第20話 それぞれの学園風景

「えと、うちはまだそういうの、よう分からんけぇ……」

「じゃあさ、友達からってのでどう?」


 少女は週に一回か二回はあるイベントに戸惑っていた。

 彼女の記憶では、この手のイベントは学期末に一度か二度程度だった。

 それが何故か、夏休み明けから頻繁に起きるようになった。


「友達……よね?えと中学の時から」

「……え!友達になってくれるの?」


 こういう会話も聞き覚えがない。

 今まで、どんな学生時代を過ごしていたのか。

 それとも、この学校では高校一年生くらいから思春期を迎えるのか。


「うん。それは大丈夫。……でも、付き合うとかは、よう分からん」

「それは俺もだって。……って、やば!んじゃあ、友達からってことで!」


 一つ年上の先輩は焦るように立ち去ってしまった。

 因みに、これも定番の行動である。


「美夜、ダメだって!あんな簡単にオッケーだしちゃ。」

「そうだぞ。俺たちの中にも不文律ってもんがある。それが最近どうにもおかしい。んで、おかしいのは美夜、お前に原因がある。」

「里奈ちゃん。……それに桜井君まで。うち、そんな不文律があるって知らんよ?」


 記憶にあるのは両親の言葉。

 この学校は将来有望な若者が集まっている。

 だから、大いに友達を作れと言われている。

 そして、それが意味する理由もなんとなく分かる。


「結構、偉い人達のお子さんが集まっとるって、お母ちゃんがゆってた。それと関係あるん?」

「……そう。だから、行動に出るときは慎重に。そのバランスが崩れているのは美夜の雰囲気が急に変わったから。美夜、彼氏がいたんじゃないの?」


 少女はその言葉に目を剥いた。

 そして同時に襲う、やりきれない気持ちが心臓を鷲掴みにする。


「……彼氏なんておらんもん。ずっとおらん。うち、幼馴染の子と約束しとるけん。」

「幼馴染⁉」

「え、そうなの⁉え、でも、それいいじゃん!ロマンチック!今、どこの学校に通ってるの?やっぱり地元の高校?」


 これが少女の憂いの理由。


「えっとね。その————」


 彼女は友人に懸命に説明をした。

 あの日約束した彼は、今どこにいるか分からない。

 それどころか、神無月の戸籍上存在していない。

 必死に探したし、何度も地元に問い合わせた。

 けれど、そこでなんと、辻宮の本家からのお墨付きまで貰ってしまった。


——そんな人間は存在していないらしい。


 それでも少女は確かに覚えている。

 だから美夜は、残りの昼休みの時間を全て費やして、彼の存在を証明しようとした。


「もしかして、ド田舎過ぎてイマジナリーフレンドを作ってたの?」

「いや、それか狐に化かされていたか、だな。……あくまで美夜が事実を言っているという前提だぞ。美夜を信じたい気持ちがあると俺は言いたいんだ。」


 ただ、実は美夜も頭を抱えている。

 どう説明しても、里奈の言っているように、ただの幻に辿り着いてしまう。

 所詮、五歳の時の記憶なのだ。

 里奈が同じ悩みを抱えていたとすれば、成程、五歳児ならば仕方ないと思ってしまう。

 そして、そこで。

 また、知らない誰かが話しかけてきた。


「よし、分かった。美夜君にはそういうオカルト趣味があったわけだね。——俺の兄貴、もう大学行ってるから車乗ってるんだよねぇ。」

「山之内君、ちょっといきなり何を——」

「大丈夫、そんな変なことじゃないよ。秋は運動の秋だ。だから、今度のシルバーウィークに、みんなでキャンプに行くってのはどう?山は神聖だからさ、もしかしたら美夜君のイマジナリー……、いやきっと妖精さんに会えるかもしれない。」


 いつもなら、親衛隊のように左右を守ってくれる二人。

 でも、今日は違っていた。


「いいかも、それ。今は自粛期間も終わっているし、引き籠っている方が不健全だわ。ただし、ちゃんと学校の先生の許可を得ること。それから各自の両親とも相談すること。」

「と言っても、まだ誰が参加するか決まってないだろ。美夜は決定としてもさ。」

「えぇぇ⁉うちは決定なん?」

「そうね。せっかくなら、正しく交友関係を築きましょう。放っておくのも危なそうだし!」


 因みにだが、ここは有名私立高校であり、授業料もそれなりに高い。

 そして、美夜は成績優秀者故に授業料を免除されている。

 だから、両親もなんとかやっていけているが、それでもやはり負担は大きかった

 ここで文武両道な勝ち組達と仲良くなることこそが、美夜の使命である。


「……うん。わかった。キャンプじゃもんね。里奈ちゃんも来るんじゃったら、うちも行く!」

「おし。それなら俺も行く。」

「ちょっとー。美夜は私と行きたいって言ったのよー。」


 この「美夜をキャンプに連れて行こう」作戦は、あれよあれよとエリートたちによって完璧な段取りが組まれていった。


 ——そして、5連休全てを使った学校の一大イベントに発展していくのだが。



     ◇


「おーい。神無月ぃ。」

「神在月君ね。そういう所はちゃんと気を使いなさいよ。」


 クラスメイトの二階堂鈴にかいどうすず長谷部雄介はせべゆうすけの頭を小突いた。


「悪い。なんか、かみありつきだっけ?そっちの方が覚えられなくて。」

「だったら、睦で良いじゃん。名前は変わってないんだから……、ってまだ元気無さそうね。」


 睦はいままでと同じ公立高校に通っていた。

 公立高校だからこそ、セーフティネットに引っかかることが出来たとは、ライラの話だ。

 彼が机に突っ伏しているのは、落ち込んでいることが原因。

 ただ、それ以外にも色々理由があった。


(あの女。自分の立場を利用して、俺をパシリ扱いしやがって。)


 彼の最近の仕事は闇の歯科業者としての宅配業務である。

 と言っても、大野達にモーンストルム関連商品を持っていくだけだが。

 それで眠くて突っ伏している、これも原因。


 ——ただ、なんと言っても暑い‼


 これが机に倒れ込んでいる一番の原因だった。


(この暑さは堪える。……十億の月の結晶があれば、どうにかなるとか、ならないとか。)


 あの時一億円の借金は消えた。

 そして、定期健診費用が発生した。

 実はその時、もう一つの案が提示されたのだが、睦はそれを悩むことなく蹴っている。

 だから、今の彼の状況は自業自得、いや遺伝子に従った行動と言える。


「今日は日差しが強い……から」

「んー、そうね。朝の天気予報だ曇りって言ってたのに、そういえばそうね。私も残暑ってきらーい。」

「暑いからヘラってたのか。いや、それだけじゃないか。精神性メラニン色素細胞機能不全、精神性難聴みたいなものだっけか?」


 そういうことになっている。

 実際に色素が失われる病気はある、それに准えて適当な病名が書かれた診断書を受け取っている。

 今も、直射日光は出来るだけ避けるように言われているから、いざという時の為に診断書も懐に入れている。


「……あとは夜のバイトで眠い——」

「なんか、あれだな。お前、急に幸薄いキャラになったな。俺、リアルで真っ白に燃え尽きたやつ見たの初めてだ。」

「長谷部!だーかーらー、そういうの言わないの!それにしても、美夜ちゃんって案外冷たかったの……、——へ⁉」


 鈴は彼の宝石のような瞳を見ていただけで、自分は死んだと錯覚した。

 そしてあまりの恐怖に尻餅をついて、泣き出してしまった。

 クラス中いや廊下の生徒たちの目が一斉に集まる。


「あ、いや。……悪い。つい。やっぱりそう思えてしまうのか。……俺の計画、グダグダだな。結局こっちも使わないといけないのか。」


 確かに今、殺そうかと思ってしまった。

 でも、忘れてはいけない。


「お月様は見てくださる。例え、太陽が眩しくて見えなくとも、——彼女はずっとそばにいる。」

「む、睦?」

「いや。本当にゴメン。ちょっとだけ、イラっとしてしまったんだ。だから格言を言って落ち着かせていた。鈴、本当にゴメンね。鈴にイラついたわけじゃないんだ。」


 この学校の生徒たちがそう考えていることにムカついて、そして殺してしまおうかと思ってしまったのだ。

 そして、結局あの魔女の手の上にいる自分。


 だから、彼は小さく、本当に囁くように犬歯の意志を使う。


 ——公衆圏詐こうしゅうけんさ


(ネーミングセンス、また馬鹿にされそうだな。でも、俺の歯が知っている言葉だし、俺の脳が知ってる程度のことしかできないし)


「これを見て欲しい。あんまり見せたくないものなんだけど。」


 彼の声はいつもと変わらない大きさ。


「俺はあることをして家族に捨てられた。……でもさ、暮らしのレベルってお金が無くなっても、自分じゃ簡単に引き下げられないよね。」


 そして、その澄んだ声は校舎中に響き渡る。

 彼の下級眷属・吸血コウモリの権能、超音波による構造把握を用いた奇跡。

 西洋の教会で壁に囁いた声が、反響して反対側の誰かに聞こえてしまう、あれを彼は学校で行った。


「それで俺は一人になっても豪遊を続けた。信じられないほどの高い買い物もした。顔なじみがいたから。……で、これがその借用書。一億って書いてある。それが俺の借金の額。」


 月の石はモーンストルムの能力を抑えるだけでなく、その多孔性により人間のままモーンストルムの能力を少しだけ使用することが出来る。

 そして、月の石でなければダメらしい。


「一億円の借金……って、お前。それにこれ三億って書いてないか?」


 ——え?三億?あの魔女め‼

 と、彼が心の中で目を剥いたことはさておき。

 診断書と共に、借用書まで持たされていたのだから、こういう展開も彼女は予想していたのだろう。


「そう、三億。借金は借金を呼んでしまった。でも、俺はまだ高校生だ。そして……、——美夜も高校生。俺と美夜の二人で、一番稼げる方法について話し合ってた大切な時にさ、あいつは俺をフリやがった。俺は一番稼げる方法を考えたんだぜ。一番手っ取り早いのは——」

「もうやめてよ!あんたが最低だってことは分かった‼」


 睦の頬に痛みが走った。

 ここから先は言わなくても、高校生でも分かるらしい。

 二階堂鈴はそのまま走り去ってしまった。

長谷部雄介も汚物を見ながら、彼女を追いかけた。

 そして、一人教室に残された青年は再び机に突っ伏した。


「これだけでも……、学校に来る意味はあった……かな」

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