第9話 施術風景
男を押さえつけて、手枷足枷をはめる。
これが彼女の診療スタイル、確かにあの時も彼女はそう言った。
当時の自分は、この粗野な男と同列に扱われた、そう考えるとムカついてくるが、それは後考えればよい。
「って、おいおい。待てって。俺は本当は痛くねぇんだよ。穴も空いてねぇんだって‼」
「はぁ、歯医者嫌いまで同じなのか。気持ちは分からんでもないけどな。」
なんだかんだ言って、あのバカ力を使って来ない。
ツンデレと言いたくはないが、治療を受ける気まんまんなのだから有難い限り。
睦が彼の体を押さえつけている間に、ライラが手枷足枷を手早く嵌めていく。
そして、左右に固定用アタッチメントが付いた、金属繊維入りの顔タオルを被せて治療準備が完成する。
「この時間に来るのは大抵が大人だから、あの痛みで暴れないようにするためだったのか。後はお口あーん、……って、先生?」
「あえおー(やめろー)」
『ブー』
「あの、俺まだここにいるんですけど!」
「ブレたら困るでしょ。確かにこれは違法だけど、今は緊急を要するわ。それにこれは十枚法って言ってね、文字通り十枚取らないといけないの。今の君ならこれくらいの放射線は平気よ。」
拘束具があっても、男はまな板の鯉が如く飛び跳ねている。
「怖いんだよな。分かる、分かる。でも、診断は大事なんだって。」
仕方なく男の顔を左右からぐっと挟み込んで、コーンと呼ばれる筒状のX線照射器とフィルムが歯と同じ軸になるように調整をする。
「顔も大きくなっているのかな。全部が大きいけど犬歯がやけに長いな。……そういえば、最初からそうだったっけ?特に下の犬歯が長いような……」
「ご名答。君の犬歯の生え方とはタイプが異なるわね。」
「俺のと?タイプ?」
「君のタイプ、13番型は種類が多すぎて特定することは難しいんだけれども。ここにいれば、少しずつ分かってくると思うわ。因みにこいつは43番型。典型的な野良怪人ね。」
「はぁ……」
「てめぇらいい加減にしろ!さっさとこの手枷を外しやがれ。」
どれだけ暴れようと、彼の道は決まっている。
(先生が何を言っているのか全然分からないけど、俺が自由になる為にはこいつが一億円払えばいい。申し訳ないと思っているけど、美夜を自由にさせてやりたいんだ。)
だから睦は男を押さえつけ、心の中で手を合わせ感謝をした。
これで全ての生活が元通り、美夜と楽しい学園ライフ、いや夏休みを満喫できる。
「レントゲンで診断は出来ているわ。それに患者の問診はビデオレコーダーで録音済み。症状とデンタルX線写真から、
勿論、彼女の言葉は医療用語ではない。
けれど、読み方はマニュアルに書いてあった歯科用語なので睦には普通に聞こえる。
そも、彼が読まされたマニュアルは対人間用のもの。
モーンストルム向けのマニュアルは手渡されていない。
そして、最後のあがきがここで出る。
「待てよ、ババァ。勝手に進めんなって!」
そして、その言葉がNGワードなことくらいは、睦も知っている。
「あ?誰がババァだ、コラ。このガキ、ぶっ殺すぞ!……こほん。睦君、午前二時十三分、どこかにメモっといて。あと、18歳のピチピチギャルに向かって、ババァ呼ばわりしたことはちゃんと診療録に書くこと。あー、っていうか、もう飽きちゃった。このクソ豚ゴミ野郎の処置を行って、警察に突き出しましょ。」
睦もビビり散らかしてしまう、彼女の逆鱗は勿論、年齢に関すること。
因みにこの部屋が録画されていることは、本当なら睦が説明するべき内容だった。
でも、話を聞かなかった方が悪い。
ただ、そんなことよりも睦はワクワクが止まらなかった。
まんまと、自分と同じ罠に嵌ったのだ。
しかも、なんていうか同情しなくて良いタイプの人間、いや化け物だった。
「睦君、下顎をしっかり持ってて。今の君なら開咬器も要らない筈よ。あと、その手袋を着けるのは忘れないで。」
言われるがままに業務用手袋を装着し、男の下顎を掴むと小気味の良い音がして、何故か男の口は開いたままになった。
「こうですか?」
「があああああああ!」
「ふーん、器用なものね。まだ顎関節の構造は教えてなかったのに、ちゃんと顎が外れているわ。……でも、丁度よいわね。——
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
睦はこのシーン、実はかなりの勘違いをしている。
まず一つ目。
彼女は
その医療行為は睦にしたものとは全然違う。
「——え⁉今、歯を抜いた?……あの悪夢の通りだ。」
「あら、一本目で気を失っちゃったわね。もう少し痛がる姿を楽しみたかったのにぃ。」
自分の歯を抜かれたわけでもないのに、血の気が引いてしまう。
恍惚の笑みを浮かべるこの女は、まさに悪魔だった。
「せ、先生。流石に麻酔をしないと……、これは拷も——」
睦は言いかけて、そこで目を剥いた。
男の体がしぼんでいく。
体が膨張したことで世紀末覇者を連想させた千切れたアロハシャツが、今は世紀末の悲惨さを物語るボロボロの衣服にしか見えない。
「麻酔なんてしてあげない。睦君はおとなしかったからしてあげたのよ?」
「いや、俺も麻酔効いてなかったし!」
「あら、そうだったの?てっきり恐怖で失神したのかと思っちゃってた。なるほどねぇ。」
「なるほどじゃないっすよ。あー、失禁してる。これ、もしかして俺が清掃するんすか?」
「ま、いいでしょ。今は麻酔されているようなものだし。因みに君のは美夜ちゃんが綺麗に拭いてくれたわ。」
この悪女、いや悪魔はとんでもないことを口にした。
ここで気絶して、そして違う部屋で目が覚めた。
あの恐怖で失禁しない奴がいようか、……いる筈がない。
「ゆかりちゃんに任せようと思ってたんだけど、次の日日曜日だったのよね。本当に美夜ちゃんが来てくれて助かったわ。」
「俺の下の世話を美夜が……、あとで謝っておこう。」
因みに、今のが二つ目の勘違い。
ライラに言わせると、睦が患者だった時、彼は麻酔をされた状態だった。
そして、三つ目の勘違いが痛恨の極みレベルである。
「はい。二本目、んで三本目。はぁ、もっと苦しまないかしら。四……本目とぉ。」
「あの……、ライラ先生。俺の勘違いかもしれないっすけど、犬歯を全部抜く必要なかったんじゃないかなって……。いや、ほんと素人考えっす!」
すると彼女は医療用ガウンを脱ぎ捨てながら、ド素人睦にうろんな目を向けた。
「牙を抜かれる、って表現があるでしょ?これはそういう処置よ。歯は生物の生業そのものよ。例えばサメ、彼らは外胚葉を進化させて何度でも生え変わる無数の歯を手に入れた。例えば鳥、空を飛ぶために彼らは重量のある歯を捨ててクチバシにその代わりをさせた。例えば肉食獣、彼らは的確に急所をかみ砕けるように犬歯を発達させ、更には臼歯も鋭利に発達させた。例えばげっ歯類、例えば草食動物は?彼らの歯はすり減ることが前提だから、ずっと伸び続けるように進化させた。」
因みに睦は血みどろである。
勿論、ここの病院の制服なので、そこまで心配はしていないのだが、いつの間にか医療用ガウンを着ていた彼女の体には、今や一滴も血がついていない。
最後まで名前が分からなかった暴漢魔は口から血を吹き出しながら気絶している。
顔を横に向けて窒息を防いでいるのが、せめてもの恩情だろう。
そんなところに目を向けてしまう睦の心情は即ち、
——こいつ、何言ってんの?
である。
だが、そんな呆けた彼に構わず、女は解説を続けていく。
「では人間は?一説によれば、会話をするために犬歯が短くなったと言われている。また別の一説によれば、果実主体だった食生活が森から出たことで雑食化して、犬歯が短くなったと言われている。」
「あの……、その話は歯を抜いた話に繋がるんですか?」
この男から金を巻き上げれば、仕事は終わる。
身代わりになってもらうようで悪いけれど、少なくともこいつは悪い奴だ。
つまりは自分の監禁生活が終わる、そう思っている。
だから、この専門的で頭に1mmも入ってこない話は聞く必要のないもの、そう思っている。
「勿論、関係ある。というより、ここからが大切な話よ。口は進化の要の筈なのに、人間の口、そして歯はあまりにも未熟なの。つまり人間の口周辺は、人間の進化に適用出来ていない。だって——、あら、もうこんな時間?睦君、悪いけどこいつを
ただ、睦はこの辺りから猛烈な違和感を抱き始めた。
既に答え合わせは出来ているのに、自身に出された二択のことが頭から抜け落ちていた。
「——と、その前に。睦君、お口あーん。……よし。私の充填完璧。ちゃんと塞がっているわね。それじゃあバイタルの確認は宜しく。それはマニュアルに書いてある筈だから。血圧のチェックと気道確保はしっかりね。それじゃ、私はカルテを書いてくるわ。」
「えっと、あの。さっきからサイレンの音が聞こえるんですけど。外のサイレンってもしかしてここに向かって来ているんですか?俺、通報してませんけど。それに……、——普通の警官?あの法律とは無縁だ的な警官じゃなくて?」
「当たり前じゃない。抜歯は保険適用内よ。君にも説明したでしょ。それに、これくらいのはみ出し者はなんだかんだ健康保険に入ってるままよ。牙を抜かれたモーンストルムはただの人間と変わらない。——だから、普通の警官の方が適任でしょ。」
これが三つ目の勘違い。
睦にとって、大きな勘違いは「モーンストルムは牙を抜かれると人間に戻る」ということ。
そして、自分は歯を抜かない治療だったから、保険適用外だったという事実。
ただ、その勘違いさえ彼は見過ごしてしまう。
「嘘……。これは保険診療だったのか。ってことは、俺の一億円が……」
「ん?なーに言ってんの。どうして売り上げの全部が君の給料に充てられるわけ?私はボランティアってこと?たった一人で済む筈ないでしょ。」
おかわりの勘違いまで言い放たれ、睦はがっくりと肩を落とした。
そして、俺の一億円が、俺の一億円がと唱えながら、目に涙を浮かべた。
その涙はパトカーランプが反射して、キラキラと輝いていた。
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