第16話 美夜の作戦

 少女の口から絹を切り裂くような、拒絶する声がした。

 その言葉に頭が真っ白になり、たじろいでしまう。

 

「動ける者は奥の奴らを見張ってて。岩城さん、困りますよ。これは岩城さんの復讐劇じゃないんですよ?それに——」

「あ、あぁ。分かっている。お前達、五人で動け。レジェンド弾は出来るだけ温存しろ。」

「あと、先生は殺しちゃダメだよ。あとはどうでもいいけど、とにかく僕たちの目的は特級鬼族予備軍の彼だけです。お上は生かせと言っていますけれど。」


 睦の耳にも届いた彼らの事情。

 上とは違う理由で動いているらしいがどうでも良い。

美夜が震えながら、達川の腕にしがみ付いている姿が、睦の脳をフリーズさせていた。

 

 ——美夜だけが、自分の居場所?

 ——美夜ならきっと怪人の俺も受け入れてくれる?


「睦!動け!」


 後ろからもごちゃごちゃと何かうるさい。

朦朧とする意識の中で睦の目に映るのは、銃口をこちらに向けている岩城の姿と、銃口を少女に向ける達川の姿。

睦は人質を取られている、——元々、そっちが狙いだったのだろう。

けれども実際には、人質としての役割よりも、怯えさせて彼氏の心を挫く役割の方が、上流鬼族・睦の無力化に効果的だった。


 ——俺の居場所はどこにも……


だが、その時。

彼らの奥から警察官らしき人間が叫びながら走ってきた。


「岩城刑事!部長がどうして無線に出ないのかと、お怒りです!」

「あ?部長が?どういうことだ。」

「森脇ビル……、いえ、ここから緊急通話が発せられたと。」

「うぐっ‼お前、演技を——」


 そして、時間は動き始めた。

 それは睦の時間ではなく、美夜の時間なのだ。

 ガタガタと震えていた筈の美夜が、まずはわき腹に肘を入れた。

そして、掴んでいた達川の腕を強引に振り回して、そのまま転倒させた。

 

「睦君!逃げて!」

「クソ!最近のスマホってのはマジ……。岩城さん、早くあいつを撃て‼」


 だが、岩城の時間も別の理由により止まっている。

 

 その岩城をすり抜けて、藍色の髪を振り乱して、少女が真っ直ぐ走り続ける。

 そして青年は茫然としながら彼女を受け止めた。

 ただ、青年の顔を見た瞬間、岩城の脳は再起動を果たす。


『パーン‼パーン‼』


 そして乾いた破裂音が二回した。

 睦は自身の胸に衝撃を覚えて、美夜を抱いたまま仰向けに倒れた。

 だから、自分は死んだと思っていた。


「岩城刑事!発せられた無言電話から、発砲音らしきものが聞こえた、と自分は聞いております。だから、もうすぐ本部が……、——って、何やってるんですか!この子は一般市民ですよ!」


 先ほど無線連絡を伝えた警官が何やら慌てている。


「あちゃー。愛は種族をも超えるって奴―?ほんと勘弁してよ。岩城さん、これはマジで不味いですよ。敵討ち、出来なくなっちゃいますよー」


 睦の耳が、遥か遠くのサイレン音を拾う。

 そして、周囲の男たちがざわつき、慌ただしく立ち去る音が次に聞こえた。

 そこで睦は、自分が死んでいないことを悟る。

 音でしか判断できない。

だって、周りがよく見えないのだ。

 今、自分は仰向けに倒れていて、その上に美夜が乗っている。

 まるで恋人同士、いや恋人だけれども、こんなこともしたことがない、牛歩のような愛のカタチ。


 ——だが今は、そんなロマンチックな状況ではなかった。


 睦は漸く我を取り戻して、目の前の顔に語り掛けた。


「美夜?美夜?美夜ぉ‼」


 せき止められていた脳内の情報伝達物質が、大量の情報を処理していく。

 さっきの発砲の時、美夜は間違いなく射線に入っていた。

 そして、あの脆い銀の弾丸は自分の衣服を焦がして胸周りを火傷させた。

 つまり美夜は——


「良かっ……た……。睦……君……、生きてる……。ゴフッ——」


少女は口から血を零しながら、青年に微笑みかけた。

 弾丸は美夜の体を貫通していた。

 

「ダメだ、美夜!なんで、……なんで俺の為に。モーンストルムなんかの為に……」

「……だって。大好きな……睦…………」

 彼女の白いシャツが、まだ育っていない胸の辺りがどんどん赤い色に染まっていく。

そして、その赤い血が彼女の目の光を奪われていく。

 

「美夜‼美夜‼美夜‼」


 彼女を疑った自分のせいだ。

 自分のせいで美夜は死んだ。

 美夜は最初からずっと自分の味方だったのに。

 例え、自分がモーンストルムだとしても、美夜の気持ちは変わっていなかった。


 後悔が、懺悔の気持ちが彼を悶え苦しませる、——ただ、そんな中で空気を全く読まない奴がいた。


「うん。ベストな展開ね。純銀の弾丸を連射できる仕様に変えていたのは誤算だったけれど。でも、これであいつらを誰も殺さずに撤退させた。大野君、このお代は高くつくわよ?」


 ——こいつ‼


 睦は彼女を抱きしめているから、直接目を見て抗議はできない。

 でも、声を出すことくらいは出来る。


「ライラ、てめぇ。ぶっ殺すぞ。これのどこがベストなんだよ!」

「あらあら、怖い。そんな怖い君は、あのままだと特殊課の人間を何人か殺していたでしょ?彼らも逃がすつもりはなかったでしょうしね。——でも、一般人を撃ってしまったなら別。美夜ちゃんは人間側だもん。予め、普通の警察を呼んでいたのもグッジョブね。」

「そのせいで美夜が死んだんだぞ!」

「美夜ちゃんはね、最初からこれを狙っていた筈よ。だから私たちは邪魔をしなかった。君は彼氏さんなのに、美夜ちゃんの作戦に気付けなかったの?」


 そう、睦は失念していた。

美夜の睦に対する行動は互いに愛し合っていなければ、ストーカーと変わらない。

一億の借金後の初めての外出だったのだから、彼女がついてこない筈がない。


(いや。それでもおかしい‼……っていうか、こいつ何を言ってんだよ!)


「美夜は死んだんだぞ!俺を庇って……、俺なんかを庇って……」


 その瞬間、睦の体が軽くなった。

 美夜が立ち上がったわけじゃない。

 ライラが彼女を抱えただけ。


「ふーん、見事にど真ん中ね。多分、睦君の心臓を射抜かれること、頭を撃ち抜かれることを想定していたのね。ま、焦ったあの状況でヘッドショットは難しいでしょうから、心臓を……っていうか真ん中に連続で二発。まさか二連射出来るように改造していたなんて。これからは気を付けましょう。」

「てめぇ!」


 殴りかかろうとしたが、今はダメ。

 ライラは大切な美夜を抱えている。

 だから代わりに女医を睨みつけるのだが、その女医は睨みに対して、珍妙な顔で応えた。

 いわゆる、テヘペロ顔。


「あ、そかそか。睦君は知らないことになってたんだっけ。っていうか、おかしいと思わなかったの?彼女は……、——いえ、先に美夜ちゃんを治しましょうか。はい、美夜ちゃんを優しく抱いて。そして、モーンストルムのイメージを思いつく限り送りなさい。君の眷属なんだから、まだ間に合うわ。」


 その言葉で時が止まる。

 その言葉は救いそのもの。

 雑音も混じっていたが、彼に考える余裕はなかった。


「イメージ?……俺のイメージはうわあごの犬歯……。だから——」


 睦は犬歯が疼くまま、彼女の首元を優しく噛んだ。

 そして、少女の体がビクンと跳ねる。


「……あ……れ……、睦……君?私、また……助けられちゃった……、ゲホッゲホゲホ」

「美夜!……良かった、本当に……良かった。」

「美夜ちゃん、まだ喋っちゃだめ。これは応急処置のようなものよ。美夜ちゃんがモーンストルムになったわけじゃないからね。さて、今すぐ病院に戻るわよ。大野君、なんかこう、飛べる人いない?」

「さっそくですか。鹿之助。柚香に連絡を取ってくれ。」


 確かにいるところにはいるようで、飛べるモーンストルムがこの後数名飛んできた。

 そして俺たちを水無月歯科まで運んでくれたのだが、その間俺は美夜をぎゅっと抱きしめていた。


 ——どす黒い不安に眩暈を覚えながら

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