第33話

 タルムの姿を目にしたとき、来るべき人が来た、とクラウスは思った。

 地下通路を通ってきたとはいえ、早い到着だ。

「タルム殿、なぜここに? 兵の指揮は?」

 アスランが、タルムに尋ねる。

「教え子たちの指揮は、副官に任せています、市長殿」

 タルムはすぐに答えた。

 彼女の視線は、クラウスに向けられた。

「報告を聞いた。記憶を取り戻したそうだな、クラウス・トンプソン」

「はい」

 クラウスは、上官の問いに答える。

「お前は、敵なのか? 味方なのか?」

 タルムが問いを重ねる。

「そちらも、もうわかっているはずですが」

「クラウス!」

 信じさせろと言ったユージンが、声を荒らげる。

「ローゼマリー先輩の行動からしても、そうでしょう」

 クラウスが、ローゼマリーを見つめた。さっきから黙り、こそこそと成り行きを見守っていた彼女は、視線を向けられて体が震える。

「私が……?」

「はい。先輩は単独で外に出た。俺が殺したあの狼の死体を回収するために、俺を連れ出そうともせず。やろうと思えば、できるはずなのに。俺を、敵かもしれないと疑ってのことでしょう?」

「私は、敵だと思ったわけじゃ、ただ用心しただけで」

「疑ったんですね」

 クラウスは、容赦をしない。さらに追及をするのか、とユージンは思ったが、クラウスはローゼマリーから視線を外した。

「我々と、敵対するつもりか? クラウス」

 問いかけるタルムの背後では、部下二人が身構えている。いつでも銃を抜けるように。

「だとして、俺を捕縛しますか。結構ですよ」

 逃げるなど、簡単だ。こちらは霞化が使える。ユージンにローゼマリー、アスランやタルムと、彼女の部下二人、合計六人に囲まれてはいるものの、小部屋から行方をくらませることなどたやすい。

「このまま逃したら、俺は何をするかわからない。敵がここにいるのに、何をしているんですか?」

「クラウス、ふざけるのはやめなさい」

 アスランの声が、小部屋に響いた。

「お前は敵じゃないし、ここから消える必要もない。まして、あてもなくエルヴィと二人だけで逃げるなんて、私は許さないぞ」

「ああ……?」

 クラウスは、アスランと向き合う。

 今、最も聞きたくない言葉を聞いた。

「自分が言ったことの意味わかっているのか?」

 意識するでもなく、クラウスは低い声を出した。

 アスランと決別し、仮の父とともにいることはできないと、自分に言い聞かせるために。

「もう、街ではたくさんの人が犠牲になった。レーアも傷ついている。こんなことを引き起こした連中と、俺は繋がっているんだ。連中の機密だってたくさん握っていて、しかも記憶も取り戻している。そんな俺がこの街に残ったらどうなるか、あんたもわかっているだろう」

「想像はついている。こんなことを引き起こした連中は、お前を連れ去ろうとするだろう」

「それだけじゃない。俺に関わった人たちまで巻き込まれる。ユーリスさんやレーアも命を狙われるし、もちろん、兵術学校のみんなも。ひょっとしたらウルムの街全体が攻撃に晒されるかもしれない」

 市長であり、街の人たちの命を預かるアスランは、それでいいのか?

 クラウスは、問おうとした。

「……お前の口から、そんなことを聞けてほっとしたよ」

 アスランは、笑みを浮かべた。

「え?」

「お前が本当に私たちの敵なら、私たちがどれほど犠牲になろうがどうでもいいはずだ。お前は敵じゃない。だからここから消える必要もない」

「あんた、まだわからないのか!」

 クラウスは、アスランに詰め寄った。

「俺がここにいるせいで、みんなが殺される。俺と関わったっていう、それだけの理由で。そんなの、耐えられない。あんただって同じだろう」

 アスランは笑みを浮かべたままだ。

「あんた、とお前が私のことを呼ぶのは、初めてだな。いやー、クラウスはついに反抗期に突入か。遅かったな」

「こんなときに何をふざけて」

「都合が悪くなった息子を切り捨てる親がいるか?」

「この期に及んでまだ父親面か」

「クラウス、お前が私たちに犠牲になってほしくないように、私もお前が消えてほしいとは思わない。ユーリスやレーアも同じだ。必ず、お前が私たちに死なれるのと同じくらいに傷つく」

 クラウス自身も、薄々とわかっていた。自分が消えたとしても、誰も喜ばないと。

「それで俺がここに戻って、殺されるかもしれないのにか」

「どのみち、お前を匿った私たちは狙われる。機密がわずかでも漏れたかもしれないとして、街も再度の攻撃を受けるだろうな。お前がいなくなろうが、連中がすることは変わらない」

「あっ」

 クラウスの手から力が抜けて、アスランの胸倉を放した。

「だが、素直にやられるつもりはないぞ。いざというときはお父さんに任せろってやつだ。まあ私はただの役人で、人に頼るしか能がないけどな」

 アスランが、ふざける。小部屋にいる者たちが、失笑を漏らした。

 アスランは、そのままクラウスの肩に手を載せた。

「お前も、街のみんなも、これ以上の犠牲は出させない。だからここにいろ。もう一度言う。消えることは許さん」

「……でも、俺がエルヴィを追いかけるのは変わらない」

 クラウスの、そこだけは変わらない決意だった。

「アスランさんは、あいつのことは、どうするつもりなんだ。どう扱う?」

「その前に彼女も、記憶を取り戻したのか?」

「ああ」

「敵なのか?」

「違う。あいつは俺たちをかばおうとしているだけだ。敵なんかじゃない」

「なら、連れ戻せ」

「いいのか」

「エルヴィもただの女の子だ。そしてそんな子が、殺しや実験の道具にされるなど、私は許さない。これまでのように、保護を約束する。タルム殿も、それでいいかな」

「危険がないのならば、結構です」

 タルムも、すぐに応じた。

「聞いてのとおりだ。お前もエルヴィも、帰る場所はここだ。必ず戻ってこい」

「そうする。必ず帰る」

 よかった。エルヴィをアリスやパーヴェルから取り戻して、逃げるとして、あてなどなかったから。四年前のようにさまよって、どこか人気のない場所で倒れてしまうだけだったから。

「ああ、だからお前は、迷うな」

「ありがとう」

 クラウスのところに、タルムが近づいた。

「クラウス、お前が狼どもと同じ力を使えるのなら、我々にとっても都合がいい。エルヴィを取り戻すなら、どのみち狼を街に放った連中を排除する必要があるしな」

 タルムが、声をかける。

「我々にとっても、お前が必要だ。協力を、頼む」

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