第12話 鈍感

 昨日の話はそこで終わった。

 現実離れした話ばかり、その根拠とする話を整理するには時間が必要だった。

 ただ、昼の診療が安全な理由はなんとなくだが理解できた。

 そして今日も差し入れという名の貢物を抱えた姫様がご帰還される。


「相変わらずだな。今日も平和だった?」

「うん。なんか、私の為に歯を磨いてきたって患者さんが増えてるみたいで、すごく世の中の為になってるなぁって感じ!」


 なるほど、美夜が居れば歯医者は要らなくなるのかもしれない。

 それくらい昼と夜とでは、同じ歯科医院でも雰囲気が違う。

 そして、その日の食事中のお喋りも平和そのものだった。


「睦君、覚えてる?私、小さな頃は体が弱くてあんまりお外にいけなかったって。だから、不謹慎と分かっていても睦君が帰ってくるのが楽しみで仕方なかった。あ、あの頃は不謹慎ってあんまり思ってなかったっけ。」

「え、そうだっけ。俺には元気な姿しか思い出せないけど。」

「ふふ。それはそうだよ。睦君に会えるんだもん。辛い顔なんて見せたくなかったから。」


 日に日に情報量が増えてくる。

 ここが普通の歯科医院ではないのは間違いない。

 そして彼女には危険と隣り合わせの現実を知られてはならない。


「そっか。気付いてやれなくてゴメンな。それにあんま覚えてなくて。」

「ううん。大丈夫。今、私は幸せだよ。」

「俺も。でも、やっぱり美夜には学校に通ってほしいから、頑張って稼がないとな。」


     ◇


 そしてまた、暇な深夜営業が始まる。

 偶に、一般の患者が来ることもあったが、ライラは応急処置だけ済ませてすぐに追い払っていた。

 八月の中旬頃まではそんな感じだった。

 暇な時間にライラは睦へ講義を行う。

 ただ、この日は違っていた。


「ストレスが歯ぎしりを呼び、そのせいで歯や歯の周囲、関節が悲鳴を上げる。これらも人間の歯が不完全だから。そもそも口の中は退化しているのではと、まぁこれは一般論だけれどね。」


 人間の口周辺の組織は不完全だから、虫歯になったり、歯周病で歯が抜けたりする。

 でも、それはいずれ老いて死ぬ生命なのだから当たり前な気がする。


「なんていうか、当たり前な気がするんですけど?」

「不完全だというのは、私個人の意見じゃなくて、一般的な歯科の有名な学者様が言っていることよ。でも、不完全ではなくて、別個体の遺伝子が邪魔をしていたとしたら。睦君。そろそろ往診に行きましょうか。」

「往診……、往診⁉そんな予約入ってましたっけ?」


 いや、そもそも予約簿なんて見たことがない。

 受付に置かれているのは、真夜中の歯科医院用ではなく、レイラの歯科医院用だ。


「仕方ないでしょう?先日の彼、他の仲間についてゲロったみたいなのよ。それで三日前くらいかな。警察とひと悶着あったらしいわ。ウィナーズが当事者の私たちから事情を聞きたいって手紙が来たの。チンピラ組織ウィナーズの末端とはいえ、放っとくと面倒くさいの」

「……ってことは、往診というか怒られる流れ?……みかじめ料を払わなかったばかりか、警察に突き出しちゃったから。」

「さぁね。診て欲しい者がいる、としか書かれていないもの。」


 ずっとこの建物から出られないと思っていたが、今日はまさかのライラとお出かけイベントだった。

 病院を閉めたら患者が困る、——とはいえ、ここに訪れる者はかなり少ないから少々留守にしても問題はないだろう。

 ただ、どう考えてもアレだ。

 怖い人たちの事務所に行くのだから、ウキウキ気分になれる筈もない。


「急患の心配はないわ。あの件は暗部に伝わっているみたいで、モーンストルムの患者が全然来なくなってるじゃない?」


     ◇


 白衣の女と黒い白衣の青年が真夜中のオフィス街を歩いていく。

 

「みかじめ料という言葉は不適切だけど、ちゃんと闇組織にも融通は利かせているわ。だって、そうでしょう?私たちが日本政府に融通利かせて貰っているのは、彼らを管理するという責任を背負わされているから。ただ……」

「え⁉日本政府が関わっているのか。……だから、俺と美夜の戸籍があんな簡単に——、っで、ただなんですか?」


 ただ、睦の質問への回答は帰ってこなかった。

 この質問会はライラが立ち止まることで終わりを迎えた。


「このビルよ。最近は不景気のせいで、こういう空きビルがあるから便利よね。昔はこういうやり取りをするために山奥まで行っていたものよ。」

「山奥ってどんだけ昔……、いえ、なんでもないです。っていうか、廃ビルで待ち合わせって。犯罪の臭いしかしない」


 老朽化しているビルはバリケードが張られており、解体予定が書かれたパネルが所々に貼ってある。

 つまり、不法侵入——


「不法侵入は適切ではないわよ。睦君、犯罪という表現は法律あってのことでしょう?今日待ち合わせているのは、『勝ちウィナーズ』の末端組織だけど、彼らも法の外の人間。法律とは本当の勝ち組である一般人の為のものよ。」

「本当の勝ち組?一般人……、——痛っ!なんだ、これ?」


 睦は言いかけて、歯に痛みを覚えた。

 そして、無意識に白衣の女を抱えて横っ飛びしていた。

 その距離は軽く10mを越えていたが、睦はそれには気付かず、柘榴色の瞳は暗闇を睨み返した。

 すると、彼の腕の中からスルリと女医がすり抜けた。


「睦君、私は私の身くらい守れるわよ。」

「……へ?あ、すみません。体が勝手に動きました。それより——」


 流石に廃ビル周辺は暗い。

 でも、そこに男が立っていることくらいは分かる。

 しかも、男は潜むどころか、堂々とこちらを睨み返している。


「おいおいおいおいぃぃぃ!てめぇら、何してくれちゃってんだよぉ。中村君がさぁ、俺たちのアジト吐いちゃったわけ。でも、俺たち中村君には手を出せない訳じゃん。この落とし前、どうつけてくれんだよぉ‼」


 先日のお客さん、中村礼二と似たような喋り方の男が、バッチリ固めたであろう髪をぐしゃぐしゃと搔きむしっていた。


「心外ね。あんなチンピラを寄越されたら出すものも出さないわよ。つまり、あんたも新人ね?……私をデンティスト・ライラと知っての狼藉なの?」

「あ?そりゃ、知ってるに決まってんだろ、警察の犬っころめ。ルーザーズかなんだか知らねぇが、立場を利用して暴利を貪る悪い奴だ。奪われて当然だろうがよぉ。」


 不意打ちをして、更には悪態を吐く男、彼は間違いなく悪い奴だ。

 でも、睦は彼の考えに同意してしまう。

 警察の犬になり、暴利を貪る?……その通り!


「睦君、何を頷いているのよ。うちは儲かっていないわ。全く、これだから素人は。今現在、一億円の赤字。——それにあんた!私は政府の許可を得ているのよ。しかも、それにも関わらず横流しもしているでしょう?筋が通っていないのはどっちか分かるでしょ?」

「許可取ってたらなんでもしていいのかよ⁉俺の舎弟の牙抜きやがってよぉ。俺が怒られっだろうが‼」


 凄みを利かせた男が、可愛らしく地団太を踏んでいる。

 ただやはり、彼の発言は、「その通り!」と理解できてしまう。

 そも、一億円の赤字とはいうが、それは睦の借金の額だから、彼女自身はそこまで損失を被っていない筈……、やはりうんうんと頷いてしまう。

 そんな部下を半眼で睨みつけ、ライラは肩を竦めた。


「とにかく私のことが嫌いなのは分かったけど、ここに呼び出して闇討ちする意味が分からないわ。お互いに何のメリットもないじゃない。」

「知らねぇよ。っつーか、犬ころに用はねぇんだよ。さっきもお前を狙ってねぇだろうが!……お前だ、お前!お前が避けんのが悪い!」


 オラついたハーフモヒカンの男が、何故か睦に人差し指を向けた。

 そして指さされた彼は目を剥いて、激しく動揺をした。

 心の中では彼の味方だった筈だ。

 だのに狙われたのは自分。

 成程、先の飛び蹴りは自分に向けたものだった。


「——俺⁉いやいや、俺は関係ないし。」

「関係あるのよ。レイラの時間に奴らが手紙を持ってきたの。そして、そこには男性従業員と一緒に来いって書かれてあったわ。……なるほど、狙いは君ね。」

「なんで、俺?俺は借金背負わされた側だぞ⁉」

「さぁね。その中村って男が男性従業員に乱暴されたと警察に訴えたのか、それとも——」

「ごちゃごちゃうるせぇぞ。おい、お前。俺と勝負しろ。つーか殺されろ!」


 男が睦に向かって走り出すと、ライラは睦の背中をとんっと押した。


「わ、何するんすか!ってか、殺されろって俺は何も——」

「死ねや、コラ!——怪人化モーンストルム、んで、ライガーキッーーーク!」


 名前も知らないチンピラは、人間離れした跳躍を見せた。

 そして、そこから中村というチンピラが見せた、世紀末救世主張りの肉体肥大化。

 いや、あの男よりもこちらの方がずっと迫力満載だった。


「わ!ちょ、ちょっと待って!」


 ただの飛び蹴りではない。

 その男の足はブーツをはちきれさせ、そこから鋭利な爪が突き出ていた。

 刃渡り10cmほどあるナイフと変わらないそれは、「死ねや」という言葉ととても相性が良いものだった。

 その四本のナイフ付きの足が、コンクリートの地面に突き刺さり、そこにぽっかりと穴が空く。


「逃げんな、それでも男かよ!」

「いやいや、待って!なんで、俺?」

「情けない声出しやがって、これでも喰らえぇ!」


 睦は流石に男の動きを注視するしかなかった。

 まず、この男は単に肥大化した中村というモーンストルムとは違う。

 上あごの両犬歯が巨大化しているだけではなく、瞳の形もネコ科を思わせるものへ変わっている。

 そして何より両手足が人間のそれではない。

 まるでトラやライオン、サーベルタイガー?

 いや。


「ライガーって自分で言ってたもんな。ってことは、さしずめこれはライガーチョップ」

「うるせぇ、お前も戦うんだよ!」

「なんで、俺が戦うんだよ!だいたい、俺はライラ先生に借金を背負わされた身。同情されても良いくらいの一般人、————あれ?」


 自分で言っておきながら、自分の言葉に目を剥く睦。

 その隙を見て、虎獅子怪人ライガーマンは彼の首筋に噛みつこうとした。


「チッ……、隙だらけじゃねぇのかよ。」

「待てって、待ってくれ!——いや、俺って一般人……だよね?そうだよね⁉」


 先日の小鬼怪人を取り押さえた時に、なんと言われたか。


「何言ってんだ、てめぇ。待つわけねぇだろう、てめぇも俺たちとおんなじ……、——がはっ‼……な、なるほど。ただ、逃げてただけじゃねぇ……のかよ……。ムカつく……野郎天て」

「い、いや。俺は戦う気は……全然……なくて」


 ただ、睦はライガーマンの動きを止めようとしただけ。

 けれど、運悪くその右手が男の鳩尾に突き刺さった。

 臓腑が変形したと分かるほどに深々と。


「——ただ、考え事を。ライラ先生、俺って。……もしかしてモーンストルム……だったりする⁉」


 男は身を捩って、青年の拳から逃げようとするも、かなりの体力を持っていかれたのか、力なくその場で崩れ落ちた。


「呆れた。今頃気付いたの?」

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