第35話 半端者の人狼の末路

 睦は目を剥いていた。

 彼が縁を切った少女の腕が自身の腕に絡みついてくる。

 右腕は狼人間に噛まれたままだから、少女がいるのは左側だ。

 絶対に校庭にはいないと思って、その周りを探していた。

 確かにいつでも踏み込めるようにはしていたのだが、ここは間違いなく校庭のど真ん中。

 そして、少女の場違いな言葉を投げかけられる。


 ——それも、心臓が止まりそうになる言葉だった。


「睦君、女の人と一緒にいた?それも三人くらい?多分、レイラさんの匂いじゃないから、うちが知らない女の人!」


 睦はただ目を剥いた。

 美夜は自分を忘れている筈だ、——けれどあの洞窟でかなり目立った行動をしてしまった自覚はある。

 そして、彼女がその噂を起点に記憶を、縁を取り戻した可能性はある。

 可能性であり、確定ではなかったので、確かにそこでも十分に驚く。

 けれど、彼女はこういう話をする時、こんな感情がまる分かりの表情をすることはなかった。

 それくらい明らかな不機嫌顔、感情的な顔なのだ。


「え、えと。それは——」


 どういえばよいか、何を言ったらよいか分からない。

 そして、間髪を置かずにその三つの匂いが迫りくる。

 風花が二人に伝えて、校庭に急いで飛んできたのだろう。

 虫使いは膨大な数の虫を使役していた。

 一流鬼族と考えられているから、同じく一流の睦ありきの捜索だった。


うちの睦君・・・・・がお世話になってます!」

「は?睦君、これはどういうことかしら?結局、魅了しちゃったのかしら?」

「し、知らないから。性格も変わっているし。いや確かに、夢の中の美夜はこんなだったような……」


 睦に会いたい、ずっと一緒にいたいと言っていた少女。

 睦の家族にことにも触れて、睦の父親の考え方を疑問視する発言もしていた。

 その後の少女はそのように動いたが、他の誰かを気にするようには見えなかった。


(いや、それどころか「自分の睦」って言ったこと、こっちに来てからは一度もない)


 色々とおかしいし、確かにこの状況は何もなかったとしても焦ってしまう。

 けれど、この中で睦よりも誰よりも焦っているモーンストルムがいる。


「クソ!僕をシカトってどうなってんだよ。っていうか、殺す!お前がいなくなれば、僕が正真正銘の美夜君の彼氏だ!このまま腕を首をへし折ってやる!」


 上空のハーピー三姉妹に気付いていないのか、白銀の吸血鬼だけを睨みつける。

 そして彼がそのまま噛み千切ると、その部分は黒の霧となって霧散した。

 その瞬間は睦も片手がない状態、それを狙って両手の爪で睦に切りかかる。

 更には首元に噛みつこうとする。

 けれども、その全てが白銀の青年は片手だけで全てを受けきってしまい、首元には辿り着けない。


「ちょ、……ちょっと待て。尻尾きりにされて、更に絶体絶命だぞ。」


 受け流し、弾き飛ばし、避けながら、彼の説得を試みる。

 彼だって、好きで尻尾切りされたいと思わない筈だ。


「尻尾切りだと?切られるのは雑魚だけだ。ってか、君、何出しゃばってんの?美夜に捨てられた男が何言ってんの?美夜は僕のものだ!」


 往生際が悪いのか、それとも別の理由があるのか、男は組織に切られたことを認めようとはしなかった。

 そして、あくまで美夜に拘るのか、獣人は睦を無視して美夜にターゲットを変えた。

 それは睦が物理で守らなければならない攻撃。

 加えて睦も読んでいた攻撃。


 ——だが、そこで獣人は地面を蹴って吸血鬼とは別方向に飛んだ。


「てめぇらはこういうやり方を見過ごせねぇよな?」

「達川、何を!人質にするのは無関係の生徒かよ。」


 いち早く反応したのは美夜の方、それで漸く睦は男の狙いに気付く。

 いや、それでも美夜程は分かっていないのだが。

 それに美夜を傷つけまいと全神経をそちらに向けていたから、すぐには飛び出せない。


「生徒を人質にする、なんて嘘だよバーカ。僕は慕われていたんだ。お前の皮を被らずともね!慕われる先生は生徒を人質にするなんて思うものか。」


 睦は動けない。

 そして美夜も動こうとしない。

 男はそんなことを言いながら、長い爪の生えた指を二人の口の中に入れて、上顎ごと二人の上半身を持ち上げている。

 つまり、二人の学生に鋭い爪を向けていることに変わりはない。

 そして上空にいた三人も睦の後ろに着地する。


「風花。あれってあいつ」

「運狙いってわけじゃなさそうね。」

「人質⁉美夜君、あの二人は確か君の——」


 更に山之内も戻ってくる。

 校庭から漏れ出ていた筈のモーンストルム臭は、校庭中心の方が薄くなっていた。

 美夜の記憶と関係があることは間違いないが、違和感がないわけではない。


「一応、私の友達だった九条里奈と桜井新次郎。あの男曰く、二人には才能があるみたい。」

「それが分かっているからこその、行動のようですね。かなり古典的ですが。」


 研究員の三名には、あの男がやろうとしていることが分かっているらしい。

 睦はまだその辺りの勉強が足りないので、首を傾げるしかない。


「二人とも―、睦君に分かるように言いなよー。上顎骨は繊維骨って呼ばれているくらい、柔らかいのよ。だから垂直方向に強打すると歯が骨の中にめり込むんだよー。」

「矯正で離れているのなら、押し戻してしまえ、という理屈ですね。私たちも被検体・YUTAKAで試そうとしたんですが。人道的な見地により見送りました。」

「いやいや、実際に試しましたよね!無麻酔で試しましたよね!」

「痛みで気絶したから見送ったのよ。無麻酔の意味がなくなるから。それより睦君、豊君。モーンストルム化を解除しなさい。」


 仲の良さそうな四人。

 ただ、風花の話に睦はあいつに屈するのかと、顔を顰めた。

 でも、風花の言葉だからこそ、成程とモーンストルム化を解く。

 校庭を見れば分かるが、美夜の匂いに刺激を受けただけなら元に戻れるようだ。


「分かった。正規のルートでモーンストルムになったら、人間には戻れないもんな。」


 つまりあの二人も日陰を歩く生活を強いられる。

 実際に殺されないとしても、人間社会では殺されているようなものだ。


「よーしよし。よく分かってんじゃん。分かったろ?僕は頭がいいんだ。そのまま下がれ。俺から離れろ。んで、俺の前から消えろ。美夜、必ず迎えに行くからね。」


 少しずつ後退りする睦。

 ぴったりとくっついている美夜は彼に併せて後ろに下がる。

 ただ、大きく後退しようとすると彼女が引っ張る。

 二、三歩で気が付いたが、後ろの三姉妹と睦との接触を避けての行動らしい。


(美夜も同じことか。俺が着火したせいで、二つの学校が炎上した。だから結局、あっさり記憶が蘇ってしまった)


 そのことも考えなければならないが、今はまだ目の前の男を注視するべきだった。

 逃げたら、追いかける。

 そして、人質をモーンストルム化してたら追い詰める。

 薄っぺらい人権のような何かを手にするために、人間に媚を売る生活。

 ここでの失態は許されない。


「睦君、速いよ。ぶつかっちゃう。」

「え、あ、あぁ。けど……」


 そこでまた腕を引かれた。

 最初は普通に一歩下がれたが、今は殆ど下がれない。

 後ろの三人と一人は何をやっているのかと疑った時。


「ちんたらしてんじゃねぇ。そっから全然動いてないじゃねぇか。」


 ごもっともなツッコミが蒼い狼より発せられる。


「風花さん……」

「大丈夫よ。そろそろ準備できたって。」


 反射的に睦は顔半分を後ろに向けた。

 狼男を見失わないようにと思ったが、その必要がないくらいそれは眩しかった。

 そして。


「てめぇら!時間稼ぎしてたのかよ!……あの魔女かよ。ま、関係ないね。人質の使い道も時間稼ぎだからな。尻尾はこいつらって訳。適切な処置が施されない限り、こいつらは理性を失って暴れ——」


 その時、風を滑る音が聞こえた。

 すると狼男が二人の口から指を抜いた。

 だから少年少女の体がズルズルと地面に落ちていく。

 そしてその直後、微かにだが睦の耳が破裂音を捉えた。


「痛ぇぇ……、畜生ぉぉぉ‼」


 右肩を抑えながら、大きく後ろ飛びをする狼男。

 だが、今度は右の太ももが弾けて膝をついた。

 その瞬間を逃さない睦ではない。


「睦君!モーンストルム化しちゃダメ!あいつらに撃つ口実を与えるわよ!」


 学校校舎の屋上から聞き覚えのある声が聞こえた。


「それから私を受け止めて。美夜ちゃん、それくらいは許してよね。」

「……仕方ないです。我慢します。」


 飛び出すタイミングまで読めていたのか、美夜がすぐ後ろにいた。

 そしてライラを受け止める前に狼を一瞥し、その意味を理解した。


「なるほど、銀の弾丸による狙撃。」

「その通り。君を狙ったレジェンド銃ではないから、威力は低めだけどね。でも、ほとんどのモーンストルムはあれで十分だし、君相手でも動きを止めるくらいは出来る筈よ。」


 ライラが来なかった理由はもう一つあったらしい。

 それが合図とともに乱入してきた車が物語っている。


「あいつの相手は特殊課に任せて、外傷歯の状態を確認するわよ。さ、睦君、美夜ちゃん手伝って。」

「はい!」


 と、大きな声を出したのは美夜だ。

 そして外傷歯と言われて気が付いたのは、少年の方だけ様子がおかしいということ。


「あー、これは暴れるやつね。睦君、お願い。美夜ちゃんは私のカバンから器具を出して。引っ張り出して歯牙固定するわよ。転んだって人、前に見たわよね。」

「覚えてます。レイラ先生。」


 そして少年を抑えながらの緊急治療が始まる。

 同時に警察が狼男を取り囲む。


「全く。どれだけズレてるのか、それだけ美夜ちゃんが魔性の女なのか。普通に考えたら揉み消そうなんて考えないでしょ?岩城刑事はあれからうちの病院に頭を下げに来たのよ。それが人間として当たり前の行動でしょう?美夜ちゃんもその時何度か会ってる筈だけど……」

「覚えてますよ。今の私はどっちの記憶も戻ってますから。」


 確かにその通り。

 救急病院に搬送されたなら、彼らの耳にも入る筈だ。

 けれど、それがない以上、水無月歯科に運ばれたのは誰でも分かる。


「それにしても岩城刑事。貴方が追っているのって人狼ではなかったかしら?」

「そうだ。でも、残念ながらこいつじゃない。こんな青二才なら苦労はしねぇよ。俺が追ってるのは三百年以上生きている化けもんだ。そもそも、こいつの行動は目立ち過ぎる。」


 あの時だってそう。

 容疑者と親交があったとはいえ、一般人を人質として使うのは常軌を逸している。

 それで怪しんだ岩城が、あそこには居なかったと偽の情報を流したのだろう。


「でも、彼から情報を引き出せるでしょう?それにこの騒ぎは風花たちがいなければもっと大変だったんじゃないかしら。」

「……考えとくよ。でも、俺はまだお前も疑ってるからな。」

「あらあら、ずいぶんと嫌われたものね。」

「お前は嘘ばかりつくから、信用できないんだよ。」


 喋りながらも犬歯の牽引と左右への歯の固定は進んでいる。

 だが、ここでまた少年の体が大きく跳ねた。


「って、おい!こいつは——」

「大丈夫よ。根切すればまだ間に合うわ。岩城刑事は邪魔だからあっちに行ってて。」

「かー、あの気持ち悪い治療すんのかよ。くわばらくわばら。ま、貢献ポイントについてはお上に伝えておく。今回の事件、なーんか嫌な予感しかしねぇけどな。」


 そこで岩城刑事は拘束されている男集団の所に戻っていった。

 美夜はその術式を知っていたらしく、麻酔針、ディスポーザブルのメス、剥離子などを迷いなく準備していく。


「通常は根っこの先に膿が溜まっている時にやるんだけど、モーンストルム器官との接続を切る場合にも行うのよ。その場合は歯根端切除ではなく屍魂端切除しこんたんせつじょになるんだけど……」

「なるほど、歯からの信号を失くせば良いのか。……あれ、これって俺の時にも出来たんじゃ。」

「馬鹿ね。この子はちゃんと矯正治療を完了しているわ。モーンストルムにならないように体も心も矯正されている。どこかの誰かみたいに途中で放り投げていないわ。」

「……俺、マジでやってしまったわけか。」

「そう。そっちの女の子もね。ご両親が出してくれた矯正治療費だと分かっているから、ちゃんと治療をする。勿論、若いうちから矯正した方が歯も動きやすいし、何より歯並びが綺麗な方がモテるわよ。……君の場合は既にこの子がいたから、考えもしなかったんでしょうけどね。」


 ライラは歯茎にメスを入れながら、冷たい視線を睦、美夜と交互に向けた。

 睦はバツの悪い顔をしているが、美夜は視線に気付いていないのか、ニコニコとしている。

 目の前にグロテスクな小手術が行われていても、美夜はただ興味深そうにそれを眺めている。

 睦はそこから視線を逸らして、深い溜め息を吐いた。


「途中まではやっていたんだよ。でも、やめたら後戻りしていた。……今の美夜と同じ……か。俺が中途半端だから、後戻りしてしまったんだな。」

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