第39話

 アリスが、パーヴェルに剣を突き立てた。エルヴィが見守る目の前で。

狼たちの動きが止まった。

「内輪もめか」

 ユージンが、アリスの行動に驚き、声を漏らしている。

「みたいだな」

 クラウスは、動揺するなと自分に言い聞かせる。

 この世で最も恨んだ男が、殺された。

 アルやイリヤに死をもたらした男だ。叶うならばあの男に復讐をと思いながらヴィランに逃げてきた。

 アリスによって封じられた記憶が解き放たれたときも、クラウスが取り戻したのはエルヴィたちとの思い出と、パーヴェルへの恨みだった。

 この四年間、『白い家』に残されたエルヴィに何をしたのかもわからない。問い正したいこともある。知りたいことをすべて知った上で、仕留めてしまいたい。

どのみち彼は、今後もウルムの人たちを傷つけていく。

クラウスはそう思ったのに、そのパーヴェルは殺されてしまった。

 自分ではなく、アリスの手によって。

「ユージン、油断するな。アリスは敵対していることに変わりない」

 自分を落ち着けさせるためにも、クラウスは言って聞かせる。

 まだ終わっていない。アリスが街の人たちを傷つけようとしている点においては、パーヴェルと変わりないのだから。

 クラウスは前へと進んでいく。

 アリスは、パーヴェルに突き立てた剣を抜いた。

「クラウス、助かった」

 アリスが労ってくる。

「お前のおかげで、この男を仕留めることができた。妹を殺そうとした男だ。お前を野放しにすれば、必ず動いてくれると思っていた」

 思えば、当然だった。クラウスが雪に覆われた森でエルヴィを見つけたとき、あの狼が襲ってきた。パーヴェルが放ったものだとすれば、彼がエルヴィを殺そうとしたということになる。

 唯一残された肉親を殺されそうになったアリスが、それを許すはずがない。

「クラウス、お前は私たちのところに戻らないのか? お前の祖国だ。エルヴィもいる」

 アリスは、問いかけてくる。何か言おうとしたユージンを、クラウスは手で制した。

「姉さん、クラウスに何をするつもり?」

「エルヴィ、お前はただ黙っていればいい。クラウスはお前の大事な友人だ。悪いようにはしない」

 アリスが、エルヴィに言って聞かせている。もちろん、クラウスが都合よく動いたらの話だ。

「俺が戻って、あんたはどうするつもりだ? 俺とエルヴィに、何をさせる?」

 薄々とわかっているが、まだアリスに真の意図を聞き出せていない。

「パーヴェルの目的を継いで、ヴィランと戦ってもらう」

 アリスは、はっきりと言った。

「もちろん、エルヴィも」

 アリスが、すぐそばの妹にも告げる。

「つまりは俺に、ウルムの人たちを殺せということか」

 故郷と呼んでもいい街には、仮とはいえ家族が、友達がいる。その人たちを殺せと、アリスは明らかに言った。

「忘れたのか。お前の故郷を焼き、家族を奪ったのもこの国の連中だ。私たちも同じ」

「だからって、街の人たちを傷つける理由にはならない」

 クラウスは、視線をエルヴィに向けた。

「エルヴィ、こっちに来るんだ。そっちにいたらいけない」

 戸惑っている彼女に声をかける。

「クラウスのところに?」

 エルヴィの青い瞳に迷いがあった。

「私は敵の人間だよ。それでも?」

 記憶を取り戻し、霞化のことも自分の過去もすべてを思い出した今だと、やはり戻ってくるのは難しいらしい。

「それでもだ。こんなことに関わらなくてもいい。アスランさんもタルムさんも、みんなエルヴィを受け入れると約束してくれている」

 四年間、エルヴィは虐げられてきたはずだ。殺しの道具にされ、戦いに放り込まれる不安の中で、霞化の実験を受けながら日々を過ごしてきた。クラウスに忘れられた中で。

 だからこうして、パーヴェルやアリスの確執から解き放たれずにいる。

 エルヴィはもう、これ以上、苦しまなくてもいい。

「私、クラウスと一緒にいても、いいの?」

「ああ、俺のそばにいろ。あんたの居場所はそっちじゃない」

 エルヴィは、こちらを見つめていた。手を固く握り、そしてクラウスのほうに一歩踏み出す。 

「それで、妹はどうなるんだ?」

 アリスの冷たい声が、雪原に響いた。

「クラウスもそうだが、エルヴィは、我々の機密を握っている。ヴィランの連中が何もしないはずがない。周囲の人の反応だけを見て、妹を危険に巻き込むなど許せないぞ、クラウス」

 アリスはもう一度、エルヴィと向き直った。

「エルヴィ、十年前を忘れるな。父さんと母さんと、故郷のみんなを殺したのは誰だ? 仇を討たないほうがおかしい。このまま敵を倒さなければ、また私たちみたいな子供が生まれる」

 クラウスと、アリス。二人の間に板挟みになったエルヴィは、下を向いた。銀色の髪に青色の瞳が隠れ、見えなくなる。

「……レーアは、優しい子だった」

 エルヴィの口から、クラウスの仮の妹の名前が出てくる。

「記憶を失った私のことを怖がってもいいはずなのに、家に入れてくれて、話し相手になって、一緒に街で遊んだりして、私のことを受け入れてくれた。私、あの子が好きになってた」

「レーア、クラウスがその名前を言っていたな。記憶を封じられた彼の、偽りの妹。まやかしにすぎないというのに、なぜクラウスは大事にするのだか」

 アリスが、クラウスの四年間の思い出を侮辱した。

「お前も、敵に情が移ったのか?」

エルヴィは顔を上げる。

「不幸な子供を生みたくないと言ったよね。なのにレーアたちを、街の子供まで傷つけるようなことをした。そんな姉さんと、私は一緒にいることはできない」

 エルヴィがアリスを睨みつける。だが次には、大きく目を見開いていた。

 アリスが繰り出した剣の柄頭が、エルヴィの腹に食い込んでいた。

「残念だ。本当は無理やり連れ戻す真似はしたくなかった」

 アリスが見下ろす中で、エルヴィは倒れていく。

「エルヴィ!」

 クラウスの叫び声が、戦端の始まりだった。アリスは剣を抜き、クラウスへと向かってきた。

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