第34話 姉妹

 十年前、エルヴィは故郷の村を焼かれた。

 突然だった。エルヴィが母に絵本を読むようせがんでいたときに、いきなり家に父が飛び込んできた。父は母に村が襲われていることを告げると、そのまま外に出ていった。母は、エルヴィの服を掴み、アリスと一緒に物置の中に押し込んだ。ここでじっとしているようにだけ告げて。

 その中でエルヴィは、玄関の扉が蹴られる音を聞いた。たくさんの乱暴な足音が家の中に響き、男がわめき、そして、母の悲鳴が響いた。

 エルヴィは、アリスに耳を塞がれていたが、それでも家の中に響く不穏な音を聞いていた。

 だが、出たら殺される。

 だからアリスに抱かれたまま、狭い物置の中で小さく縮こまっていることしかできなかった。

 乱入した者たちが去り、再び家に静寂が満ちても、エルヴィはアリスと二人で物置に隠れていた。やがて家の周囲から銃声も聞こえなくなったとき、今度は煙のにおいに気づいた。アリスは慌ててエルヴィを物置から連れ出す。

 母は、いなくなっていた。部屋は荒らされ、食器は割られ、壁や床には、黒く小さな弾痕がたくさん穿たれていた。

 そして、家は焼かれていた。押し入り、部屋を荒らし、母を連れ去った男たちによって火を放たれたのだった。

 アリスに手を引かれたまま、エルヴィが外に出る。

 そこで待ち構えていたのは、大柄の、機関銃を持った男たちだった。バックパックを背負い、分厚い軍服に身を包んだ彼らは、明らかに村の人たちとは違った。

しかもその足元には、多くの知人が血を流して倒れている。他のところでも、軍服の  男が逃げる村人の背中に向かって機関銃を撃っていた。

 男たちは自分たちを殺そうとしている。

エルヴィは動けなくなり、屈み込んで目を閉じるしかなかった。

 ……故郷の村で生き残ったのは、当時十歳のアリスと、六歳のエルヴィだけ。

 幼い子供の二人が、なぜ生き残ることができたのか。

 理由は、アリス。

 銃声が響いたとき、エルヴィは自分が撃たれたのだと思った。

だが続けて響いたのは、男の悲鳴だった。エルヴィは怯えながら目を開けると、軍服の男の一人が倒れるのを見た。その向こうには、さっきまでエルヴィのすぐそばにいたはずの、アリスが立っていた。手には男から奪ったらしい銃を持ち、煙を上げる銃口を男に向けて。

 そして、アリスの姿は消えた。

 どこに、と探したとき、別の場所から銃声が響いた。村を襲った男たちの、もう一人が倒れる。その背後には、やはり銃を構えたアリスがいた。

 姿を消して、一瞬で移動し、仲間を殺した女の子。村を襲った男たちは、明らかに動揺していた。

 魔女だ、とわめき、アリスに機関銃を向けた男が、引き金を引いたときにはアリスに背後に立たれていて、背中を撃ち抜かれる。

 ついさっきまで一緒に暮らしていた姉が、人に向けて銃を撃っている。怖くて、その場から動かぬまま自分の耳を塞ぎ、目を閉じて事態が終わるのを待っていた。

 そのようにして村を襲った男たちは、アリスによって全員が殺されていった。

 すべてが終わったところで、静寂が訪れる。エルヴィは、いなくなった父と母を探そうとした。するとアリスは、ぎゅっとエルヴィを抱きしめた。手で目を塞いできたのは、荒らされた村を妹が見ないようにするためかもしれない。

 姉の体からは、硝煙のにおいが染みついていた。

 ――やめてエルヴィ。父さんと母さんを探したらいけない。

 アリスはそうやって、引き留めてきた。どうして、とエルヴィが叫ぶと、アリスは間を置き、意を決したように、言った。

 ――もう死んだ。見たらいけない。

 エルヴィに見せられないほど、悲惨な状態にされていたのだろう。

 ――そんなことない、父さんも母さんも死んでない。

 エルヴィがわめくと、アリスはさらに強く抱きしめてくる。

 ――ごめん、本当なんだ。手遅れだった。

 アリスは声を震わせていたけれど、その手は力強かった。どんなに暴れても、エルヴィには振りほどけなかった。

 ――父さんと母さんは、よく笑っていたね。私やエルヴィのこと、たくさん褒めてくれて、優しかった。だからエルヴィ、父さんと母さんの笑った顔をよく覚えているんだ。これから寂しいことはたくさんあるけど、そうすればつらいことはきっと乗り越えられる。

 本当はアリスも、泣き喚きたかったはずだ。でもつらくないふりをして、駄々をこねるエルヴィを慰め続けた。

 ――私は、父さんと母さんの最期をしっかりと覚える。こんなことを仕組んだ奴らを殺して、仇も討つ。敵がいなくなったら、また一緒に平和に暮らそう。

 もう村を襲い、焼いた男たちは殺されたというのに、アリスはそんなことを言っていた。

 焼き払われた村に救援が来るまで、アリスはずっとエルヴィを抱え、目を塞ぎ続けた。

 エルヴィは泣き疲れて寝て、気がつけばパーヴェルと一緒に車に乗せられていた。だから父や母の死に顔がどうだったのか、知らずにいる。

 

 『白い家』における霞化の実験は、アリスが中心になって行われた。クラウスたちに注射された、霞化の力をもたらす赤色の液体も、アリスの血液の成分が由来になっている。

 十年前のアリスがなぜ霞化を使えたのかは、謎だ。血縁に関係があるのではないかとパーヴェルは睨んでいたが、アリスとエルヴィの両親は死んだ。アリスもエルヴィも、従兄弟や祖父母といった他に血縁がある者を知らない。役場も放火され、紙で管理されていた村人の戸籍はアリスとエルヴィの分も含めて焼失した。アリスの血縁から霞化の謎を解くことは、できなかった。

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