第一章 3-2


「……意外と呆気なく通り過ぎちゃったね」


 炯然けいぜんと照らされる恒星の輝きの下、二つの人影が屹立きつりつする巨壁から遠ざかるように荒野を北上していた。


 一方は清廉のごとき純白、他方は深淵のごとき漆黒の外衣ローブを身に纏い、共に編纂へんさんされた艶消えんしょうの魔法により、世人せじんの認識からは隠匿されている。


 しかし、国境警備の任に哨戒兵しょうかいへいまでもがそれではと、些か自国の防衛網に不安の言葉を漏らす彼女に対し、ミストリアは無言で巨壁の上部に点在するやぐらを指差した。


 いかに艶消えんしょうの魔法といえども、姿形そのものを消すことは出来ない。無論、そのような魔法をもミストリアは修めているが、その旅路の性質から行使は控えている。


 ケイ街道を歩み続ける二人の姿は、国境付近にそびえ立つイシツイジ要塞に完全に捕捉されていた。


 王国と帝国の盟約により、原則的に通行の自由が保障されているが、一定規模の武装集団、犯罪者、身元が定かならぬ者など、治安維持上の措置が必要と認められる場合にはその限りではない。


 故に原則論に立ち返れば、頭巾フードに素顔を隠した二人を見咎みとがめ、その正体をあらためようとする兵士がいてもおかしくはなかった。


 それにも関わらず、二人が何の障害もなく通り過ぎることが出来たのは、領都で別れたオユミの手引きによるものだろう。


 そこまでに考えが至り、彼女は誰に見せるともなく純白の頭巾フードを取ると、その蒼みがかった銀の髪を吹き付ける風になびかせた。


 彼女の目の前にはいつかの荒野が広がっていた。シュンプ平野と称されるその大地は地平線の遥か彼方まで続いており、ヌーナ大陸でも難所の一つとして知られている。


 王国と帝国の間には厳密な意味での国境線はない。この荒野が両国の緩衝地帯となっており、いずれの領地にも属さない曖昧模糊あいまいもこな位置付けとなっていた。


 くだんの軍事演習から既に半年ほどが経過しており、その名残は跡形もなく消え去っていた。


 小都市と見紛みまごうばかりにひしめき合った穹廬きゅうろも、両軍から天雨てんうの如く降り注いだ無数の矢も、つわものどもがしのぎを削った大地の傷跡も、今ではまるで夢幻の如くである。


 照り付ける日差しを遮るものは何もなく、吹き晒す風に舞う土埃の中を二人は進んでいく。大陸のほぼ中央に位置するこの荒野は年間を通じて気温が高く、時節により多雨と乾燥を繰り返していた。


 現在は乾季にあたる時期であるため、雨季に芽生えた植生しょくせいもその殆どが枯れ果てており、それを食餌しょくじとする動物もまた遠方に疎らな影を覗かせる程度である。


 本来であれば徒行による道程は無謀でしかないのだが、二人の全身を覆う外衣ローブに反して、その足取りは暑気しょきとは無縁のようであった。


風花雪月エア・コンディション


 術者の周囲に特殊な空気の被膜を作り、外気の熱を遮断する効果を持つ風属性の上位防性魔法である。


 もすれば、空気そのものを遮って窒息する危険があるため、行使においては細心の注意を払う必要があった。


 もっとも、ミストリアにおいては無用の心配であるばかりか、選択的に熱交換をする機能をも付与しており、内部は涼しく快適性が保たれている。


 魔法はその用途から分類する場合、攻性魔法と防性魔法の二種類に大別され、この魔法は後者に属するものであった。


 攻性魔法とは、マイナが内包する魔力を凝集させ、特定の形状や効果を構築して術者から放出するものである。


 一般的に放出先の他者を害することを目的とし、場合によっては死に至らしめることさえあるが、あくまでそれは魔法によって生じた結果であり、効果自体は一過性であることが殆どである。


 一方、防性魔法はその魔力の奔流を術者の周囲に留めさせ、魔法そのものを維持することをかなめとしている。


 そして、防性魔法の特筆すべき点は、その対象を術者以外にも定めることが出来るところにあった。それは攻性魔法による放出とは似て非なるものであり、他者を術者の延長線上に捉え、その魔力の奔流に支流を作って分け与えることによる。


 ただし、魔力の流れを維持することは困難を極めるため、術者には熟練した技術と相応のプラナが求められることになる。


 また、防性魔法の技術の応用として、他者を起点として魔法を行使する……つまりは、強制的に魔法を行使させることも理論上では可能である。


 しかし、マイナからの魔力の出力を制御するだけでなく、対象者のプラナまでをも強制的に放出させる必要があるため、現在の魔法応用学においては、あくまで机上の空論であると結論付けられていた。


 もっとも、やはりミストリアにおいてはその限りではなく、本人すらも知り得ない高位魔法を強制行使させることが出来るという。


 りとて流石さすがのミストリアを以ってしても、魔法そのものが使えない彼女にはお手上げであり、今回は通常の方法を取らざるを得なかったようであった。

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