第24話

 ――やっと帰った。クラウス、エルヴィ!

 他の女の子が呼ぶ声を聞いて、二人は前を向いた。『白い家』の玄関から出てきたのは、同い年くらいの女の子。大きく手を振っていて、茶色い髪が揺れている。

 ――イリヤ、ただいま。

 エルヴィは、空いている手を振る。

 イリヤと呼ばれた女の子は、『白い家』の前から走り出した。クラウスとエルヴィに向かって駆けてくる。

 そして飛びついたのは、クラウスの左手。

 ――おっと。

 イリヤにもう片方の手を掴まれて、クラウスはよろめくが、かろうじて踏みとどまった。

 ――クラウスもおかえり。

 ――いきなりだな。

 ――エルヴィはずるいよ。クラウスを独り占めにするなんて。

 イリヤが、クラウスの向こう側のエルヴィに抗議する。

 ――ごめん。イリヤも誘ったほうがよかった? 部屋でいつも一緒だからいいかなって。

 ――笑ってごまかさないで!

 クラウスは、二人の言い争う声を黙ったまま聞いていたが、ふと冷たい視線を感じた。

 『白い家』の玄関ドアの陰から、一人の男の子がこちらを睨みつけている。

 ――俺も同じ理由で置いていったのか?

 声をかけてきたのは、アル。やはりクラウスたちと同い年くらい。

 ――クラウスはいいよな。エルヴィと仲良くできて。

 ――イリヤとは仲良くできなかったのか?

 ――クラウス、私がこの子と仲良くできるわけないでしょ。

 アルだけでなく、イリヤも不満顔だ。

 ――俺だってお断りだね。

 ふん、とアルは強がる。

 ――相変わらず仲悪いな。この間腕相撲に負けたの、まだ引きずっているのか?

 図星を突かれて、アルはうなる。

 ――それだけじゃ、ないんだよ。

 苦々しく、アルはイリヤへの呪詛を吐く。

 ――今朝はパン横取りしたし、この間はスープの配膳で俺の分少なめにして自分の分を増やしていたし、目を離した隙にリンゴ横取りしたし、ちょっと前はカレーの肉を……。

 ――もういい。なんで食べ物がらみばっかなんだよ?

 クラウスはうんざりしながら止めた。

 そしてイリヤは、

 ――あんたがどんくさいからよ。

 そう言って、べー、と舌を出していた。

 ――お前! 覚えてろ!

 ――二人ともやめろって。そろそろ戻らないと。

 クラウスはなだめた。

 ――そうよね。戻ろう。

 クラウスはエルヴィとイリヤに手を引かれたまま、『白い家』に入っていく。アルが気を変えて、イリヤにちょっかいを出さないか警戒しながら。

 四人が『白い家』に入り、玄関の扉を閉める。

 そのとき、静かな男の声が響いた。

 ――四人とも、帰ったな。

出迎えた者の声に、四人の間の空気が一気に凍りつく。

 玄関にて出迎えたのは、パーヴェルと、アリス。黒い瞳と青い瞳が、冷たくクラウスたちを見下ろしている。

 ――今日も楽しかったみたいだな、エルヴィ。

 表情も変えないまま、アリスは妹に声をかける。

 今日も、パーヴェルと一緒に何かをしていたのだろう。

 ――うん。

 姉のことを心配しているエルヴィは、

 ――早く食堂に向かえ。

 パーヴェルは痺れをきらしたように言う。そのまま、食堂とは逆の方向へと行ってしまった。

 ――私はエルヴィがクラウスたちと仲良くしているのを、悪いことだと思っていないよ。

 相変わらず、アリスは表情も変えない。ただ、妹の銀色の髪を撫でて、それで愛情を示している。

 ――むしろ、ほっとしているんだ。私にとって、肉親はお前しかいないから。他のみんなも同じだろう? エルヴィと仲良くしてくれて、ありがとう。

 普段は無口で、パーヴェルと一緒に何をしているかわからない不気味さもあるアリスが、クラウスたちに礼を言う。緊張しきったクラウスたちの空気が緩んだ。

 だが次に彼女から吐かれた言葉は、不吉でしかなかった。

 ――そう遠くないうちに、私もお前たちも戦いに巻き込まれることになる。今のうちに、しっかりと遊んでいたらいい。

 その言葉で、クラウスの背筋が凍り、他の子たちも言葉を失う。

 ――姉さん?

 ――大丈夫だ、エルヴィ。

 不安を訴えようとしたエルヴィを、アリスはそっと抱きしめる。

 ――ここにいれば、いずれ戦いになっても生き抜ける。それだけの力を得られる。だからそう怯えるな。

 励ましているつもりなのだろうが、傍らで聞いているクラウスにはわけがわからなかった。毎日、この『白い家』ではそれなりに勉強して、体を動かしてはいるけれど、特別なことはしていない。クラウスの記憶にある、本当の家族の元で暮らした日々と、あまり大差ないくらいだ。

 戦火をかろうじて生き延びたクラウスには、幼いなりに砲弾や爆弾の恐ろしさは理解していて、それらを前にした人間はいかに無力なのかを知っている。

 それなのに、ここにいるだけで力を得られる? どういうこと?

 アリスは、エルヴィを放した。

 ――さあ、ここで長話している場合じゃない。早く食堂に向かうんだ。今日は、あの薬の投与も受けないといけないしね。

 


 クラウスたちが夕食を終えると、パーヴェルが四人の部下たちを引き連れて食堂に入ってくる。部下たちはそれぞれ金属製のトレーを持っていて、そこには何かの錠剤と、緑色に着色された小さな瓶が載せられていた。中身の液体が、部下が歩くたびに揺れている。

 クラウスたちは、パーヴェルの部下たちから渡されたそれを口に含む。鉄の錆に似たまずい味が口の中に広がった。クラウスだけでなく、エルヴィもイリヤもアルも、このときばかりはつらそうだ。

 でも、我慢して飲まなければいけなかった。

 『白い家』に入ったとき、クラウスたち四人はポトリアの注射を受けた。何もしないまま一週間が経過すると、打たれた者が自分の名前以外のすべての記憶が封じられる薬だ。ヴィランが、人体実験の機密が漏れぬよう被験者たちに施すプロテクトである。

 記憶を封じられないようにするには、パーヴェルの部下たちが渡してくる、ポトリアの中和剤を定期的に摂取しなければならない。

 ――それから、今日の薬も与える。

 パーヴェルは言ったと同時に、部下たちが金属トレーに載った錠剤をクラウスたちに手渡した。白い、こちらは無味無臭の薬だ。クラウスはいつもどおりに、その薬を飲んだ。

 他の三人も同じように、錠剤を口に含む。

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