第40話

「来るぞ!」

 ユージンが叫び、腰から銃を抜いた。アリスに向けて引き金を引く。

 アリスは身を転がして、ユージンの放った銃弾をかわした。雪を蹴り飛ばしてクラウスに迫っていく。

 彼女に従って、狼たちも迫ってきた。

 だが、銃声が響くと同時に、狼三頭が横に飛ばされた。とっさに霞化を使った狼たちが、散り散りの場所で姿を現す。

 街から出てきた、兵術学校の候補生たちが、機関銃を撃っていた。

 狼の群れに向けて弾幕を張り、霞化によっていったんは機関銃をかわした狼たちが倒れていく。

 それでもアリスは、クラウスたちへの攻撃をやめない。

 アリスの視線が、ユージンのほうを向いた。剣から片手を放し、銃でユージンを狙う。

 アリスが引き金を引くときには、クラウスは霞化を使っていた。

 ちょうど、銃から弾が放り出されるところだった。鈍い黄金色の弾はゆっくりとした動きで、ユージンのほうへと飛んでいく。

クラウスは前に出て、剣の峰で弾の軌道を塞いだ。

弾が剣に触れる直前のところで、クラウスは霞化を解く。

剣の峰に弾が当たり、火花が散った。弾の軌道がユージンから逸れて、明後日の方向に飛んでいく。

衝撃でクラウスの手から剣が飛びそうになった。だがクラウスは、剣を握り直して踏みとどまる。

目の前に、アリスが姿を現した。剣を振り上げている。殺気だった目でクラウスを睨んだまま、剣を振り下ろしてくる。

 クラウスは、とっさに剣で受け止めた。

「どうして敵側につくんだ」

 交えた剣の向こうで、アリスが叫ぶ。

「お前も家族を奪われた。故郷を焼かれた。この国の連中が憎くないのか!」

 アリスは、剣を押し込んでくる。

「あんただって、なぜエルヴィをこんなことに巻き込むんだ」

 クラウスは、剣を押し返した。後ろに下がったアリスに、もう一度剣を繰り出す。

 アリスは、クラウスの剣を受け止めた。もう一度、火花が散る。

「敵がいるからだよ。私たちのすぐ隣に。また狙われるかもしれない。ならこうするしかないじゃないか」

 クラウスは、もう言葉が通じないことを悟った。

 アリスは、十年もの間、こんな盲執に取りつかれていたのだ。妹すら平気で戦いの道具にして、まったく無関係な人たちを大勢殺しても、アリスは飽き足らない。故郷を焼いた仇を探し求めて殺し続ける。

 寂しい、と思った。

「本当に、それでいいのか?」

 これが最後、とばかりにクラウスは言う。

「エルヴィがカルガトから追われるなら、あいつをかばうあんただって同じ立場になる」

「ああ、私は祖国を裏切った」

「なら、こんなことをしても無意味だ。今すぐやめて……」

「家族と故郷を奪ったこの国に助けを求めろと言うのか! この国は必ず滅ぼす」

 一人で復讐を遂げると、アリスは言い切った。

「説得は、通じないんだな」

 エルヴィの気持ちを汲んで考えを改めてくれる、なんて考えは甘すぎる。

 倒すしか、ない。

アリスの姿が消えた。

――霞化で、背後に回り込まれている。

クラウスは身を翻し、剣を振り上げた。振り下ろされるアリスの剣を払いのける。

はずだった。

クラウスの剣は、空を斬った。

振り上げた剣の向こうに、アリスが立っている。がら空きになったクラウスの胸に、剣を薙ぎ払ってきた。

回避が遅れていれば、クラウスの心臓に切っ先が届いていたかもしれない。

アリスの剣は、クラウスの胸を裂いて一文字の傷を刻んでいた。クラウスは痛みに剣を手放す。

 嵌められた。

 霞化を使ってきたとき、すぐ背後に回り込んで攻撃してくる。クラウスがそう考えるのを読んで、あえて距離を開けてきたのだ。

 倒れていくクラウスの喉元を、アリスは乱暴に掴んだ。傷ついた肋骨が痛み、クラウスは音を漏らす。これでは、霞化は使えない。

「残念だ」

 アリスは、クラウスの瞳を覗き込んでくる。

「四年前、お前とエルヴィは仲がよかった。いい友達になってくれて、私も嬉しかった」

 殺気立った目はそのままに、過去の思い出話をしてきた。

「クラウス! くそ」

 ユージンが、銃を撃つ。だがクラウスに命中するのを恐れたがために、弾はアリスに掠めることもなくどこかへ飛んでいく。

「お前がいなくなった後もそうだ。ことあるごとに、お前の身を心配していた。どこかで幸せに暮らしていてほしいと言っていた」

 置き去りにされ、忘れられたというのに……

 エルヴィは、クラウスの幸福を祈り続けていた。

「お前を手にかけるのは、本当に残念だ。きっとエルヴィは、私を恨む」

 アリスは、片手で持つ剣を振り上げた。

「だがお前のために、エルヴィはこの国に逃げて、私の祖国から命を狙われることになった。これからも追われ続ける」

 クラウスに、憎悪をぶちまけた。

 殺される。

 だが、アリスの剣は振り下ろされなかった。殺気に満ちた目はそのままに。顔を歪める。

 アリスの手から剣が放され、雪の上に落ちる。

 そしてクラウスの喉元を掴んでいた手からも、力が抜けた。放されたクラウスは地面に膝をついて、痛みに傷を押さえる。

 何が起きたんだ、とクラウスはアリスを見る。

 彼女の右肩に、ナイフが刺さっていた。

 さらにアリスの向こうには、エルヴィが立っていた。手を振り下ろしている。

 エルヴィの投げたナイフが、アリスに当たったのだ。

 アリスは、後ろのエルヴィを見つめる。

「エルヴィ、なぜだ……どうして邪魔をする」

 痛みに顔を歪めながら、アリスはエルヴィを責め立てる。

「これ以上、街の人たちが傷つくのを見たくないから」

 姉を傷つけてしまったからだろう。エルヴィの瞳が揺れているのが、離れた場所にいるクラウスにもわかった。

「……ごめんなさい」

 クラウスは、アリスに飛びかかった。組みついて、雪の上を転がる。そのままアリスの体の上にのしかかった。

 クラウスが拳を食らわせようとしたとき、アリスは肩に刺さったナイフを左手で抜いた。クラウスに突き出してくる。

 クラウスの頬が切れた。

 アリスは、もう一度切りつけようとしてくる。クラウスはその手を掴み、動きを止めた。

 二人の傷からの出血が太くなる。それでも、二人は互いの体を掴む手から力を抜かない。

「お前のせいだ!」

 傷の痛みも感じさせないほどに、アリスが叫ぶ。

「お前のせいで、エルヴィは不幸になる! 孤独になる!」

 アリスの追及に、クラウスはひるみそうになった。

 結果的には、アリスの言うとおりだ。エルヴィはクラウスを追いかけて、ヴィランに一人で入った。元々の原因は、クラウスが『白い家』から逃げたからだ。クラウスの存在が、エルヴィをカルガトから追われる立場へと追いやった。

「お前も、パーヴェルのように死ね」

 アリスが、クラウスの手を振りほどいた。握ったままのナイフで、今度はクラウスの左肩を切りつける。

 痛みに目を閉じたクラウスは、瞼の裏にアスランの姿を見た。彼だけではない。ユーリスや、レーアまで。

 すべてを失った自分を、受け入れてくれた人たちだ。クラウスが生きて戻ってくるのを待っている人たち。

「こんなところで、死ねない」

 クラウスは、アリスの左手を殴りつける。アリスの手からナイフが離れ、飛んでいった。

 クラウスはさらに、アリスの鳩尾を殴りつける。

 アリスが唾を飛ばした。だがクラウスを睨み続ける。空になった左手を広げ、クラウスの喉元を掴もうとしてきて……

 鈍い音が響いた。

 見上げると、ユージンがそばに立っていた。機関銃の銃身を鈍器にして、アリスの頭を叩いたのだ。

「クラウスはやらせない」

 アリスはそのまま目を閉じ、力なく雪の上に倒れる。

 クラウスもまた、雪の上に倒れる。胸の傷はもちろん、切りつけられた頬や左肩の傷が痛い。

「クラウス、すまない。遅くなった」

「ユージン、俺のことはいい。そいつを拘束してくれ」

 アリスは、気を失っただけだ。目を覚まされて反撃されたら困る。

 それに、連行して話を聞き出さなければならない。

「他の、狼たちは?」

 クラウスは周囲を見渡す。周囲では、狼の屍が血を流して転がっていた。北へと逃げていく狼たちがいるが、足取りがふらついている。恐らく、銃弾が当たって負傷し、霞化が使えなくなって逃げているのだろう。

「無傷の狼は、もういない。街の脅威は去った」

ユージンがバックパックから拘束具を取り出しながら、告げてくる。

「そうか」

 クラウスは、エルヴィを見つめていた。アリスに殴られた腹を押さえながら、こちらに近づいてきている。クラウスは立ち上がろうとして、傷の痛みに片膝をついた。

 傷から滴り落ちる血が雪を染める様子に、エルヴィは口元を手で押さえる。

「ひどい傷。血が」

「深手じゃない。ちゃんと手当てを受けたら何とかなる」

 エルヴィは、引き続き近づいてくる。クラウスもその場に膝をついたまま、エルヴィが近づいてくるのを待っていた。

 ようやくエルヴィと話ができる。

エルヴィはクラウスの目の前で片膝をつくと、その指で目元に触れた。

「何を?」

「クラウスが、泣いているから」

 自分が涙を流していることに、クラウスはやっと気づいた。

「どうして、つらそうにしているの?」

 エルヴィに拭ってもらったというのに、クラウスの目から再び涙があふれる。

「エルヴィを、孤独にしたから」

 クラウスは、罪を白状する。

「守ると言ったのに、俺はあんたを置き去りにした。それどころか何もかも忘れて、逃げ延びたこの国でのうのうと幸せに暮らしていた」

「私、孤独なんかじゃないよ?」

 エルヴィはそう、クラウスの罪を否定した。

「クラウスがここにいてくれている。元気そうにしている」

 クラウスは、顔を上げた。エルヴィの目元にもまた、涙の雫が光っていた。

 四年間のつらい記憶を振り返っているのか。でも、エルヴィは笑顔だった。

「それにクラウス、家族に恵まれている。幸せそうにしていて、私も嬉しい。四年間、ずっとそのことだけを考えていたから」

 そして、さらに身を寄せた。クラウスを抱き寄せ、黒い髪をそっと撫でてくる。

「生きてくれていて、よかった」

 クラウスもまた、エルヴィの体を抱きしめた。

「エルヴィも、無事でいてくれてよかった。もう、離れない」

 十六年ほどの人生で最も長く付き合ってきた、しかし四年間会えず、存在も忘れていた友達に、クラウスは身を委ねる。

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