第19話
避難施設の開け放たれた扉から、他の市民たちに混じって地下へと降りていく。
階段を降りきった先の部屋に、ユーリスが待っていた。
クラウスにとって、今は会うのが怖い人。
「レーア!」
ユーリスが、エルヴィに抱えられた自分の娘を見つける。エルヴィは、意識のないレーアをユーリスに渡した。
「あの狼たちに襲われて、骨が……」
疲労と動揺のせいで、エルヴィはうまく言葉にできていない。だがそれでも、伝えたいことはユーリスに伝わった。
「わかった。ありがとう。娘をここまで運んできてくれて」
娘を抱えながら、ユーリスはエルヴィをいたわる。
クラウスは、二人のやり取りを見つめるだけだ。せめてレーアをこんな目に遭わせたことを詫びたいのに、口から言葉が出てこない。
――ごめんなさいも言えないのを、怒るだろうか。
「軽傷の人はお願い。重傷者用の医術室のベッドを一つ空けて。骨折と、念のため輸血の処置も」
ユーリスは、周囲にいる部下たちに指示を飛ばす。ユージンの連絡を受けて、あらかじめ用意していたのだろう。ユーリスよりも年下の看護師が、大量の薬や包帯を持って現れた。
「すでに準備できています」
「ありがとう。すぐにこの子を助ける」
娘が血まみれになり、死線をさまよう状態になって現れたのに、ユーリスは落ち着いている。
そして娘と同じ茶色の瞳を、クラウスに向けた。
近くにいたのにレーアを守ることができず、重傷を負わせた、ろくでもないクラウスは、ユーリスを前に身構える。
どんな罵詈にも耐えるつもりでいた。
「クラウス、疲れたでしょう。命令がないなら、ゆっくりしていて」
ユーリスは、クラウスに向かって微笑みかける。
ウルム兵術学校から家に帰ったのを迎えたときみたいに。
――どうして?
「新しく入った人たちに負傷者がいないか確認して。薬品の確認も。まだ不足は生じないはずだけど、調達が必要になりそうなら報告お願い」
ユーリスは慌ただしく指示を飛ばすようになった。そのせいで、クラウスは彼女の真意を問い正すことができなかった。
クラウスは、扉の前のベンチに腰かけていた。この扉の向こうには、ユーリスたち医療関係者と、レーアがいる。傷の処置の時間が、長い。
隣にはエルヴィが座っていて、同じくレーアの傷の処置が終わるのを待っている。クラウスの手を握っているのは、不安を紛らわせようとしているのかもしれない。
そこへ、ユージンとローゼマリーが近寄ってきた。
「あの厄介な狼の襲撃は、いったん落ち着いたらしい」
ユージンが告げる。
「無線を聞く限りでは、襲われている報告が少なくなった」
「ちなみに、ウルム兵術学校も無事。施設にちょっと侵入されたけど、すぐにあの狼たちは逃げていったって。多少の犠牲者は出たらしいけど」
ローゼマリーも言った。
「……」
クラウスは、黙っている。エルヴィが、クラウスの手をさらに強く握る。
医術室のドアが開いた。反射的にクラウスは立ち上がる。
「できる限りの処置はしておいた」
待っていたクラウスに向けて、ユーリスは告げる。彼女の白衣にはレーアの血が散っていて、傷の手当ての凄惨さを物語っていた。
「レーアは、どうなって……」
「まだ意識はない。とにかく休ませてあげるしかないわ。私はあの子が持ちこたえてくれると、信じている」
ユーリスの顔に臆した様子はない。娘を信じきっていて、それがかえって、クラウスを追い詰めた。いっそ自分をこの場でなじってくれたほうが、まだ楽なのに。
「ユーリス、クラウス!」
男の声が響いて、クラウスは通路の先を見る。
地下避難施設の薄暗い照明の中で、クラウスはその人を見る。レーアの父親、アスラン。クラウスの体は凍てついた。
「レーアのことは聞いた。どうなっている?」
「傷の手当ては終わって、あの子は休んでいるわ」
「生きて、いるんだな」
アスランがほっとして、表情が緩んだ。
「目が覚めるのは先になりそうだけどね。あなたは?」
「市民の避難状況を確認するがてら、ここに来たんだ」
本当のアスランは、今すぐ医術室に入って、娘の状態を確認したいはずだ。だが医術室には、他の重傷者もいて、医師たちが慌ただしく行きかっている。むやみに立ち入るわけにはいかなくて、アスランは医術室のドアを見つめるだけだった。
やがてクラウスのほうにも向き直る。ユーリスも、クラウスを見つめている。
クラウスにとって、二人の茶色の瞳に見つめられるのは恐怖でしかない。だが、避けることは許されなかった。
そばにいながら、レーアを守れなかった。アスランもユーリスも落ち着いているけれど、このままレーアが命を落とすかもしれない状況なのは変わらない。父親として、母親として、本当は取り乱してもおかしくないところだ。
四年間、己の記憶ごとすべてを失っていたクラウスを引き取ってくれた人たち。その恩を返すどころか、レーアを傷つけさせるという結果になってしまった。
アスランが、ゆっくりと歩み寄ってくる。クラウスは、殴られるのを覚悟した。殴られてもいいと、クラウスは思う。レーアが味わった痛みと比べたら、比較にもならない。
だがアスランは、クラウスの肩に優しく手を載せた。
「よく、無事でいてくれた」
わけがわからなかった。ユーリスといい、このアスランといい。
「どうして……」
「ウルム兵術学校の候補生たちも市民の保護に動くことになって、心配はしていたんだ。傷一つ負ってなくて、安心した」
クラウスは思わず、アスランの手を払いのけた。
「レーアが、死にかけているのにか!」
声が大きくなる。
「クラウス、何を言う?」
「すぐそばにいたのに、あいつらから守れなかった。こうなったのは俺のせいなんだ」
「そんな言い方はやめなさい」
アスランの声に怒気がこもる。だがクラウスはやめなかった。
「どうして責めたりしない?」
「家族が無事だったんだ。責めるほうがどうかしている」
「俺のせいで、レーアがあんな目に遭った」
「お前は何も悪くない。間違えるな」
「俺を引き取って、まともに育ててくれた。なのにレーアを死なせるかもしれないんだ」
この人たちが血の繋がった娘であるレーアと過ごした十一年間と、クラウスが一緒に過ごした四年間。この人たちにとって、レーアとの時間はクラウスとのそれよりもはるかに重い。釣り合いなんて、とれるものではない。
レーアを傷つけた自分が、許されるはずがないのだ。
「俺が、代わりにあいつらにやられていればよかった。俺が消えるべきだった」
「いい加減にしろ」
クラウスの頬に衝撃が走った。
アスランに、はたかれた。横を向いたまま、クラウスは痺れの走る頬に触れる。
それは、レーアを守れなかったクラウスへの咎めではなく。
「まだ、私とお前は他人同士だったのか?」
アスランは、クラウスの肩を掴む。
「言ったはずだ。お前を家族として迎えると、お前の実の父親の代わりにすらなれないにしても、お前に本来与えられるべきものを与えると」
四年前にアスランのほうから交わしてきた約束だ。
アスランは、クラウスの肩に載せた手を、今度は背中にまわす。そのままクラウスを自分の体に引き寄せた。
「私はお前が無事でいてくれて、本当によかったと思っている。この気持ちに偽りはない」
クラウスの耳元で、アスランは重ねて言う。
「だから、消えればよかったなどと言うな。それだけは許さん」
ユーリスも、ゆっくりと父子に歩み寄った。クラウスの自分と異なる色の髪を撫でる。
「私も、クラウスが無事でよかった。クラウスまでもしものことがあれば、どうすればよかったのか」
「……仮の関係なのにか?」
「この関係に、仮も何もないわ」
ユーリスの声で、クラウスのこわばりきった体がほぐれていく。クラウスは、医術室の扉のほうを見ていた。あの向こうに、レーアがいる。
取り乱すところを、あの子に見せるわけにはいかない。まだ、あの子は死んでいないのだから。
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