第19話 バイト先で
「あー、今日はちょっと遅くなっちゃったなぁ。あんなたくさんの手紙、読み切れるわけないじゃんかー。」
少女は確かに過去の記憶で何度も告白されたが、ここまで露骨ではなかった。
心外なことに、恋愛にうつつを抜かしていると思われているらしく、エリート校の闘争心に火をつけてしまったらしい。
「お、美夜ちゃん!待ってたよ!」
「待ってないです。松田さんの治療は終わってますから、帰ってください。」
ここ最近の記憶の中で、唯一鮮明に残っている居場所。
どうしてバイトをしようと思ったのかは覚えていないが、ここの事はちゃんと覚えている。
「古石さん、遅くなりました!」
「あー、学校帰りだっけ。本当に頑張り屋さんね。それじゃ、滅菌系片づけちゃって」
「はーい!私、片づけくらいしかできなくて、本当にすみません。」
ここでは喋り方を変えている。
お仕事だから、当たり前。
美夜はそう考えて、あの時のような喋り方を無意識にしている。
それも居心地の良い理由なのかもしれないが、当然本人は気付いていない。
「あら、今日の予約はあと一人よ。ま、いつものごとく美夜ちゃん目当てで飛び込みが来るかもしれないけど。」
「私目当てとかじゃないですよ。レイラ先生がお綺麗だからです。」
「ま、そこは否定しないけれど。無理に来なくてもいいのよ。……あ、そういう意味じゃなくてよ。うちは助かっているから全然かまわないの。仕事帰りに寄る人多いから、にゃーごの手も借りたいのは間違いないんだから。」
水無月レイラ。
異国の血が混じっている綺麗な先生。
確か、夏休みは一日中働いていた。
そして、とても楽しかったと記憶している。
「全然大丈夫です。学校だと悪目立ちしちゃってるみたいなので、こっちの方が気が楽です。」
「ふーん。学校、好きじゃないの?」
「好きとか嫌いとかじゃないんですけど、私ってもしかしてここで勉強を教わってました?授業で教わることも、大体聞いたことがある内容だったりして。」
「えぇ。教えていたわよ。それに自分でも勉強してたわ。でも、今は悪いけど勉強部屋はなくなっちゃったの。」
「あ、全然大丈夫です。ここ、水無月先生の御婆様のビルですもんね。凄いです!」
少女はニコニコ顔で更衣室へと向かった。
そして、ピンクのナース服に衣替えをして職場に立つ。
その姿を待ってましたとばかりに仕事帰りのサラリーマンが急患を演じながら病院に駆け込んでくる。
ここ、一か月の定番サイクルである。
「美夜ちゃーん。先帰っていいわよー。明日も学校でしょ?それにあんまり遅いとご両親が——」
「まだ、大丈夫です。今日は遅れちゃったし。それにオートクレーブがまだ終わってないので!」
「それもやっておくわよ。」
「いいんです。っていうか、やらせてください。家に帰ってもすることないので。」
いつもはここで彼女は帰る。
でも、今日は違った。
あの環境破壊もののラブレターのせいでずいぶんと遅れたのだ。
そのせいで、診療も長引かせてしまった。
ピンク衣目当ての急患のせいでもあるが、結局それも自分のせいである。
「……ん?っていうかレイラ先生、タバコ吸ってません?ライラさんが吸っているのは知ってましたけど、先生いつも患者さんにタバコはダメって言ってるじゃないですか。」
「——あ、えと。最近、立て込んでてオンとオフの切り替えが……、じゃなくて疲れているのかしらね。」
少女がくんかくんかと女医の体に鼻を近づける。
そして、女医はバツが悪そうに少しだけ後退った。
「ダメですよー。患者さんに示しがつきません。ライラさんにも禁煙を勧めておいて下さい。」
「伝えておくわ。っていうか、そろそろ帰りなさいな。この辺り、夜はとーっても治安が悪いのよ?」
「大丈夫です!うち……じゃなくて私、腕には自信ありますから!返り討ちにしちゃいます!」
女医は軽く目を剥き、肩を竦めてポケットに手を入れた。
そこには確かに小型サイズで連続使用可能なソレが入っており、やはり疲れているのだと、もう一方の手で眉間を押さえて首を横に振った。
「腕に覚えねぇ。それじゃあ、お願いするわ。でも、本当に早く帰りなさいな。最近はゆかりちゃんにも早めの帰宅をお願いしているのよ。」
「うーん、あと30分くらい……かな。明日の朝の分が足りないから、もう一回オートクレーブ回しちゃったんです。」
30分という言葉を聞いて、レイラは壁掛け時計をちらりと見た。
「そっちは私がやっておくわ。どうも、警察が狙っている悪漢がうろついているみたいだしね。」
「はーい。じゃあ、とりあえず滅菌上がった分だけは基本セット作っときますね。」
(……そんなに治安悪かったっけ。テレビでも言ってなかったような……)
正直、あまり帰りたくはなかった。
この職場は居心地が良い、それだけでなく今更ながら両親に気を使ってしまう。
(うちのせいで、地元の仕事辞めちゃったんよね。——じゃけん、共働きじゃないとやっていけんくなって……、ほんま、家賃が高いのがいけん!)
少女がぶつくさ文句を言いながら、ピンセットでピンセットをつまみ上げた時、ガチャっとどこかのドアが開く音がした。
そのドアの隙間から目深にフードを被った男がチラリとだが見える。
(あれ、あの人。えと、技工士さんだったっけ。帰り際に時々見かける白髪のキレイなお爺ちゃん?って言っても、うち、後ろ姿しか見たことないんじゃけど)
「美夜ちゃん、もうこんな時間じゃない。今日の技工物は……これね。私、技工士さんと話するから、そろそろ上がりなさい。」
「はーい。そいじゃなるはやで着替えて帰りまーす!」
はて、石膏はもう固まったっけ?と思いながらも上司命令なので逆らうわけにもいかない。
だから、ものの十秒で着替えを済ませて、大きなリュックを片方の肩にだけ掛け、急いで更衣室のドアを開けた。
そして、フードの男性の横をすり抜けようとした時、リュックの肩に掛けていない方のショルダーストラップがドアノブに引っ掛かり、少女はつんのめって盛大にこけてしまった。
「はぅ!」
更には妙な声まで出してしまう始末。
ただ、少女は尻もちをついたまま、目を剥いてしまう。
(あれ……、この人。すごく若かったんだ。……それに真っ白で綺麗な顔、真っ赤な宝石みたいな瞳——、って、うちうち!うち、何考えてるんよ!)
「だ、大丈夫?」
「は、はい!大丈夫です!えと……、ありがとうございます。それでは失礼します。」
自然と差し出された手を、自然に握り返した自分がいた。
そして、そんな自分に驚いて急いで病院の入り口から逃げるように出て行った。
——そんな様子を彼も呆然と眺めていた。
「俺は技工士じゃねぇし。つーか、なんでまだ雇っているんだ?」
「環境の変化が必要とは言ったけれど、突然すぎる変化もよくないでしょ?それに彼女は人気があるから……ね?」
その言葉に半眼を向ける白髪の青年。
そして、肩を竦めて時計を見る。
「もう、こんな時間かよ。レイラの時間はとっくに終わってる。ま、どうしてレイラとライラを使い分けてるのかも分かんねぇけどな。」
「魔女のトリガーは残念ながら牙じゃないの。だから暇つぶしにやっているだけよ。羨ましいわね、詰め物を入れたり外したりするだけで切り替えられて。」
「……外したら、太陽の光で蒸発する。でも、魔女はしない。これのどこが羨ましいんだよ。」
「オンとオフがはっきりするじゃない。それに私の暇つぶしのお陰で、あの子は心の拠り所を残すことが出来たわけだしね。ある意味良かったじゃない。そんなことより、君はまだまだお金がかかるんだから、頑張ってね。それより今日も護衛をよろしくね。」
不気味な笑み、もしくは楽しんでいるような笑みを浮かべるライラ。
「チッ。それは仕事じゃない。俺が単にやっているだけだ。つか、月の石が材料って……」
月の石がいくらするのか、はっきりとは分からないがとにかく高額なのは間違いない。
つまり一億円は冗談でも、ぼったくりでも何でもなかった。
そして、能力を発揮する度に塞がれた穴が少しずつ開いていく。
だから、それを定期的に変えなければならないらしい。
「そう。だから高いって言ったじゃない。特に君は純度の高いものじゃないと、仮人間にもなれないものね。」
「これでも蒸発しそうになるくらい熱い。」
「我慢なさい。そのお陰で君は理性を保っていられるのよ。それに学校にだって通えている。それにしても笑えるわよね。両親に捨てられ、彼女にも捨てられたショックで白髪になってしまった、その設定が使えているんでしょう?」
「笑えねぇよ。じゃあ、行ってくる。」
そして、白髪の青年は彼女が出て行った側ではない、裏の入り口へ向かった。
それが彼の毎日の仕事で一番最初にしていることだ。
「睦君。気持ちを抑えなさい。——いつもお月さまは見ているわよ。例え、見えなくなったとしても。」
そしてこれが、毎回彼が聞かされる言葉。
「分かってる」
その言葉で毎回青年は姿を消す。
そして、女医は蒸気と混ざったタバコ成分を肺に入れる。
「本当に分かっているのかしらね。十五夜の月を見て、何も気付かないのかしら」
都会とはいえ、月ははっきり見える。
女医は月を睨みつけながら、ため息と水蒸気を吐いた。
「モーンストルムが増え始めたのが10年前。そしてあの子たちの人生が変わったのも10年前。ただの偶然で済めば良いのだけれど……」
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