第28話 信頼関係

 竜崎は今日も数名のカウンセリングを済ませて、コーヒーを飲んでいる。

 あの事故扱いの事件についての資料は一通り目を通した。

 それに、何人もの生徒の不安も聞いてやり、そしてその都度メモを取っている。

 因みに教員を含めて、女性ばかりが訪ねてくる。


 ——けれど、彼女だけはまるで音沙汰がない。


「今日も辻宮美夜は来なかったか。」


 どうして会いに来てくれないのだろうかと、不思議に思う。

 けれど、美夜を追い続ける日々も終わりが近づいている。


「ここまで手を込んで転入させていたとは。隣町程度の距離、すぐに見つかりそうなものなのに。」


 実は全国各地に辻宮家が爆誕していた。

 かなり近くにも誕生していたし、日帰りでは済まない場所にも辻宮家があった。

 そして、そのどれもが架空の戸籍だったのだ。

 だが、影岩高校に名前が残されていたことが一番厄介だった。


「結局は近場か。魔女の気まぐれと言いたいところだが、笑えないな。そのせいで特殊課は東奔西走する羽目になった。それにしてアイツがあんなことを言っていたとは——」


 ぶつぶつと考え事を口にしながら、山中町のキャンプ場のマップを広げた。

 そして彼奴等が通ったと思われる道を目で辿る。


「やはり車が一番可能性が高い。それとも大野組の連中か?どちらにしろ、彼奴単独とは思えない。」


 彼はキャンプ場案内を放り投げ、カップに残った冷めたコーヒーを一気に飲み干した。

 既に三日は経っている。

 いの一番に駆けつけてもおかしくないのに、まるで意味が分からない。


「美夜。俺はここにいるぞ。どうして俺に会いに来ないんだよ……。」


『コンコン』


 その時、ノックの音がして、彼は椅子から転げ落ちそうになってしまった。

 運良くコーヒーを飲みほしていたおかげで、スーツに汚れはない。

 ただし、盛大にカップを割ってしまった。

 その欠片を雑に壁際に蹴りながら、彼はドアに向けて声を張った。


「……力が増してきている?ま、いいか。コホン。——どうぞ、鍵は開いてますよ!」


     ◇


 初日にそれとなく美夜にカウンセリングの話を振ってみた結果。


「うち、あの先生怖いけん、ちょっとやめとこうかな」


 美夜はそう言った。

二人が求めていた答えをそのまま言ってくれた。


 ——やはりアンタッチャブルなんだ


 美夜とあの先生の過去がバレてはいけない。

 美夜が捨てられたのか、それとも美夜が終わらせたのか。

 彼女はびっくりするくらい、性格が変わっていた。

 今のが素の彼女なら、今まではあの男の影響を受けていたことになる。

 となれば、関係を忘れたいという思いで、美夜は変わったのかもしれない。

 二人はそうに違いないと考えていた。


「僕としては複雑な気分だけど、元カレさんだったら話くらい聞いてくれるかも。」

「私も色々聞いてみたい。神社で会った時は怖い人って思ったけど、あの時は全然怖くなかった。それどころかすごく優しそうだった。」


 美夜に相談せずに、あの先生に数多の気になる事案を聞いてみようと思った。

 すでに終わった関係なのだろうけれど、彼が元カノを助けた事実は変わらない。

 あの日、あの場所で、あの洞窟に入っていったのだから、誰よりも彼が一番知っている筈。


 ——あの先生に釘を刺さないと!

 ——あの先生と付き合ってたの?


 二人とも、別方向の気持ちがあるのだけれど、現時点ではとりあえず同じ方向を向いていた。

 だから、二人で一緒にノックをした。

 すると、ガチャガチャ音がした後に入室の許可が下りた。


「あのぉ。二人でカウンセリングって大丈夫ですか?」


 一瞬、先生がガッカリしたように見えた。

 もしかしたら今日はお疲れなのかもしれない。

 ただ、ガッカリ顔は直ぐに誠実で優しそうな教師の顔に切り替わった。

 

「二人で?勿論、構いませんよ。それに君たちの証言は僕の耳にも入っていますからね。当然、二人で来ると思っていましたよ。」

「すみません、お忙しそうなのに。でも二人で来ると分かってたんですか?……あ、そっか。あの事件のカウンセリングですもんね。」


 軽くうなずく白髪の男。

 その顔を見た途端、少女が我先にと口を開いた。


「えと、それじゃあ私から良いですか?先生は美夜の彼氏さんですか、元彼さんですか?」


 竜崎はその質問を聞いて、俯いてしまった。

 そして、眉間を抑えながら、悲しそうな顔で呟いた。


「……美夜には悪いことをしたと思っている。あんな仕事をさせてしまって……」


 竜崎にとってはお茶の子さいさい。

 生徒の噂話がここで活かされる、筈なのだが。


「——え?どんな仕事をさせたんですか⁉あんな仕事って……、まさか——」

「——え?どういうって。……いや、違う違う。それは全部僕の嘘で、本当は普通に歯医者さんでのお仕事だから!」

「えっと……、そうですよね。先生がそんなひどいことするわけないですよね。私が聞きたいのは、先生が今も美夜が好きかどうか、なんです。」


 九条里奈は、全部美夜のせいだと思っている。

 この学校の不文律を乱したことで、恋愛脳持ちが増えてしまっている。

 そんな少女の質問に、美形の男性は口を噤んで、目を瞑った。

 ただ、沈黙が答えになることだってある。


「九条さん、今それを聞くのはやめようよ。バレたから強制的に別れさせられたんだろ。でも、だからこそ、先生も大人なんだから、あの子に執着しないで欲しいです。」


 教員が椅子から転げそうになった気がするが、彼は華麗に持ち直した。

 そして、まだまだ目を瞑っている。


「でも、僕が聞きたいのは別のことです。あそこで何があったかなんです。僕だけだと辻宮さんを守れなかった。何が起きたかさえ、分かっていない。このままじゃ、僕は辻宮さんを守れない!」


 少年の熱意が寡黙を貫く教師に伝わる。

 そして、竜崎は真摯な目を少年に向けた。


「——あぁ、約束する。本来、あってはいけない形だからね。それに僕と彼女は君たちが考えているような付き合いはしていない。所謂、清き交際をしていた。神に誓ってもいい。」


     ◇


 美夜はどこでも人気者らしい。

 それを竜崎はカウンセリングの前から知っていた。

 彼女の歩く道は薔薇しか咲いていないらしい。

 ただ、少年はあの日の出来事について聞きたいらしい。

 ここでやっと、話を前に進められる。


「そして、あの日か。警察には話さないように言われているんだけど、君たちは見てしまったからね。それに辻宮さんも。あの日——」


 そして竜崎はあの日のことを簡単に語った。

 個人名は出していないし、モーンストルムについても語っていない。

 

 でも、それだけで十分だった。

 この事件はなかったことにされている筈だから。


「六人も……。やっぱり完全な黒じゃないか!犯罪行為以外の何物でもない。警察は何をやってるんだ!」

「嘘、そんな怖い思いを……。本当に危なかったんだ。」


 そして信頼される。

 

「でも、すごいですね。美夜ちゃん、先生がいたことさえ気付いていなかったんです。私が男だったら、絶対に正体を明かしちゃう。……だから、先生は凄いです。」


 だから、彼も彼女も洗いざらい全てを話してくれる。

 彼女など、我先にと話をしてくれる。

 彼はそんな彼女を引き気味に見ていたが、結局は同じ。

 巨大な陰謀に踏み入れた高揚感、もしくは自分こそが選ばれた人間と思い始めたのか、面白いほどたくさんのことを話してくれた。

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