第37話

 クラウスは、地上の路地を歩いていた。腰に差している剣の柄に触れる。背後にはユージンが、機関銃を持ってついてきている。

『クラウス、その先の広場に二頭潜んでいる』

 無線端末から、タルムの声が響いた。クラウスは建物の陰から、慎重にロータリーとなっている広場をうかがった。

 広場の中央の植栽に、確かに二頭潜んでいた。身を潜め、街の者がいないかうかがっている。

「確認しました。指示をお願いします」

クラウスは、ユージンに合図で狼の位置を伝えた。「見えた」とユージンは言い、機関銃を構える。

『ユージンへ、自走砲からそちらの距離は約千メートル。音の速さを計算に入れて、タイミングを合わせるよう』

「了解」

 ユージンが応じた。

『砲兵隊、自走砲発射用意。三秒後に空砲を撃て』

『了解。頼むよ』

 応じたのは、ローゼマリーだ。

 三秒が経過し、そして追加で約三秒がたつ直前に、ユージンは引き金を引く。

 ユージンの機関銃の銃声は、ウルムの街に響き渡った轟音にかき消された。

 目標にしていた狼二頭は、突如響いた轟音に驚いて頭を上げ、直後にユージンが放った弾が命中。二頭とも地面に倒れた。

「命中した?」

 当のユージンが、目の前の狼の様子に困惑する。

 街の人々を襲い、霞のように姿を消して銃弾をかわし、応戦していたマクガリフやアレンたちも噛み殺した狼を、あっさりと倒してしまった。驚くのは、自然なのかもしれない。

「指令へ、銃撃は成功しました。二頭排除。監視の継続をお願いします」

 クラウスは無線に声を吹き込む。

『こちらも確認した。クラウスの言ったとおりだったな』

 タルムが応じる。

「霞化は意思がないと発動しない。だから死角からの奇襲に弱い」

 クラウスは、つぶやく。

 四年前に犠牲になった、イリヤがそうだ。彼女は背後から忍び寄る狼に気づかず、致命傷を負った。霞化で狼をあしらうのは簡単だったはずなのに。

『引き続きルートの警戒を続ける。周辺に不審な影なし。エルヴィは街の北部に向かったことが確認されている。街の外れに出た彼女を連れ戻してこい』

「了解」

 指令であるタルムがいるのは、兵術学校ではなく、街の警察署だ。タルムは、街中に設置された防犯カメラの映像を見て、街に潜んでいる狼たちの位置を補足し、指示を飛ばしている。

 ローゼマリーは、兵術学校に戻っていた。自走砲で空砲を放ち、その砲撃恩で、さっきのように機関銃の銃声を紛れさせている。

 街の建物で複雑に反響する空砲の轟音は、機関銃の銃声をかき消して、街に潜む狼たちに位置を知られるのを防ぐ。

『砲兵部隊は次弾の用意を急げ』

 タルムの指示が飛ぶ。

「ユージン、広場を突っ切る」

 クラウスの声で、ユージンは我に返った。

「ああ、いや待て。あの二頭、仕留めきれていないぞ」

 クラウスは、狼のほうに視線を戻した。一頭が後脚から、もう一頭が脇腹から血を流しながら、ゆっくりと立ち上がっていた。

「大丈夫だ。奴らは霞化を使えない」

 クラウスは、広場に駆け出した。

「ま……」

ユージンが声を出しかけて、位置がばれないよう口をつぐむ。

クラウスは、狼と目を合わせた。憎悪を感じる。狼は牙を出した。脇腹に弾を受けた狼が、先に駆け出し、異常に伸びた爪でクラウスの体を引き裂こうとする。

クラウスは、剣を抜いて振り上げた。喉を裂いてその狼は倒れる。後脚をやられた狼は、恐れをなして逃げようとして、足がほつれて転んだ。

クラウスは追いつき、その背に剣の切っ先を突き立てる。その狼も動かなくなった。

 ユージンは、機関銃を構えたままクラウスに寄ってくる。

「こいつら、霞化を使わなかった?」

「使えなかったんだ、ユージン」

 クラウスは剣を狼の背から抜いた。

「負傷した状態で使ったら、体にかかる負荷で傷が悪化する」

 クラウスがそうだった。四年前の『白い家』で、クラウスが右腕を折った状態で霞化を使おうとしたとき、激痛にみまわれた。

「きっと擦り傷があるだけでも、霞化を使うと傷が深まって太い血管を傷つけてしまうかもしれない」

 ウルム近郊の森でエルヴィを見つけたときもそうだ。霞化を使える狼はクラウスを追い詰めたが、ナイフで少し傷を与えただけで逃げ去ってしまった。

「掠めるだけでも十分ということか」

「ああ、そういうことだ」

 クラウスは走り出した。後ろからユージンも追いかけてくる。

 街の外れに向かっている間にも、タルムは次々と兵術学校の候補生たちに指示を飛ばしていた。狼の位置を、間近にいる候補生に伝え、機関銃の発射のタイミングを無線で合わせる。兵術学校にいるローゼマリーたちが、自走式榴弾砲で空砲を放って、銃声をかき消す。

 狼の排除の成功を伝える候補生たちの無線が、繰り返されるようになった。

 クラウスは、油断しない。

 目の前を、烏が飛び立った。三羽、兵術学校のほうへと向かっている。

 どうやら、兵術学校の自走砲を破壊する魂胆らしい。街の偵察のため飛来したヘリを撃墜したように。

「ローゼマリー先輩、不審な烏がそっちに向かいました。撃ち落としてください」

『わかった。こっちも準備できてる』

 やがて離れた場所から二度、銃声が響いた。

『散弾銃で烏は撃ち落としたよ。一発目は霞化でかわされたけど、二発目は命中した』

 ローゼマリーは伝える。

「霞化を使って一瞬で移動できる範囲は、半径三十メートルまでです。しかも、三秒間は連続して使えません」

 クラウスは無線で、霞化の弱点を再度伝えていく。

 空軍基地や、街に飛来したヘリのエンジンに侵入し、自爆して破壊した烏たちだけではない。地上の狼たちとて同じだ。霞化を使った後の三秒間は、牙と爪が異常に発達しただけの獣となり、銃弾にも当たる。

『クラウスの言うとおりだ。全員、繰り返すが対象の狼から最低三十メートルの距離をとれ。負傷させた場合を除いて安易に近づくな』

 クラウスは、どんどん進んでいく。

『クラウスの見立ては正しいらしい。街に潜む狼たちは予想よりも少ない』

「奴らが通信基地を襲って、この街と外部の連絡を取れなくしたことから、そう睨んでいました」

 クラウスは走りながら応じる。

 街の多くの人々を傷つけた狼たちの数はそこまで多くない。霞化により一瞬で距離を詰め、懐に入り込むことができるとしても、 いくつかの弱点があるのだ。多数の兵により抵抗を続けていれば、いずれ街に放たれた狼たちはやられる。

 だから通信基地を破壊し、通信の手段を失わせて、ウルムの街の人々が外部に救援を求められないようにした。

 でも、違和感があった。

「少なすぎやしないか」

 ユージンも、同じ懸念を抱いていたらしい。

 街で見かける狼は、数が少なすぎる。街の路上に横たわったままの、市民の犠牲者は少なくない。狼の排除を伝える無線は、十にもいかないくらいだった。どこかに潜んでいるのか、あるいは異変があって、どこかに行ったのか。

「来ないなら先に進むだけだ」

 クラウスは進み続ける。今は立ち止まる時間もない。

「わかった。警戒は任せろ」

 ユージンは、クラウスについてくる。無国籍者(ステートレス)となじっていたとは思えないほど、頼もしい。

 一方で、クラウスはもう一つ、違和感があった。

 アリスだ。

 エルヴィが自分の喉に剣を突きつけ、クラウスのそばから離れなければ自死すると脅したとき、アリスはあっさりと聞き入れた。霞化を使い、エルヴィから剣を取り上げようと思えばできたはずなのに。

 何かを、させられている気がする。

 アリスは、何のつもりだ?

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