衝突願望  完 

次の日


パートを終えた私はわざわざバスでマンションに戻り自家用車に乗り換えてポピュラー社に向かった。住所は見たところマンションの一室だった。すごく怪しい


マンション近くのコインパーキングに車を停めた後。私はブレーキペダルを軽快に蹴り飛ばし続けた。厄介なことにこれからの怪しいバイトに高揚しているせいか止めることが出来ずに私は十五分ほどそれを繰り返していた


後からコインパーキングにアウディが入ってきた。運転席にいた七三分けよりの整った髪型のネックレスを二つつけたボーダーのニット着の男に私は睨まれた。私は我に帰って衝突願望を抑えた。洗車を忘れて薄汚れた軽自動車をそそくさと降りて見知らぬ街に出た


マンションはコの字に囲まれた住居者の多いタイプだった最上階までエレベータで行って1205室の部屋の前に立ちチャイムを押した


「はい、今開けます。ああどうも八女乃さん…だったかな。占い師の神崎です」

「う…占い師?」


私はさらに怪しくなった現状に胸が高鳴っていた。この神崎という男は黒のスカーフが腰の先まで伸びていて化粧はしていないが金髪のミドルショートヘアに小さな水晶玉のついた耳が下がりそうなネックレス。男ではあるが部屋で乱暴をされるような気配はなかった


「ええっとまさか悪霊を払うとか?」

「ああ、でもね小説は書かなくてもいい。ただ八女乃さんあなたが話を聞かせてくれたら僕はあなたの衝突願望を忘れさせることができるんだ。奥で無料で占うから。もちろん僕は深夜に少しだけ営業している分で生活は成り立っているから大丈夫だよ」


私は何を言っているのかわからなかった。かなり怪しい…少し怖くなってきた


「でも今日は原稿用紙を持ってきたし。この願望を忘れても良いのでしょうか。向き合っていくべきなのかなと思うし」

「ほう、じゃあ書きなさい。一旦上がりなよ。妻がいるから安心してくれ」


奥には普通のセーターとジーンズ姿のポニーテールの女性がエプロンをかけている。少し現実の世界に戻された私は半信半疑で部屋に上がった



どうもこんにちは神崎と申します


ここから先は僕、神崎が筆を取ります。八女乃 咲さんはこの一週間後にこのあたりまで書いた小説を持ってきた後。衝突願望と前後の記憶を失いました


唐突ですが。読者のあなたにお話しがあります。僕が邪悪な願望を持った人の記憶を消す呪いの儀式を行う際に注意しなければいけないことがあるのです


それはインターネットで興味を持って怪しげな場所まで足を進めた勇気があるかどうか。加えて願望が妙に自制の効いたものであるのかどうか。要するに人を包丁で刺して殺したいだとかは電話の段階でお断りさせていただいているのです


そして小説を書かせるのには理由があります。「小説は書かなくてもいい」と断ってもなお書きたいということが大事なのです。程よい怨念と執着があるのが大事なのです


いくつかの出版社や図書館の隅にこの願望小説を紛れ込ませるとですね…必ず誰かが読んでくれるのですよ。今原稿を手にとったあなたはどういった考えでこの小説を読んでおられますか?まあそれは後から話が聞けるかもしれませんね


私は慈善事業や親切でこう言ったことをしているのではありません。勿論悩める子羊を救っているのでもない。彼女の衝突願望はこの小説の中に封じ込めました。少しばかり面倒なこの衝動を体験してみてはいかがですか?私はテロだとか殺人事件ではなくてちょっとした不気味な感情や病的な思考を誰かに伝染させることが趣味なのですよ


もしお困りでしたらこちらにお電話いただけると幸いです


〇〇◯ー〇〇〇〇ー〇〇〇 なおマンションや人物名・作中の電話番号の表記は全て架空のものとなっております




深夜の十二時をすぎて十五分が経過していた


私は過去一番のコレクションを手に入れたことに感動していた。作者の八女乃咲は途中までのアイデアを書き。神崎という男がまとめたという話は割とまともだが、結局これを一人で書いていたのであればかなり病的なのかもしれない。結局六ページほどの怪しげな原稿は電話番号で締め括られていた


今の所ではあるが私の頭からはブレーキを踏みたい衝動、いや願望は湧いてこない


フッと鼻息を鳴らした私は、ふと電話番号にかけて見るのはどうかと考えた

スマホを持って電話番号を打ち込んでいくと最後の番号を入れた時に電話先の相手が表示された。すでに登録してある番号だったようだ。呼び鈴が鳴り始めた。画面には見慣れた写真のアイコンが写っている


『嫁』


「なんだよ、おい」


「もしもし…あれ?この時間はカメラマンのふりをした後のコレクション読みをしてるはず。あ!読んだ?小説。まあ大体ウソなんだけどさ。ちょっとこの前に事故しちゃって。て言っても警察沙汰ではなくてね。友達の家の花壇を踏み潰しちゃったんだよね。ちょっとそれ絡みでお金を貸して欲しいんだけど。出版社にお洒落なあなた宛の手紙を送ろうと思ってさ。それを書いたわけよ」


「はあ?お、おう。わかった。お前…うつ病なのか?」

「お!リアルだったでしょ小説!全然、そんなことないよ!今日は潰した花壇の家の友達と飲んでるから大丈夫!車では帰らないから大丈夫だよ!じゃあね!」


電話が一方的に切れた後。呆然とした私はジワジワとブレーキを思いっきり踏む衝動に襲われはじめてハンドルに両手をかけて寄りかかった。そしてふと我に返って深呼吸をした後シートに深く腰掛けてうな垂れる。バックミラーには苦痛を感じているとも羞恥を感じているともいえない微妙に歪んでいる私の顔が夜景に照らされていた






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 衝突願望 北木事 鳴夜見  @kitakigoto

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