第34話 記憶を取り戻した少女
校庭はライトで煌煌と照らされている。
だから遠くからでも良く見える。
双眼鏡を片手に一人の男が木に寄りかかっている。
「山之内が感染源か。あの時は異物が混じったから、結論は先延ばしにしていたのだが……」
想定外の雑魚が迷い込んだと思ったら、雑魚は雑魚でも鬱陶しい雑魚だった。
発見できなかったのも仕方ないし、鬱陶しいのも仕方ない。
赤鬼の本体があいつだったから見抜ける筈がない。
「ロウはそんなこと聞いていない、という不満顔だな。ウィナーズに形式上の報告をしたら、お前が勝手に食いついた。責任を持って対処してくれ。」
話しかけたとて、ロウは聞こえる距離にいない。
大きな声を出しては、異分子に見つかってしまう。
「いや、自業自得か。一級が生まれたなら、即座に報告して貰わないとな。」
モーンストルムを引き継ぐ者は、戦前に世の中から隔絶されている。
ただ彼らの一部は隠されて、そして崇められていた。
結果的に富裕者に隠されていることが多く、遺伝子持ちも富裕者に多い。
その中で国のトップレベルのエリートが育つ大志館大付属は外すことができない学校だった。
モーンストルムの発現は高校時代が一番多い。
「将来、我々の為に国を動かす存在になって貰わねばな。」
男は溜息を吐き、眉間に皺を寄せてそう語る。
ウィナーズではあらゆる方法が試されている。
そして、あれは偶然起きた現象だった。
虫が媒介して、モーンストルム遺伝子を人間に組み込む。
普通はそれだけで怪人は作れない。
「富裕層は必ずといって良い程、子供を矯正歯科医に連れて行く。そうでなくとも、あの症状が出れば普通は歯科医院に行ってしまう。全く、迷惑な仕組みを考えたものだ。」
男は舌打ちをして、双眼鏡を鞄に収めた。
そして、木々の間を縫って森の中に消えた。
——その男がロウと呼んだ人物は舌打ちをしていた。
「チッ。マジかよ。うざったい野郎だな。雑魚のくせに出しゃばりやがって。」
「違う。お前の考えが小雨後の水溜まり程度に浅いだけ。この程度で人間が恐れる存在になる筈がない。」
美夜の芳しい魅力で無理やり刺激させても、形成不全を起こすだけだった。
だから、似非モーンストルムになってしまう。
「それがどうだって言うんだよ。別に僕はこいつらに期待していない。っていうか、これも狙ってたし。邪魔が入んなきゃそれでいいんだよ。」
「そう?やっていることが人狼らしくない。こんなことをしてタダで済む世界ではない。」
「そんな考えしてるから、日陰で暮らさなきゃならないんだ。でも、僕がこの世界を変える。あんな奴のこと忘れて、僕と一緒に来ないか?悪いようにはしないからさ。お前は本当は戦えないんだろう?モーンストルムを誑かす存在。人狼となんら変わりはしない。」
当時の学校の様子を鑑みて、辻宮美夜が原因としか考えられなかった。
実際、以前会った時よりも少女は魅力的になっていた。
「当たり前よ。私はモーンストルムではないのだから。お前達の言う、狩られる側の人間よ。でも、人間にも色んな個体がいるの。」
「モーンストルムじゃない?……いや、それを言ったら僕だって元々人間だ。不自由な一般的な人間だ。なぁ、もう良いだろう?そろそろ狩らせてくれよ——」
竜崎、達川、いやロウは自身の爪で少女を斜めに切った。
ただ、視線がブレてその爪は彼女の衣服の一部を切っただけ。
「クソ。訳の分からない力を使いやがって。でも、分かったぞ。やっぱお前、戦えないんだなぁ。殺したことがないんだよなぁ?」
「人間だもの。殺せるわけないでしょう。はぁ……、やっぱり睦君だ。睦君のお陰で少しは動ける。ここにいないのに私を助けてくれる……」
その言葉がイラつかせる。
別に釣り糸を垂らしていた訳ではないのに、逃した魚が美味しそうに見える。
もう、美味しそうな匂いはしないのに、あの経験が彼を狂わせる。
「何、言ってんだ、お前。頼みの雑魚鬼もいない。だのに、なんで俺を見ようとしないんだ!」
この少女はずっと周りばかりを見ている。
それどころか、何かを探しながら敵対している。
前方不注意極まりないが、それが彼の感情を逆撫でする。
だが、少女は至極当然の答えを言う。
「絶対に失いたくないものはずっと見ていなくちゃダメでしょ。」
「バカにしやがってぇ。自分は殺されないって思ってんだろ。あぁ、そのつもりだったさ。でもなぁ、食っちまったらバレないんだよぉ!骨の髄までしゃぶってやる!」
ロウの本能が訴えていた。
この女を食べたい。
食べればもっと強くなれる。
何より、絶対に美味しいと。
——それでも美夜はどこまでも美夜なのだ。
この二人に遮られて、ずっと言えなかったこと。
はて?と思うことを確かめる必要がある。
だから、少女は叫ぶ。
ずっと言いたかったことを大きな声で。
「うち、帰ってきたよー!むつ‼」
その瞬間にも狼の
ロウが狙ったのは獣の如く、少女の首元。
そして確かに歯触りがあった筈なのに黒煙が口元から溢れ出る。
「——痛ってぇ。あれ?俺、どうしてここに?」
◇
上空を三体のハーピーが舞い、地上を吸血鬼が疾走する。
広い範囲を花凛と凛音が担当し、睦と風花が低空と地上から虱潰しに捜索する。
「……はぁ。臭いがきつすぎて逆に探せない。」
神社の実験が彼らにとって成功だったと分かる。
それほど学校周辺には、むせ返るようなモーンストルムの臭いが立ち込めていた。
「これだけの規模の現象を引き起こす。連中の一流を用意したということね。」
「俺と同じ姿をしているって噂か。全然実感ないけど、つまり俺と同じ一流鬼族ってヤツか。」
影岩高校にも同様の噂が広がっていた。
自分で蒔いた種だから仕方ないと思っていた。
そして同時に、考えなしの自分を情けないと思っていた。
巻いた種は火種と言う名前で、自分の周りには大量のガソリンが存在していた。
「まさか。一流鬼族は自らに火をつけないわよ。だから三流くらいを尻尾にして切っている筈。アレらも慎重な連中よ。君のような若気の至りを許さないほどにね。」
「……耳が痛い。でも、そうか。こんな異常事態を起こして逃げ切れる筈がない。DNA検査も当たり前な時代、自分の痕跡をばら撒く馬鹿はしないか。」
「それだけ必死なのかもね。アレらの気持ちが分からない訳ではないわ。君も知っている通り、私たちの戸籍は在って無いようなもの。」
「だから俺は美夜をそこから解放したかった。」
人権が認められていない。
例えば、ライラが裏で動いてくれなければ、睦は学校に通えていない。
こんな化け物の人権を剥奪するのは、分からなくはないが美夜は人間だ。
「そうね。花鈴も鈴音も君の行動を心の中では疑問に思っているけれど、流石に私は別。君の選択は間違いではなかったと思っているわ。」
「あの二人は納得していないってこと?」
「頭では理解していても、心が追い付かないの。結婚していれば違ったのでしょうけど。」
睦は息を呑んで、直上を飛ぶ橙色の女の顔を見上げた。
「……そう。モーンストルムから生まれた子供も同じ。その子が人間だったとしても、私たちと同様に扱われる。」
「そこも配慮がされていないのか……」
「だからアレらが暴走する理由も理解できる。——でも、同時に食い止めなければ私と彼の未来はない。」
「俺はそういう意味では恵まれていたんだな。まぁ、それもライラに協力するという条件付きだけど。」
圧倒的多数を守る為に法律は存在する。
その結果、モーンストルム同士が争う結果となった。
人間の役に立つなら、多少は目を瞑ると。
「だから、君には期待しているわ。私と彼の未来の為だけじゃなく、妹たちにもお目こぼしを貰えるような働きをね。」
逆を言えば、モーンストルムの大多数を敵に回さなければならない。
彼らの暴走の一端は自らの権利を獲得したいが為である。
「あぁ。分かってる。どこに隠れているか分からないけれど、俺が絶対に見つけてやる。どんな姿をしているか分からない虫使いを——」
彼女は身籠っているのかもしれないし、本当に未来の話なのかもしれない。
ただ、それはどうでもよい、本当に純粋な気持ちだった。
彼女の気持ち、そして時々お世話になっている彼女の夫の気持ちに応えたい。
だから、カッコよく宣言する予定だったのだが、体が突然前に進まなくなった。
「これ、一体。俺の体、いやたまし……いがあるか分からないけど、俺が引っ張られ——」
視界が揺れる。
そして頭の中にあの子の声が、自分を呼ぶ声が聞こえた。
その直後、右腕に痛みが走った。
「——痛ってぇ。あれ?俺、どうしてここに?」
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