序章 旅立

序章 1-1


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「第1師団、目標地点への展開を完了しました。一同、皇帝陛下の御下知ごげじを拝命賜りたく存じます」


 ヌーナ大陸中央部に位置するシュウシンカン帝国は覇者はしゃである。覇者とは周辺より抜き出て優れた国力を誇ると同時に、同盟国を外敵から保護する盟主の役をも負っている。


 もっとも、戦時において他国を無償で防衛するようなお人好しはいない。保護下の同盟国には対価として莫大な朝貢ちょうこうが課せられており、それはときに小国の財政を傾けるほどのものとなった。


 帝国には国境防衛と外敵征討を主任務とする七個師団が常備軍として配されており、その中でも第1師団は至強しきょうとの呼び声が高い。指揮官は皇位継承権第一位である皇太子が務める慣わしがあり、屈強な兵士を従属させるだけの王者としての風格、度量が求められていた。


「モノノベ、ソガ、ナカトミ、ハジ、キノ……以上、王国騎士団も配置が済んでおります」


 一方、帝国の南方と国境を接するハナラカシア王国は、古からの同盟国である。王国には五大諸侯と称される有力貴族がおり、国内の政務を取り仕切るだけでなく、固有の領地の統治を許され、また戦力として独自の騎士団をも保有していた。


 騎士団は諸侯の血縁者や配下の貴族、また領民などから構成されており、国王麾下きかの近衛兵とともに王国の主戦力を担う。兵士の人数、武装、練度と共に充実しており、また軍備を支える経済力も日々発展を遂げている。


 しかし、斯様かような成果にも関わらず、王国の情勢は常に帝国の意向によって左右されてきた。それはの国の軍事力があまりにも強大な故である。


 王国軍の大半を担う軍勢、五大諸侯が誇る騎士団の連合軍を以ってしても、帝国軍の一個師団と同程度……いや、それにすらも満たないのが現状なのだ。


 もしも帝国が盟主たる覇者ではなく、武力による大陸統一を目論んでいたのなら、王国はうの昔に滅亡していたことだろう。


 事実、今日まで帝国によって征討された国家は数知れない。その中には一時代の繁栄を極めたとされる強国もあったのだが、帝国と対立する道を選んだばかりに滅び去っていった。


 しかし、一方で王国に対しては非常に寛容であり、決して盟主としての責務を違えることはなかった。このような友愛的な外交戦略は、しばしば朝貢に対して戦費が上回り、帝国の財政を著しく圧迫することさえあった。


 文官からは幾度となく再考が上奏じょうそうされてきたが、歴代の皇帝はそれを採り上げることはなかった。そこには王国だけが持つある特殊な事情が介在していた。


 両国の国境地帯を形成するシュンプ平野、その荒涼たる大地に展開された二つの軍勢。それらを一望できる丘陵きゅうりょうに設置された陣幕で、臣下の報告を受けていた皇帝が傍らにはべる一人の少女に目を向けた。


 陣幕には軍勢と同様に二つの集団が形成されており、両国の元首と幕僚、側近が一堂に会している。それはさながら国家の縮図であり、陣幕の外側では兵士たちが強張った表情で、蟻の一匹も通さぬほどの防御を固めていた。


 斯様かような空間において、やはり彼女の存在はあまりにも異質である。箔付はくづけとして最高位を示す白紋はくもんの神官衣を羽織ってはいるが、短く整えた蒼銀そうぎんの髪から覗く顔立ちは未だあどけなく、成人前の十七の年齢よりもなお幼く見えた。


 これでは皇帝の愛妾あいさいというよりは皇女の方が相応だろう。しかし、彼女がそのいずれでもないことは、続いて皇帝から発せられた言からも明らかであった。


「……して、レイネリア殿はどうか」


 不意に発せられた言葉に、帝国の幕僚、その重責に違わず年配者が多いが、まだ比較的若い武官たちの間で緊張が走った。


 軍事大国である帝国において、最高指揮官である皇帝が軍を観覧することは珍しくないが、大抵は寡黙に俯瞰ふかんするばかりであり、宸意しんいにおいては幕僚長か、それに準ずる者を通じて伝えられていた。


 通例であれば、皇帝のように貴き身分の御方とは直接話すことは許されない。しかし、今回は直問じきもんであることから、直答じきとうもまた許されるのではないかと、困惑した様子の武官たちを尻目に、彼女は仄かに笑みを浮かべながらこうべを垂れた。


「恐れながら申し上げます。当世の天人てんじん地姫ちぎ、ミストリアは常在戦場にございます」


 彼女の物怖じせぬ直答に一同は皆押し黙り、周囲は水を打ったように静まり返ってしまった。ヌーナ大陸に生きる者であれば、天人てんじん地姫ちぎ御名みなと威光を知らぬ者はいまい。


 皇帝の無言の視線を受け、国王もまた黙したまま頷きを返す。そして、皇帝はおもむろに立ち上がると、陣幕にいる者のみならず、荒野に展開する全軍に向けて声高らかに宣言した。


「これより、シュウシンカン帝国とハナラカシア王国の軍事演習を開始する!」


 その号令を合図に陣幕には巨大な旗旒きりゅうが立ち昇り、両軍からは地響きのような唸り声が沸き上がった。


 これから始まるのは、戦争ではない。あくまで同盟に基づく合同軍事演習なのだ。しかし、それら溢れんばかりの武力が向かう先は互いの軍勢ではない。睨み合う両軍が目指すものは、その中間に佇む漆黒の外衣ローブを身に纏った魔術師、ただ一人……。


 旗旒きりゅうに遅れ、彼女もまた荒野に向けて合図を送る。遠方につき、その返答までは窺えなかったようだが、満足そうな表情で微笑むと周囲の目を忍んでそっとつぶやいた。


「ふぅ……、御手柔おてやわらかにしてよね、ミスティ」

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