第24話 鬼退治

 九条里奈と桜井新次郎は胸騒ぎを覚えていた。

 スタート直後に待っていては警戒される、その考えが失敗だった。

 途中までは普通に進んで、そこで暫く様子を伺っていたのだが、いつまで経ってもG組が来ない。


「なんで来ないの?もう、十分以上経ってるわよ!」

「分からない。とにかく、探すべきだ。——済まない。二人とも先に行ってくれないか。僕たちはちょっと用事を思い出したんだ。」


 突然、そう言い放って、二人とも来た道を走り始めた。

 細かい説明をする時間が惜しかった。

それほど、大胆過ぎて読み違えてしまった。


「普通、こんなことする?単純に美夜と肝試ししたいだけじゃなかったってこと?」

「あいつらが?まさか!確かに辻宮さんは魅力的だけど、これがバレたらタダじゃ済まないぞ。」


 学校が許可を出したから可能になった特別行事だから、迂闊なことはしないと考えていた。

 バレたら間違いなく成績に響くし、それなりの処分が下されるかもしれない。

 それは自分たちの首を絞める行為。

 だから、走りながらも最悪なケースは頭に浮かばなかった。

 けれど、彼らは次第に暗くなっていることに気が付いてしまう。


「え、ちょっと待って。赤い光が消えている……。これ、どういうこと?」

「嘘だろ?ここまで準備していたのか。おそらくは誰にも邪魔されないように違うルートを進んでいるんだろう。いくら待っても来ない筈だ。」

「あぁ、もう!私も懐中電灯持ってくるんだった!スマホのライトじゃ全然見えない。」

「どうする?一度戻って報告するか?真鍋先生が待っている以上、最終的にはそのルートを通る筈だ。」


 流石にそれは考えていると思えた。

山之内も伊集院も、それなりの家の出とはいえ、女生徒一人の為にそこまでの危ない橋を渡るとも思えなかった。

 

「分からないよ!少なくとも、伊集院君はそんなことしないと思うけど、山之内君は美夜を付け狙ってたし……」

「でも、こんなに暗くちゃ……。辻宮さんはどこに——」


 その時、彼らが目を塞いでしまうほどの突風が起きた。


     ◇


 美夜の意識は朦朧としていた。

 投げ飛ばされて、背中を強く打った。

 それも一つの理由だが、伊集院が話した噂。

 そして茶髪の男の話が、彼女の頭の中をぐしゃぐしゃにしていた。


「おい。ちょっと何言ってんだよ。ここで俺が活躍して、そんで別ルートで出口に向かうって作戦だったろ?」

「あぁ?いちいちうぜぇんだよ、お前。兄貴も、山之内にこき使われてたんだろ?」

「……あぁ、そうだ。ここの町おこしにゃ、山之内グループの誘致が必須だったってだけだ。」

「そうだよ!それで、お前は快く俺の計画に協力して——、ぶべぇぇぇ!!」


 そこで山之内は洞窟の壁まで吹き飛ばされた。

 そして、彼は英雄のえの字もつかないまま、意識を失った。


「てめぇらもそう思わねぇか?やりてぇと思わねぇか?」

「あぁ、そりゃそうだ。」

「ここは俺たちの土地だ。土地に入ってきた女は俺たちのものだ!」


 彼らの気持ち悪い息遣いで、少女は懸命に理性をかき集めた。

 どう考えても普通じゃない。

 だが、何故かこの雰囲気には覚えがある。

 でも、それを考えてしまうとまた頭が痛くなる。


「つまり本当に暴漢。うち、あんたたちなんかに負けんけん!」


 流石にここまでの思いをしたことはない。

 理由は分かっている、確信している。

 彼が助けてくれたからだ。

 だから、その記憶を繋げるためにも少女は立ち上がる。


「痛っ!」


 けれど、彼女の今の力は人間の範疇である。

 超回復など備わっておらず、挫いた足は挫けたまま。


「悪いようにはしないからさぁ。ちょっと骨とかは折っちゃうかもだけど。」

「お嬢ちゃん、強いからなぁ。二、三本じゃあ済まねぇかもなぁ。あー、ありゃ痛かった。」

「——誰か、助けてぇぇぇぇ!!」


 足を挫いたから、心が挫けたわけではない。

目の前の男たちが普通ではないからだ。

目を血走らせ、残暑なのに湯気が出るほどに息が荒く、——そして全身が赤黒く、大きく膨らんでいる。


——つまり、アレらは赤鬼だ。


 だから、少女は必死にスマホを触った。

 けれど、やはり電波はなく。


「ふへへへへ。……助けなんてこないんだよ。」

「い、伊集院君、これは立派な犯罪行為だよ。今逃がしてくれたら……」

「知らねぇよ。今、やれることをやるだけだ。つーか、マジで食っちまったらいいんじゃね?」


 やはり普通じゃない。

 そして、ここに来てはっきりしたことがある。


 ——うちは約束を守らんといけん。


 ならば、動けることを信じて洞窟の出口まで、いや他の誰かに出会うまで走り続ける必要がある。

 あとは、どれだけ上手く隙を作れるか。


「う、うわぁぁぁ、なんだこいつら!」


 ただ、その隙は案外簡単に勝ち取れた。

 山之内には申し訳ないが、彼との約束の方が大切だ。

 赤鬼たちの横をすり抜けるイメージを頭に浮かべて走りだす。


「クッ……」


 ただ、最初のスタートが遅れてしまった。

 だから、彼女はすぐに捕捉されて長い爪とごつい腕が飛んでくる。


 ——私恨嘆切除しこんたんせつじょ


「おっとぉ。逃がすかよぉぉぉ。あにきぃ、山之内を頼んだぞ。ふへへへ。やっとこの腕に君を抱ける。まるで空気みたい……?」


 文字通り、ごつい腕だけだったが。


「え?どういう……」


 さらに次の瞬間。


 ——死臭煙ししゅうえん


 視界が突然暗闇に包まれた。

 ただ、どれだけ意味が分からなくても、確かにあった出口に向かって走るしかない。


「む————」


 そして、少女が無意識に発した声は別の誰かによって受け止められた。


「美夜!」

「辻宮さん!走れる?」

「里奈ちゃん!桜井君!ゴメン、うち、足挫いた!」

「じゃあ、僕らにつかまって!」

「うん……」


 少女は一瞬だけ黒い煙の中を見た。

 けれど、どこまでも暗闇でその中に夢の彼を見つけることができなかった。


 

    ◇


「なんで俺が行く必要もない学校に通わなくてはならない?」


 白髪の青年は紫紺髪の女に半眼を向けた。


「前にも言ったでしょう?人間の発育には順序があるの。そして個人差は多少あるけれど、歯の発達はとても参考になるのよ。」


 聞いたような気もするし、聞いていないような気もする。

 だから、彼はまだ半眼を続ける。


「……ほんと、行きたくないのね。でも、ダメよ。それが君の仕事だもの。第二次性徴期は分かるでしょ。あれと同じ。親知らずの萌出がモーンストルム器官の発現とほぼ一致する。つまり君の立場は本当に都合が良いのよ。」


 そこで少年は肩を落とした。

 確かにそれは以前に聞いた。


「それ、命令?」

「えぇ、命令。だってそれが君が自由にできる条件だもの。あの時に警官を追い払えたのも、私が政府と話をつけたから。」

「俺に説明も無しにかよ。」

「それだけ深刻なのよ。これ以上はもう、隠しきれないくらいまで来ているのよ。」



 白髪の青年・睦は、上司の命令を思い出していた。

 そして今、目の前でモーンストルム器官の覚醒が認められた。

 適切な治療を受けなければ、彼らの理性は吹き飛んでしまう。


「お月様はいつでも側にいる……。俺たちを見守ってくれている。」

「なんだ、てめぇ。」

「俺の手がぁぁぁ、手がぁぁぁ。」


 彼女がいなければ、彼女が洞窟に連れ込まれなければ、もう少しやりようがあっただろうが、流石にあれ以上は我慢できなかった。


「集団でのモーンストルム現象を確認。魔女の言った通りか。」

「兄貴ぃ!あいつ、俺の腕を!」

「吠えるな、すぐに生えてくる。それより選べ。俺に歯をへし折られて歯医者に行くか、それとも大人しく歯医者に行くか。」


黒の外套を纏っているせいで、黒い煙と同化して白髪と赤い瞳の頭しか見えない。

だが、それでも十分にその力は伝わっている筈なのに、覚醒したばかりの彼らには理解が難しかったらしい。


「どっちも歯医者行きじゃねぇか。つーかなんで歯医者なんだよ!」

「俺は免許を持っていないからな。さぁ、早く選べ。……戻って来ないとも言い切れない。少し干渉してしまったからな。お前達のせいで。」

「選べじゃねぇんだよなぁ。俺たちはいくらでも選べる。んで、お前は選べねぇんだよぉ!」


 赤鬼レッドオーガもどきが六体、それが一斉に飛び掛かってくる。

 だが。


 ——屍魂吸収エナジードレイン


 彼らは為す術もなく、膝をついた。


「この程度でモーンストルム?……魔女の言った通り、雑魚レベルでもモーンストルム遺伝子が発現しているのか。へし折られるか、大人しくついてくるか。俺としては大人しくついてきて欲しいんだけど。……月並みな表現だけど、悪いようにはしないからさ。」

「このガキ!今すぐ食ってやる!」


 ここに赤鬼伝説が存在することは、ライラから聞かされていた。

 だから、この話が出回ったときに無理やり捻じ込まれたのだ。

 ただ、美夜がいたことは誤算だった。


(どんな気持ちで向き合えばいいんだよ。あの魔女、マジで性格悪い……)


「了解。それじゃ……、——屍干破折しかんはせつ——ぶん殴り!」


 結果、物理攻撃。

 理由は彼が歯科医師ではないから。

 ただ、ライラから歯をへし折れば、一時的にモーンストルム器官が停止すると聞いている。


「へっぶしゅ!」「がばしゃ!」「ごぼっぐ!」と色んな音を奏でながら、睦は彼らをボコボコにした。


「犬歯だけ折るのって難しいな。ま、どっちみち歯医者行くんだから、大丈夫だろ。……ん?」


 前歯全てをへし折りながら、睦は洞窟の端で震えている男を一人発見した。

 そして、クンクンと鼻を動かす。


「わ、わ、なんだ、お前!お、お、俺は何もしていないぞ。その化け物も一体なんなんだ!」


 しかしながら、その言葉を発した瞬間だった。

 山之内は心の中で一度死んだ。

 でも、それはただの夢の記憶だったらしく、相変わらず赤い瞳に睨まれている。

 そこで同時に彼の心に一つの言葉が浮かんだ。


 『美夜に近づくな』


 ただ、白銀の青年の口から聞こえたのは別の趣旨の言葉だった。

 しかも、訳が分からず、更には目を剥いてしまうような話。


「——成程、その可能性もあるのか。赤鬼モーンストルム遺伝子を僅かしか持っていないのに発現した。その原因はお前?ならお前にも聞いておこうか。歯を折られて歯医者に行くのと、黙って歯医者に行くの、どっちがいい?」

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