第38話
街の外れの雪原にも、砲撃音は立て続けに響いていた。そのたびに、アリスやエルヴィの髪が震える。
アリスは、剣を構えていた。パーヴェルを睨んでいる。
「クラウスは、やはり彼らに霞化の弱点を漏らしたな」
アリスは、パーヴェルに笑みを浮かべる。
街で使われているのは、空砲だ。一瞬で距離を詰めてくる狼たちを相手に、しびれを切らして街を破壊してでも砲撃している、わけではない。
空砲の音で狼たちの注意を引きつけるかしている間に、近くにいる者が狼を撃っているのだろう。空砲の轟音で銃声が紛れ、狼たちに位置がばれることもない。
「端末を確認したらいい。きっと街の狼たちは減っている。このままでは、敵がここまで来るぞ」
パーヴェルの顔が歪んだ。
一頭の狼が、アリスの足元に現れた。アリスは、剣を振り下ろす。喉をやられ、狼は倒れた。
「霞化を使っている間は攻撃できない。霞化を使ったまま私に咬みついたら、この狼たちは顎を砕くことになる。もう何頭目だ? こうやって無駄に狼の数を減らしているのは?」
アリスの問いのとおり、彼女の後ろには、狼の死体が転がっていた。アリスが、霞化で接近してきた狼を待ち構え、接近すると同時に斬り殺した狼たちだ。
四年前のクラウスで、明らかになったことだ。クラウスが暴走し、霞化を使ったまま『白い家』の研究員を殴ったとき、骨が折れた音がして彼は痛がっていた。
だから狼たちは、霞化を使ったまま攻撃しないように調教されている。
アリスの背後でも、刃物が肉を断つ音がした。エルヴィが、霞化で目の前に現れた狼にナイフを振り下ろしたのだ。
エルヴィとアリス。互いが背中を守っているから、死角がない。
「エルヴィ、大丈夫か?」
アリスは、妹をいたわる。
「うん。あっ、街から人が出てきた」
エルヴィが声を上げた。
「ウルムの兵術学校の連中、だな」
応戦のために、狼たちがパーヴェルの元を離れる。
パーヴェルの前が、手薄になった。
だがそれでも、三頭の狼が残っている。あれでは霞化でパーヴェルの至近距離に近づいても、剣を振り下ろす前に狼に咬まれるだけだ。
「あれは、クラウス?」
妹の口からその名前を聞いて、アリスは笑みを浮かべた。視線をパーヴェルに向けたままにする。
「勝ったな」
アリスがつぶやいた、その直後に銃声が響いた。
パーヴェルのそばにいた三頭が姿を消す。機関銃の射線に重なるように、宙に跳ねていた。
そして三頭は撃たれ、空中に血を散らす。
主であるパーヴェルをかばうために、三頭は自ら盾になったのだ。
この機会を、アリスは逃さなかった。
霞化を使う。世界が、停滞して見えた。
パーヴェルをかばって撃たれた狼三頭も、空中に留まっている。
アリスは、パーヴェルのほうへと足を進めた。
距離としては、近すぎるくらいだ。
一点を見つめたまま動かないパーヴェルの前に、アリスは来た。剣の切っ先を天に向けて、霞化の力を解く。
アリスは、剣を振り下ろした。パーヴェルの胴を斜めに裂く。
撃たれた狼の体が、すぐ横で落ちた。
狼と、パーヴェルの血が、まわりの雪を赤く染める。
パーヴェルは膝をついた。
「申し訳ない。パーヴェル」
アリスは、横たわる男に声をかける。
アリスにとって、パーヴェルは恩人だった。村を家ごと焼かれ、両親も村人たちも皆殺しにされたアリスを、エルヴィごと引き取ったのはこの人だ。もしパーヴェルがいなければ、戦乱の中、妹と二人きりで飢えていたかもしれない。
唯一となってしまった肉親を生かしてくれたのが、このパーヴェル。
そんな男を、斬った。
「……見抜いていたか、アリス」
「お前は、エルヴィを殺そうとした。『白い家』を抜け出した妹を追うのに、狼を放ったな」
背後では、いまだ銃声が響いている。クラウスやその仲間が、狼を撃っている。
「私は、そんなことは話さなかったが」
「甘いな、パーヴェル」
――捜索隊を出している。必ず生かして連れ戻すつもりだ。
パーヴェルが、エルヴィのいなくなった『白い家』で告げてきたのは、そんな無難な言葉だけ。当然だ。エルヴィを殺すと明言したなら、アリスに叛意を煽ることになるから。
でも、アリスはパーヴェルの真意を見抜いていた。
「四年前、『白い家』を抜け出したクラウスとイリヤを処分するに狼を放っただろう。同じことをするのではないかと思っていた」
結局その狼は戻ってこなかったので、当時はちょっとした騒ぎになったが。
「それにエルヴィも、街の近くで狼に襲われかけたと話した。それで確信した。私の唯一の肉親までも殺されるのは、許せない。お前もわかっていたはずだ」
パーヴェルは、口から血をこぼした。
「敵に霞化の弱点をばらしたのは、お前か?」
問いかけられる一方、銃声は続く。霞化は使うと三秒以上の間が必要という制約により、狼の一頭がやられた。弱々しい唸り声が響く。
「あの街に、クラウスがいた」
「クラウス、だと?」
「私は彼に思い出させただけだ」
あえてエルヴィの脅しに従うふりをして、クラウスを見逃した。
「生きて、いたんだな。そう話す、ということは、ポトリアの……」
「ああ、そのための薬は、『白い家』から持ち出させてもらった。クラウスも後ろのエルヴィも、すべてを思い出している」
クラウスは、兵術学校の制服をまとっていた。記憶を取り戻させれば、必ず仲間に霞化の弱点を話し、パーヴェルや狼を排除するために動く。
「クラウスがうまく動いてくれると思った」
まして、エルヴィがパーヴェルの元に戻ろうとするのならば、なおさらだ。
そしてアリスの見立ては正しかった。現にクラウスは狼を退けて、すぐ背後まで来ている。
「やはりお前は、魔女だ。このままヴィランに、寝返るか」
パーヴェルが血を吐きながら嘲笑う。アリスは、横たわるパーヴェルの胸に剣の切っ先を向けた。
「それはない。お前の目的は私が継ぐ。この国を滅ぼすつもりなのも変わらない。……今まで世話になった」
アリスは、パーヴェルの胸に剣を突き立てた。
背後からエルヴィの視線を感じながら。
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