第5話
確かにヒューベルト・ファン・エヴァンデルはあの凄惨な結婚式の場で絶命した。しかし彼は再び生を受けたのだ。生まれ変わりなどではなく、彼自身として。そして彼があの二人と出会う事になる、十歳の姿で。
「正直な所、初めはすごく混乱したんだ」
そう苦笑を浮かべる侯爵を前に、わたしは今大絶賛混乱中ですとアニタもまた苦笑で返す。それ以外の方法がアニタには浮かばない。余計な事だけは言わないようにと、そればかりを気にしてしまう。そんなアニタに気付いているのかいないのか、侯爵はそのまま話を続ける。
「身体は十歳の子どもの状態なのに、意識は今の俺だからね。悪い夢でも見ているんじゃないかとそう思っていたけど……」
ひどい悪夢に魘されていたのだろうと思いたかったが、ならば子どもの身体なのに意識が大人なのはどういう事なのかとヒューベルトの混乱は続いていた。しかしその数日後、初めて王太子であるギルバートと出会い、そしてそこからさらにケイトリンと出会った事で彼はあの記憶が現実であったのだと思い知る。彼らとの楽しかった思い出が繰り返されるのだから嫌でも痛感するしかない。しかしだからこそ喜びも満ちた。
「これならやり直しが完璧にできる、と思ったんだ。何しろ俺には先の記憶があるからね。それを辿っていけば、あの悲劇を回避するなんて簡単だろうと」
しかも十歳からのやり直しだ。いくらだって時間はある。これは神が与えたもうた奇跡だと、それまではあまり熱心に通う事はなかった教会にも足繁く通う様にもなった。
やがて出会う事になったダイアナに対しても、すでにヒューベルトの中ではどう対処すれば良いかが分かっている。だから彼女を時に遠ざけ、時に糾弾し、最終的に社交界から追放する事にも成功した。
これでやっと、二人の幸せな姿を見届ける事ができると心の底から喜んだ。けれど、それでも悲劇は起こる。より一層、最悪の形で。
「式場に爆薬が仕掛けられていたんだ」
「ば……爆薬、です、か?」
「そう。突然の轟音と衝撃、に熱風。俺も間近で喰らったものだから身体半分吹き飛ばされて、最初は何が何だか分からなかったんだけど」
「でしょうね!?」
淡々と話されても流石に突っ込みを入れざるをえない。そんなアニタに構わず話は続く。
「気付けば俺の近くに赤黒い固まりがいくつか散らばっていて」
「あ、待ってください侯爵、ちょっとそれはとっても聞いてはいけない気配がします!」
「こう……十字に重なった固まりに、それぞれ指輪が付いているのを見て、ああこの固まりはあの二人なのかと気付いた時に俺はまた死んだわけだ」
「やっぱりそういう展開じゃないですかーっ!!」
爆死した幼馴染み二人の肉片に囲まれたヒューベルト・ファン・エヴァンデルの心境如何ばかりか。アニタは震え上がる事しかできない。
「また失敗したと思ったよ、この時は」
「……と、言うことは……?」
「また目覚めたら、十歳に戻っていた」
三度目も十歳の自分である。今度こそ、これが三度目の正直であると、ヒューベルトは二回目の時よりも細心の注意を払って時を過ごした。
「あの爆発の時に、一瞬だがはっきりとノードリー伯爵の笑い声が聞こえてね。ああ、これは彼が娘を追放された報復で仕掛けたんだと気が付いた」
彼は随分と娘を溺愛していたから、とヒューベルトは笑うが、話を聞かされているアニタは到底笑えない。
「それじゃあ……その、三度目? では件のご令嬢を追放はなさらなかったんです?」
「ああ、最早彼女の存在があの二人を死に至らしめているのは間違いなかったからね」
ん? とアニタは首を傾げる。なにやら会話が噛み合っていない様な、そんな気がする。あと侯爵が浮かべている笑みがとてつもなく恐ろしい。
「侯……?」
「幾つくらいだったのかな……? まあ俺が十と少し過ぎた辺りだったから、まだ幼児の域だっただろうけど」
続きを聞くのがアニタは怖い。あ、もう結構です、と制止の声を届けようとするがそれより先にヒューベルトがにこやかに爆弾を投げ付けるのが早かった。
「俺がこの手で殺した」
ヒッ、と悲鳴を上げなかったのはただの偶然だ。アニタはその奇跡に感謝するしかない。だってこの騎士様は、今自ら、幼子を殺したのだと言い切ったのだ。
これまでの話がただの妄言であれ、流石にこの発言は酷すぎる。そしてなにより、これが妄言ではないと、何故かアニタは強くそう感じてしまっている。
「彼女がいなければ、そもそもの原因が起きない。今度こそ二人を幸せに……穏やかに生きる未来を敷く事ができれば、俺自身はどんな末路でも受け入れる覚悟ができていた」
いずれ罪深くなるとはいえ、その時点では何も罪を犯していない幼児を手に掛けたのだからそれ相応の報いはくるはずだ。それに関してはヒューベルトは当然だと思っていたし、きっとその罰として自分はこの三度目で生を終えるだろうとも考えていた。
そしてその報いはきた。三度目の悪夢として。
「教会には一際大きなステンドグラスがはめられているだろう?」
「……ありますね……あの……女神様を描いた、丸い縁のですよね……」
先程以上に嫌な予感しかしない。聞きたくない、それが無理ならせめて言葉を濁して欲しいと、アニタは必死に目の前の相手に念を飛ばす。
「それが突然落ちてきたんだ、ちょうど真下にいた二人の……さらに首に直撃したから見事に飛んできたよ、俺の足元に」
「いーやーあーっ!!」
想像したくないのに明確に脳裏に浮かんでしまうその地獄絵図である。頭を抱えて悶絶するアニタに、ヒューベルトはさらに追い打ちをかける。
「これには流石に俺も半狂乱になったなあ。三度目で、諸悪の根源と思っていた彼女もいないのにまだこんな惨い事が起きるのかって」
その衝撃のあまり、ヒューベルトは二人の首を抱えて祭壇に駆け寄った。そうして携えていた剣を抜くと、血塗れになったまま女神像に斬りかかった。
「それこそ俺自身が悪鬼か何かの様だったろうな……部下の一人が必死に止めようとして、けれど俺はそれに止まるどころか反対に斬りつけて、最期は数人がかりでメッタ刺しにされてしまったよ」
ハハ、と笑うヒューベルトに最早アニタはどういう態度でいればいいのかが分からない。本当に、お願いだからこの侯爵様はただの――頭のイカれた人物であればいいのにと、そう切実に願ってしまう。
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