第18話
学校の門を出たところで、ユージンも追いついてくる。
「まだ、俺を止めるつもりか」
クラウスは、問う。
「違う。その子が手当てを受けるまでは護衛する。お前の言うとおり、レーアを死なせるわけにはいかないから」
ユージンは、機関銃を掲げたまま言う。
止めてこないなら、それで構わない。
「怪しい気配がしたら言ってくれ。俺が何とかする」
「ああ」
三人は、通りを進んでいく。すぐに、学校の前で別れた、変わり果てたニールたちと出くわした。
別動隊は、誰も生きていなかった。みんなが、喉元に、あるいは脇腹や足や肩などに咬傷を負って、息絶えている。
散乱しているおびただしい薬莢が、ここで儚い抵抗が試みられていたことを物語っていた。
「ニール先輩たちもだめだ」
生存者は、いない。みんな死んでいる。
「ごめんなさい。終わったら必ず戻ってくるから」
エルヴィは足元に転がる、クラウスの学友たちに詫びた。
そのとき、
けたましいエンジン音が聞こえてきた。空からだ。クラウスはすぐに、ウルムの街の上空に近づいてくるヘリを見つける。
「空軍基地に配備されている偵察ヘリだ」
ユージンも、そのヘリを見つけた。
「通信が途絶えて、飛んできたらしい」
クラウスは言いながら、無駄だ、と心の中でつぶやく。空からでは、街中をなぜか駆けまわる狼の姿が見えるだけだ。
それに機銃を撃ったところで、街の人々を襲う狼には命中しない。
「おい、ヘリに何か近づいている」
ユージンが、空を指さした。彼の言うとおり、黒い何かがヘリに近づいていた。羽ばたいている。烏だ。一直線にヘリへと向かっている。
と、ヘリの近くで姿を消した。
直後、ヘリのエンジン部分が爆発した。ローターと機体が分離し、燃える金属くずと化した機体は、そのまま街に落下していく。建物の陰に隠れて見えなくなったとき、黒煙が上がり、そして衝撃波に似た爆音が響いた。
「ユージン、空軍基地で攻撃ヘリが墜落した理由、判明したな」
クラウスはヘリが墜落した黒煙を見つめながら言う。
「……ああ」
さっきヘリに向かっていた烏も、街の人々を襲う狼たちと同じだ。一瞬で移動し、ヘリのエンジン部分に侵入したのだ。
鳥が入り込んだにしては、エンジンの爆発が大きすぎだ。きっと炸薬か何かを体にくくりつけていたのだろう。
そしてあの烏は、まだ街のどこかに潜んでいるはずだ。
「空からの救援も望めない。とにかく急ぐ。エルヴィ、大丈夫か」
「私は、大丈夫」
ヘリが墜落する凄惨な状況を目の当たりにしたエルヴィだが、声はしっかりとしていた。
クラウスは再び駆け出す。
クラウスたちが走るほど、無残に食い殺された人が目につく。
学校を襲ったように、あの狼は、目についた者を見境なく襲っている。建物の中に逃げ込もうとした老人がドアにもたれかかって、あるいは、逃げ遅れた母親と子供が互いに手を握ったまま、男が抵抗しようとしたのか鈍器を握ったまま、倒れて、それぞれ喉元を裂かれて息絶えていた。もちろん遺体たちの中には、市民を守ろうとしたウルム兵術学校の候補生もたくさん含まれている。
ウルムの街を白く輝かせていた雪化粧。今やそれは赤く染められていた。爆発による硝煙も、破壊された建物もない。ただ人だけが、無残な姿に成り果てていた。
そして銃声は、響いている。まだどこかで、ウルム兵術学校の候補生たちが、市民を守るために戦っていた。
『第九小隊は全滅だ。増援を要請する』
『正体不明の敵は兵術学校に侵入、余力ある部隊は引き返せ』
『街に飛来した偵察ヘリがもう一機墜落した。消火作業を!』
『奴らに銃弾は効かない。戦闘は極力避け、市民を逃すことに集中せよ』
ユージンの持つ無線端末に、次々と連絡が入る。
「こちらはユージン、もう少しで市役所だ。重傷者を一人保護している。市に治療の準備を要請してくれ。重傷者は、市長の娘だ」
ユージンが、無線端末に声を吹き込む。『了解』という声が、すぐに戻ってきた。
「もう少しで手当てしてもらえる。それまでこらえてくれよ、レーア」
クラウスが、エルヴィの腕の中のレーアに言いつける。レーアは、意識を失ったままだ。肩の傷からの出血が止まらない。エルヴィがハンカチを押し当てて止血しようとしているのに、服の染みは広がる一方だった。目覚める気配がなく、顔色も青白い。
本当に、市役所はすぐ近くだ。もう、建物の屋上部分が見えている。
――だから死ぬな。
また銃声が響いた。あの忌々しい獣が、兵術学校の候補生たちや市民を襲っている。
――まだ殺し足りないのか。
「仲間が戦っている。援護を」
クラウスが駆け出した。
ユージンは慌てて追いかけてくる。
「戦うだと? エルヴィとレーアはどうするんだ」
「どっちみち俺らが向かう先だ。これ以上、やらせてやるか」
クラウスは十字路をまわって、狼が襲っている者たちを見つける。
ローゼマリーだった。彼女と同じ赤髪の弟レオンを体にしがみつかせて、車道を挟んで向かい側にいる一頭の狼に向かって機関銃を構えている。ちょうど、狼は兵術学校の候補生を一人食い殺したところで、その喉元を放した。その周囲には、同じく兵術学校の軍服をまとった者たちが倒れ、動かなくなっていた。
もちろん、市民の犠牲者も混じっている。
狼に向けて、ローゼマリーは機関銃を放つ。
だが、狼はやはり、消えていた。
彼女とレオンの、すぐ目の前にいる。間合いの中だ。あれでは再度標準を合わせるより、食い殺されるほうが先になる。
クラウスは、もう一度あの力を使った。
跳躍しようと身をかがめていた狼が、その格好のまま動かなくなる。ローゼマリーも機関銃を構えたまま、突如目前に現れた狼に顔をこわばらせて動きを止めている。
クラウスは距離を詰めていく。そして狼の喉元に剣の切っ先を突きつけ、世界が再び動かした。狼が跳ねるより先に、クラウスの剣がその喉を貫く。狼が力なく倒れた。
ローゼマリーは機関銃を下ろした。姉にしがみついているレオンが、足元の死体となった狼を見てひっと声を漏らしている。「大丈夫」と弟の頭を撫でながら、ローゼマリーはクラウスたちのほうを見た。
「クラウスがやったの?」
仲間たちを一方的に殺していった狼を、あっさりと屠った。彼女は驚いた様子だ。
じっと、クラウスを見つめ続ける。
「……ありがとう、助かった」
そして背後のエルヴィの腕に抱えられている者を見て、ローゼマリーは動きを止める。
「その子、レーアちゃん? ひどい傷」
「話は後です、先輩」
痙攣する狼の体から剣を抜きながら、クラウスは言う。レーアと同じになる者が増えずに済んだ事実に、ひそかな安堵と、救えなかった者がたくさんいるという罪悪感を抱きながら。
「そうね。避難施設はすぐそこよ。私がいた小隊員はみんな死んだから、あなたたちと一緒に行動するわ。ついてきて」
ローゼマリーが弟の手を引いて、前へと進む。クラウスたちも彼女の後に続いた。
市役所の建物が見えてくる。そこでは避難をしている市民たちが押し寄せていた。あの狼に襲われて、間一髪で逃れたのだろう。ひどい切り傷を負った者も見受けられた。
「レオン、怖かったね。もう少しで休めるから」
ローゼマリーが、弟の背中を押す。
「弟は、どうやって?」
クラウスは、ローゼマリーに問いかける。
「学校から逃げて、街をさまよっているところを、たまたまね。クラウス君のほうは、何があったの? マクガリフ先輩や、アレンは?」
「……」
クラウスの沈黙に、ローゼマリーの赤い瞳にも暗い影がよぎる。
「ごめんなさい。でも、クラウス君が無事でいてくれてよかった」
「急ぎます。またあの狼が現れるかもしれない」
ローゼマリーは、足元の狼の死体を見下ろした。
「どうしたんですか? 先輩。死体なんか気にして」
クラウスが尋ねる。
ローゼマリーは、クラウスを見つめた。身を硬くしている。やけに、じっとクラウスを見つめてくる。警戒しているように。敵と遭遇したように。
不自然な間を空けたところで、ローゼマリーは口を開いた。
「死体だけど、貴重なサンプルよ。持っていって、体を調べたら、どうしてあんな動きができるのかわかるかも。弱点だって」
「今はだめです」
クラウスは、止めた。
「運んでいたら、それで逃げ遅れるかもしれない。弟やレーアがいるんですよ」
「そう、よね。それどころじゃなかった。レオン、クラウス君にしっかりついていって」
そのまま一行は、市役所の建物の脇に向かう。正面入り口とは別の場所に、地下避難施設の入り口があった。市民たちも次々と避難施設に入っていく。有事の際の市民の避難場所になっていて、実際に十年前のカルガトとの戦争の際、カルガトの爆撃機による空襲があったときは、ここが使われたという。
「連絡を入れたから、すぐに手当てを受けられるようになっているはずだ。もう少しだから頑張れ」
クラウスが、エルヴィに抱えられているレーアに声をかける。レーアは、反応がない。さっきよりも顔色が悪くなっているように見える。
地下の避難施設に狼が現れたという情報はない。
だがクラウスは、この先に進むのが怖かった。足を止めてしまいたくなるほどに。
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