第30話 もしも敵だとすれば

 罪を、犯した。

 守ると誓ったエルヴィを、置き去りにした。アルやイリヤを死なせてしまった。そして四年もの間、それらのことを忘れていた。それがクラウスの犯した罪。

 クラウスは、立ち上がった。

 四年前までのすべての記憶を取り戻した。その上で、あえて胸を張る。視線を前に向け、堂々とアリスに向き合う。

「アリス、あんたは何をしに現れた」

 クラウスは、問う。

「当たり前だろう。妹を取り戻しに来た。そしてクラウス。生きているならばお前も」

 アリスは、再会に微笑みを浮かべている。

「もう一度言う。私と一緒に来い。イリヤはどうした? どこにいる?」

「イリヤなら、死んだ。あんたたちが放った、あの狼に食い殺された」

 そして今は、教会の墓地の、名前の刻まれていない墓の下で眠っている。

「四年前のあの女の子、思い出したのか?」

 背後でユージンが戸惑っている。クラウスは、彼の声に応じなかった。今はアリスから意識を逸らすことができない。

「それは、残念だった」

「ふざけるな。イリヤが死ぬ原因を作っておいて」

「あの狼を放ったのはパーヴェルだ」

「だろうな、だから俺はあんたたちのところに戻らない」

 クラウスは告げる。

「私の元ならば、お前とアリスはまた一緒になれる。アルやイリヤがいないのは残念だが、また一緒に暮らせるのにか」

 アリスは、わかっていない。

だからクラウスは、アリスを拒絶する最大の理由を告げた。

「だがあんたたちはこの街の人たちを殺し続ける。もうすでに、たくさんの人を殺した」

 霞化を使う狼をこの街に放ち、無抵抗の市民を殺した。子供も大勢が犠牲になった。

「妹のレーアも傷ついた」

「妹のレーア?」

「四年前、俺を家族として受け入れて、兄と慕ってくれた子だ。あんたたちが放った狼に咬まれた」

血が繋がっていないことも忘れるほどに、クラウスにとって大事な存在だ。そんな子が、今は死線をさまよっている。

目の前の女が、この状況を引き起こした。

だから、

「俺とあんたたちは敵同士だ」

 敵は倒すもの。相容れない者同士が、一緒に行くことはできない。

 アリスは、ため息をついた。呆れた顔だ。『白い家』で、妹のエルヴィがドジを踏んだときと同じだ。

「偽りの家族を作るとは。この街の人たちにとって、お前は敵なのに」

「何?」

「お前はカルガトの人間だ。この国の人たちにとって、敵国の人間。状況だけを見れば、お前は記憶がないと騙って、この街に探りに入ったもの同じだ」

 実際、クラウスをカルガトからのスパイと疑った者が、この場所にいる。

 ユージン。

「敵国の人間で、しかも我々の重要な機密を握っているお前が、この国でまっとうに扱われるとでも? 偽りの家族を作って。ずいぶんと気楽になったものだな」

 敵の言葉だ。クラウスは聞き入れないようにする。アリスに踊らされるわけにはいかない。

「クラウス、この街の者を殺せ。この国はお前から家族と故郷を奪った。殺すだけの理由はあるはずだ」

「断る」

従う理由なんてない。

「クラウス」

 名前を呼ばれた。エルヴィの声だ。

 ポトリアの効能を消す薬を注射され、記憶を取り戻した彼女が、立ち上がる。

「エルヴィ」

 互いに誰かを理解した状態での、四年ぶりの再会だった。取り戻したい、助けたいと、クラウスが思った人だ。

「生きていて、くれてたんだね」

 エルヴィが、笑みを浮かべる。クラウスが雪の森で彼女を発見したときとそっくりだった。

「今はいいから、俺の後ろに」

 エルヴィに伝えたいことは、クラウスにはたくさんある。イリヤの死の詳細を伝えなければならないし、四年前にエルヴィだけ置いて逃げたことも詫びなければならない。だが今はそんな状況ではなかった。

 今はアリスを拿捕する。もう、彼女と話すことはない。

霞化で先に攻撃を。

「ごめんなさい」

 なぜエルヴィが謝るのか、クラウスには理解できなかった。

 と、エルヴィの姿が霞のように消えた。

「ここよ」

 エルヴィの声が、耳元で聞こえた。

 と、次には腹に衝撃を感じて、クラウスは床に膝をついた。息ができず、立つこともできない。

「ごめん、クラウス」

 クラウスは、顔を上げる。

 エルヴィの冷たい目が、こちらを見下ろしていた。

「エルヴィちゃん!」

「敵対するのか!」

 ローゼマリーとユージンが叫ぶ。

「ええ、当然よね。だって私は、あなたたちにとって敵国の人間だもの」

 エルヴィと思えない物言いに、二人はひるむ。記憶を失った、ちょっとおとなしいだけの普通の女の子が、敵同士だと言ってのけた。

「エルヴィ、何が目的だ?」

 ユージンの問いに、エルヴィは彼の目を睨みつける。

「敵に目的を尋ねるなんて、滑稽ね」

 エルヴィは、蔑んだ笑みを浮かべる。

「ここにいるアリスが話したとおりよ。私はアリスと一緒に行動する。この国の人たちと戦う」

 エルヴィは、明確に告げた。

「この避難施設に逃げ込んだ人たちも殺すのか」

 ユージンが、銃に手をかけた。エルヴィに向けて銃を向ける。

 エルヴィは、顔色を変えないまま銃口を見つめていた。

「安心して。今はそんなことをしない」

 エルヴィは、アリスのほうに目を向けた。

 そして、もう一度姿を消す。

 次の瞬間には、アリスの真横にいた。アリスの腰から剣を抜くと、空いている片手でアリスの腕を組み伏せる。

「エルヴィ、何のつもりだ?」

 突如として拘束されたアリスが、動揺を見せた。

「私についてきてもらうわ、姉さん。こんなところを攻撃しても意味がない」

「なぜ従わなければ……おい、エルヴィ何を!」

 アリスが取り乱す。

 エルヴィが、自分の喉元に剣の刃を押し当てていた。

「従ってもらうわ」

 エルヴィは、剣を自分の喉元に押し当てたまま言う。刃は肌に触れていた。

「やめろ。そんな真似はよせ」

 哀願に近いアリスの声が、虚しく響く。

 アリスにとって、エルヴィは戦火を共に生き抜いた唯一の肉親だ。死なれるのはもちろん、傷つくことすら、アリスは極端に恐れる。

「なら、私についてきてもらうわ。パーヴェルは、この街に来ているの?」

「当然だ。彼は狼たちを街に放ち、制御している」

「なら、郊外の雪原まで一緒に来てもらうわ。パーヴェルのところまで」

 エルヴィは、歩き出した。アリスも、片腕を掴まれたままおとなしくエルヴィについていく。

「……待て」

 クラウスは腹を押さえながら、呼び止めた。エルヴィが足を止めた。銀色の髪を揺らしながら、クラウスのほうを振り返る。

「どこに、向かうつもり、だ」

 いまだに呼吸するだけでもつらい。それでもクラウスは声を出す。

 エルヴィは、青い瞳をこちらに向けるだけだった。

「クラウスはついてくる必要、ないでしょう」

 彼女は告げる。クラウスを痛めつけたことなど、後ろめたく思う様子もない。

「私と離ればなれになって、生きていてくれて、私は嬉しかった」

 ウルム郊外の雪に覆われた森の中、発見されたエルヴィは、クラウスの姿を見て、笑った。よかった、と言って。

 クラウスは身勝手にも、エルヴィは助けが来てほっとしたのだと解釈した。

 だが、まったく違った。

 生きているクラウスと再会したことが、嬉しかったのだ。あの直後に、記憶の砂時計の最後の一粒がこぼれ落ち、エルヴィは眠りについた。

「この国に来たのは、俺を見つけるためだったんだろう」

 エルヴィの青い瞳が、揺れた。

「ええ、そうよ」

「俺を見つけて、何をするつもりだったんだ?」

「クラウスだけでも逃そうと思った。『白い家』で、間もなくヴィランに攻め込んで、この街も壊滅させるって計画を聞いたから」

 雪に覆われた森の中で、エルヴィは確かに、逃げてと言った。

 それは、直後に襲われたあの狼からではない。ウルムの街からだった。

「でも遅かった。残念ね」

 エルヴィは、クラウスから目を逸らした。この地下避難施設の出口のほうに目を向けている。

「私とクラウスは、もう一緒になれない。ごめんなさい。幸せに暮らしていたのに、平穏な日々をぐちゃぐちゃにして」

 エルヴィは、自分の喉元に剣を押し当てたまま再び歩き出した。腕を掴まれているアリスも、おとなしくエルヴィについていく。

「待てよ」

 クラウスは、痛みに耐えながらエルヴィを追った。ここで彼女を行かせてしまったら、何をするかわからない。霞化という機密を抱えたまま、この国に逃れてきたのだ。パーヴェルの目の前に出たとして、何をされるかわからない。殺されることだって。

 もう少しで彼女の服を掴める。

 そのとき、エルヴィは剣の塚頭でクラウスの腹部を殴った。クラウスの息が完全に止まり、膝をつく。

「二度と私に会おうとしないで。じゃあ」

 エルヴィの青い瞳が、クラウスを見下ろしている。

 クラウスはそのまま、完全に床の上に横になった。そのまま意識を失っていく。

「おい、クラウス! 大丈夫か」

 駆け寄ってくる者がいた。ユージンだ。エルヴィの代わりに、彼の黒い瞳がクラウスを見下ろす。クラウスは、薄れゆく意識の中で彼の瞳を見返す。

「しっかりしろ」

 皮肉なものだ。無国籍者(ステートレス)とクラウスを呼び、カルガトからのスパイと周囲に吹聴し、最初に会ってから四年がたってもなおその疑惑を解こうとしなかった少年が、こうして心配してくるとは。

 ユージンは、聡明だ。こいつの言っていることは、的確だった。

 クラウスにはカルガトと繋がりがある、危険な存在であると見抜いていた。

 もう今までのようにはいかない。アスランやユーリス、レーアに家族として迎えられ、幸せに暮らしていたが、状況が変わってしまった。いや、最初から自分は、アスランたちの前に現れないほうがよかったのかもしれない。

 自分は、アスランたちにとって、敵だったのだから。

 クラウスはそのまま、意識を失った。

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