第6話




「あの時はなかなか死ねなくて辛かった……」

「……え……?」


 懐かしむ様な顔でとてつもなく物騒な発言をされ、これまたついついアニタは突っ込んでしまう。特段突っ込み体質でもなかったのに逐一反応してしまうのは、少しでもこの異様な会話に正常な何かを見出したいからだが、当然ただのやぶ蛇で敷かない。


「三度も死に戻りを繰り返しているからだろうな、俺の身体が、なのか、そもそも俺という存在が、なのかは分からないけれど……おそらくはこの世界においてのそれこそ【異物】なんだと思う。病気は元より、怪我をしなくなってね。怪我というか、傷がつかないんだ」


 そう口にしたかと思うと、ヒューベルトは立ち上がり部屋の片隅ある小さな机からペンを一本持ってきた。そうしてまたアニタの向かいに腰を下ろすと、大きな掌をテーブルに乗せ、そのままペン先を己の掌に突き立てる。

 ヒッ、とアニタは悲鳴をあげた。それでもなんとか口元を覆い、外に漏れるのだけは防ぐ。そんな努力をするアニタを裏切る様に、ヒューベルトはさらにその突き立てたペンを手首に向けて一気に引いた。

 赤い線が痛々しく走る。しかしその傷は見る間に消えていき、ほんの数秒で無傷の状態にまで戻ってしまった。

 ほらね? とでも言わんばかりにヒューベルトが軽く肩を竦めてみせるのを前に、アニタは彼の話が真実であるのだと突きつけられたのを知る。


「それでもまあ、四肢を切断されたりそれこそ三度目の時の様に首を跳ねられたら死にはするけど」

「首を跳ねられたんですか!?」

「三度目にしてやっとおそろいの死因になったよ」

「心の底からさいっていの冗談ですね!?」


 侯爵相手に暴言も暴言だが、もうアニタにそんな事に構っている余裕などない。そして何故かそんなアニタの発言に当の本人が嬉しそうに笑っているから問題ではないのだろう。


「そこでまた繰り返しになって……たしかこの時から少し年が過ぎていたかな?」

「え……待ってください……それって四度目ってことですよね?」

「そうだな」

「それは……今、ではなく?」

「なく」


 うん、と大変気安く侯爵様は頷く。が、アニタは途端に胃の底から全身に寒気が走った。


 この人は、一体どれ程の死に戻りを繰り返しているのだろうか――


 口から飛び出そうになったその問いを、アニタは寸前で飲み込んだ。けれどそんなアニタの気遣いを侯爵自身が踏み潰していく。


「七度目くらいまでは数えていたけど、それ以降はもう数えるのを止めたよ。正気を保っていられなくなると思って」

「今でも充分正気を保っておられるとは思えませんが!?」

「確かに。きちんとした意味合いでは、俺はもう正気ではないだろうな。どんな事をしてでも助けたいと思う相手の死に様を見続けているから、まあ、無理な話だよ」

「穏やかな笑顔で仰る発言ではないかとー!」

「正気じゃない人間の相手は辛いものだな」

「侯がそれを言いますか!」

「はは、大丈夫だよダルトン嬢。俺もその経験があるからよく分かる」

「いやだから笑い事ではなく……って、え……?」

「二人を助けるのがどうしても無理だと言うのなら、だったらせめてどちらかだけでも、と挑戦してみた事があるんだが、そうしたらどっちも見事に狂乱してしまってね」


 ケイトリンだけを助けた時は、最愛の相手を失った事でしばらくの間廃人の様になっていた。しかしその後、少しずつ彼女は回復していき、その様子にヒューベルトは僅かとはいえ自分の苦労が報われたと一人喜んだ。だが、回復と同時に、ケイトリンは少しずつ狂ってもいたのだ。


 ギルバートを求め彷徨い歩く様になり、見かける男を皆彼だと思い込み求める日々。ついには狂人の娼婦、とまで呼ばれる様になり、ヒューベルトは彼女の名誉がこれ以上傷付かない様にと離宮の奥に閉じ込めた。

 そんな彼にまで、ケイトリンはギルバートを重ねて求めてきたのだ。私を愛して、二度と離さないでと――だからヒューベルトは彼女を彼の元に送った。自らの剣で、せめて、痛みも苦しみも感じない様にして。


「あれほど辛い思いをした事はない、と思ったんだが、俺も諦めが悪いと言うか、もうあの時点で正気ではなかったんだろうな」


 じゃあ次は、とギルバートだけを助けてみた。すると事態は最速で最悪の結果を招く。


「どうして自分だけを助けたんだ、どうして自分だけが生き残ったんだとこっちも半狂乱になって、短剣を振り回して自害しようとして」


 喉元に短剣を突き刺そうとするギルバートと、それを必死に阻止しようとするヒューベルトの攻防を、周囲はただ見守る事しかできない。下手に手出しをすれば王太子に不要な怪我を負わせてしまうかもしれないという危機感と、そして王国最強の騎士というヒューベルトに対する信頼。ヒューベルトもまた己の力ならばギルバートを取り押さえる事はできると、慢心でもなんでもなくそう思っていた。


「でも結局は慢心だったんだろうな。アイツの手が滑って、俺の左目に突き刺さったんだ――剣が」


 耳にするだに痛すぎて、アニタは悲鳴すら上げる事ができない。


「それで呆然とでもしてくれればまだよかったんだが、より一層半狂乱になってしまって……結局祭壇にあった燭台で喉を突いて死んでしまったよ」


 片目を喪った状態でその光景を見てしまったヒューベルトもまた、そのまま痛みに狂いながら死に至った。


「あの……でも、先程の侯のお話からしたら、その……」

「目を突かれたくらいじゃ死なないはずだったのでは、という貴女の疑問ももっともだ。元々アイツの剣には毒が仕込まれていてね。致死量ではないけど、さすがに眼球に突き刺さるとそうは言ってられなかったみたいだ……けどまあ、アレで俺が死んだのは、きっと毒だけが原因ではないと思う」


 問い続ける気力すら湧かないが、それでもアニタの「どういうこと?」という疑問は伝わったのだろう、ヒューベルトは穏やかに言葉を続ける。


「どうして彼女を守ってくれなかったんだ――そんな俺へ対する憎しみが込められていたからだろうな。アイツに心の底からの憎しみを向けられたのが、俺の一番の死因だよ」


 そんな事があるのだろうかと思ったが、そのありえない事がありえている現状なのだ、今は。


「人の憎しみという感情は強いものだと思い知らされたな。嫉妬に駆られた彼女しかり、娘を追放された父親しかり、愛する存在を目の前で喪った者しかり……おかげで今もこうして残っている」


 ヒューベルトはそっと己の左目に触れる。え、とアニタは思わず声を漏らした。ドクン、と心臓が不気味に跳ね、喉の奥からひどい乾きが襲ってくる。


「俺の左目が黒いのは、アイツに刺されてからそうなったんだ」

「……生来のものではなく……?」

「そう。元は両目とも蒼だった」


 え、でも、とさらにアニタの口からは無意識に言葉が零れる。でも、だって、それは、とてつもない矛盾が生じてしまうのではなかろうか――

 尋ねたい、確認したい、しかし、それは問うにはあまりにも恐ろしすぎてアニタは必死に口を閉じる。そんなアニタの逡巡にヒューベルトは眩しい物でも見る様に目を細めつつ笑みを浮かべた。


「元々蒼い瞳だった俺が、今こうして二色の瞳を持つ事に誰も……あの二人ですら違和感を持っていないよ。きっとあれ以降の繰り返しの世界では、俺は元々黒と蒼の瞳だという存在なんだろうな」


 それはつまり、ヒューベルトが本来助けたかった世界の彼らではないかもしれない、という事だ。

 アニタは何と言って良いのか分からない。もう、何も口に出来ない。ただひたすらに、彼の話を聞く事しか。


「でも俺はそれでもいいと思っているんだよ、ダルトン嬢」

「……なぜ、ですか……?」

「俺が一番初めに出会ったあの二人ではないかもしれない。でも、それでもやっぱり二人は俺にとって大切な、可愛い幼馴染みなんだ。だから、どこかの世界では幸せになって欲しいし、その為なら俺は――」

 


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