。

 周りにいる大人は助けてくれないことを。


「おばばさまがあそこにご本が沢山あるって言ってた。でも……、今はまだ入っちゃいけないって。」


 離れの更に離れにある蔵。

 沢山の板が打ち付けられた蔵。

 そこに蔦が絡まり、誰にも管理されていないと分かる蔵。


「ここってどうやって入るの?」


 それをしなければならないと思った。

 今じゃないと間に合わないと思った。

 

「この隙間……、よし、いけた!」


 小さな体で見つけた隙間に飛び込んでいく。

 外はあんなに明るいのに、この中は夜のように暗かった。

 けれど、彼は進んでいけた。


「あっち?神様が案内してくれてる?


 偶然か、必然か、太陽の光が埃を照らして道を作っているように思えた。

 蔵の奥、そこには下へ続く階段があった。

 一階から入ったはずなのに、ここから下へ続く階段。

 そこに向けて、日の光が射しこんでいるのだから、降りなければならない。

 長い間、誰も入っていないので、少年が歩くたびに足跡が残る。


「ここを降りるの?ええっと、コケないようにしないと」


 そして階段を最後まで降りると、そこにはお目当てのものが広がっていた。

 本棚が沢山置かれた大きな部屋。

 ここにまで太陽の光が降り注いでいる。


「えと。なんか真っ黒になってるけど、あ、あ、あそこの本を読めば、美夜を助ける方法が見つかるかも……」


 銀製の装飾がちりばめられているのだが、真っ黒なそれを触りたいとは思えなかった。


「多分、一番分厚い本を読めば……」


 昼間のように明るい部屋だから、黒い部分を触らずによじ登れる。

 そして一番分厚い本を掴むと、あまりの埃に指を滑らせた。

 少年はそのまま落ちて、尻もちをついた。

 その横にドンと分厚い本が落ちる。

 大人が見ると間一髪の場面だったが、彼は構わず本を捲る。


「痛っ……かったけど、大丈夫。ラッキーだ」


 ただ、そこで予想外のことが起きた。


「睦、どうした。その本はお前にはまだ難しかろう?」


 暗い場所から声を掛けられて、少年の両肩を跳ねる。

 しかも、ソレは自分の名前を知っている。


「……誰?どこかのお爺さん?」


 暗闇を見ていると、次第に目が慣れてきて、そこに白髪の誰かがいた。

 幸運なのか、不幸なのかはさておき、少年は知らない誰かに名前を知られていることが多かった。

 だから、親戚の誰かなのだろうと思った。

 それに白髪の誰かの言葉は、少年の望みを叶えるものだった。


「お爺さんか……、まぁ、それも悪くない。どれ、誰かも分からぬお爺さんが、本を読んであげようか。睦はどんな話が好きなんだい?」


 だから少年は真剣な顔で言った。


「心臓を治す話……、病気をなんでも治す話が好き。」

「ふむ。難しい言葉を知っているな。……成程、辻宮の娘か。」


 男の言葉に少年の目が輝いた。


「お爺ちゃんは知っていたの?」

「闇を覗くものは闇からも覗かれているものだよ。それで睦はどうしたい?」

「美夜を助けたい。病気を治してやりたい。どんなことをしてでも……」

「ほう。どんなことをしてでも……か。」


 男の手が暗闇から伸びてくる。

 いつもの少年ならお化けかと思うほど真っ白な。

 その男は少年の柔らかな髪を面白そうにつまみ、そして優しく撫でた。


「うん。例えば、悪魔の話とか書いてない?寿命の半分を吸って願いを叶えてくれるって!」

「ふふ、今はそんな漫画が流行っているのか。でも、漫画に描かれていることが真実とは限らないが。」

「……分かってるよ。だから、ここに来たんだ。おばばさまが、ここには沢山のご本があるって言ってた。俺は命に代えても、美夜を助けたいんだ。」


 少年のまっすぐな目に、男は目を剥いた。

 そして、静かに笑いだした。


「何がおかしいんだよ。俺は命がけなんだ。」

「済まない。睦を笑ったわけではないんだ。いや、何。何十年も大人が入ってこないのに、子供が本当にいるんだと驚いたんだよ。」


 何が面白いのか分からない。

 少年は頬を膨らませた。


「お爺さんも入ってるじゃん。っていうか、俺の話聞いてた?」

「あぁ。聞いていたとも。桜様の孫で椿の息子なのだ、私にも協力させて欲しい。」

「母様知ってるのか?まぁ、いいや。それで——」

「睦、もうちょっとこっちへおいで。——屍囚縁ししゅうえん

「って痛っ‼つーか、気持ち悪っ!爺さん、汚ぇだろ?」


 少年は噛まれた自分の肩と白髪の男を交互に見ながら不平を言う。


「汚い、そうだね。確かに汚い。けれど、私はきっかけを与えただけだよ。それに睦が欲しいものも与えよう。その代わり、睦にやってもらいたいことがある。やってくれるかい?」


 ただ、その瞬間から少年の様子がおかしくなる。

 目は虚ろになり、全身の力が抜けていく。

 そして。


「うん、いいよ。」

「そうか、いい子だ。あと……、記憶も少しだけ貰おうかな。それでは——」


 気付くと少年は蔵の前で寝ころんでいた。

 そして親戚の誰かに屋敷に連れ戻されていた。


「えっと……、俺は何をしていたんだっけ。あれ?」


 鏡を見て、慌ててフードを被った。

 そして、ぎゅっと閉じられた小さな自分の手を広げた。


「えっと、何か書いてある。これはぜったいに……、——‼」

「ん?なぁに、坊ちゃん。あの蔵には近づいてはダメと前から言っているでしょう?」

「蔵?蔵には近づいてないよ。お星さまが綺麗だなって寝ころんでたら寝ちゃってただけ。」


 蔵に入った記憶は殆ど残っていない。

 けれど、少年の手の中には、神様からの手紙が握られていた。


『ぜったいにだれにもみせてはいけない。まほうがきれてしまうから。むつがだいすきなだれかをたすけたいなら、くちびるにかみつきなさい。』


 髪の毛の一部が白く変わった少年は、大好きな女の子をあの場所に呼び出した。


 ——そして、少年は少女を噛んだ後、真っ白な髪の誰かに会い、誰かに関わった記憶の一切を失った。

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俺は歯医者で働いている。いや、そんなことより自慢の幼馴染が俺のこと好きすぎ! 綿木絹 @Lotus_on_Lotus

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