第16話
廊下を警戒しながら歩いていたが、意外なことに、学校の中では街を襲っている何かに襲われることはなかった。
すんなりと、校舎の玄関口を通り抜けて、血と子供の遺体にまみれ、積もった雪が乱暴に踏み荒らされた校庭に出る。
校庭も、学校の周囲も、静まり返っている。時々遠くから悲鳴が聞こえるのは、街を襲っている何かに誰かが襲われているからだ。
「クラウスはアレンと一緒に、二人の護衛に集中してくれ。危険だと判断したら、俺たちが盾になる。その間に逃げて、近くの避難施設に駆け込むんだ」
マクガリフは機関銃を構え、周囲を警戒しながら言う。
「了解です」
「ライプニッツ、ヘニッヒ、ドミニクは引き続き後方を警戒。さっき少し姿が見えていたから、学校を襲った何かが飛び出してくるかもしれない」
マクガリフが引き続き指示を飛ばす。
だが、三人の承服する声はなかった。代わりに響くのは、雪まじりの風の音だけ。
いや、クラウスは聞いた。
骨が砕ける湿った音と、獣の息遣いを。
「おい三人、聞こえなかったのか。引き続き後方を警戒だ」
マクガリフが、苛立った声を飛ばす。
今度は人が倒れる音が、背後から聞こえてきた。クラウスたちは、その音を聞いて後方を振り返る。「ひっ」と声を漏らしたのはレーアだ。
ライプニッツ、ヘニッヒ、ドミニク、この三人が、雪の上に倒れていた。喉から大量の血を流し、その手足は痙攣している。
そして三人のそばに立っていたのは、三頭の、灰色の毛皮を血で赤く染めた、狼だった。異常に発達した牙も爪も、血で赤く染まっている。
クラウスがエルヴィを救出した際に遭遇したのと同じ、あの狼たちだった。
「こ、こいつ。こいつらが、学校のみんなを」
レーアが、狼たちを指さす。その間にも、ユージンが機関銃を撃ち放っていた。三頭の狼が地面を蹴って射線から離れる。弾が雪を散らした。
レーアが悲鳴を上げ、エルヴィが彼女の体を抱きかかえた。
「こいつは俺が」
アレンも、機関銃を構え、跳ねた狼のうち一頭の着地点目がけて引き金を引く。
だが、三頭の狼はその姿を揺らがせて、消えた。残されたのは、三人の遺体だけ。
「どこに行った! 当たっているはずだったのに」
初めて狼と遭遇したユージンが、声を荒らげる。
「やっぱり消えるのかよ」
「こっちか」
マクガリフが、別の方向に向けて機関銃を撃った。一頭が駆けて、マクガリフの放った弾をかわしていく。
クラウスは、もう二頭の姿を探した。
「後ろだ、クラウス」
アレンの声で、クラウスはとっさに後方に機関銃を向けた。引き金を引く。
クラウスに向かって駆けていた狼は、再び姿を消した。
「囲まれている」
クラウスは叫ぶ。
「密集しろ。死角を作るな」
マクガリフの命令で、四人はエルヴィとレーアを囲む形で集まっていく。狼の姿を見つけては、機関銃を撃つ。狼は姿を消す。別の場所で現れ、撃つ。消える。撃つ。現れる。
いたずらに弾を浪費するだけの時間が続く。
狼たちは、あきらかにクラウスたちを弄んでいた。その気になれば、この場にいる者たちを皆殺しにできるはずなのに。
「こいつらに銃は効かない!」
クラウスが叫ぶ。同時に、クラウスの機関銃の弾が切れた。装填する暇はない。
クラウスは機関銃を放り投げた。腰に差した剣を抜く。
「クラウス、そんな武器で」
マクガリフが驚き、声を上げる。
クラウスは、応じない。初めてこの狼と遭遇したときもそうだ。集中を切らせば、背後を取られて咬み殺される。
五感を研ぎ澄ませ、いつ現れるかわからない気配を敏感に察しろ。殺気には反射で応じよ。
だが、相手は三頭だ。次々と消えては現れる幻影たちに、クラウスの意識が攪乱される。どれがいつ、仲間の誰を襲う?
剣先に迷いが生じかけたとき、マクガリフの悲鳴が響いた。
「しまった!」
マクガリフの右足には、あの狼の一頭が咬みついていた。機関銃の銃口が下がり、引き金が引かれたまま放たれる銃弾が、足元の雪を散らしていく。銃声に骨の砕ける音が混じる。
クラウスは、その狼の喉元に剣を突き出した。狼はマクガリフを放し、ひらりと身を翻した。間合いを取り、そして雪の中に幻のごとく消える。
マクガリフが、地面に倒れた。
「マクガリフ先輩、傷が」
クラウスは、先輩の足を見た。出血がひどい。軍服をどんどん赤に染めていく。それでもマクガリフは、上半身を起こした。
「馬鹿、脇見をするな。いつ襲われるか……」
「えっ?」
クラウスの頬に、温かいものが散る。目の前には、あの狼の大きな口。マクガリフの喉元に食らいついていた。喉をやられたマクガリフは無言のまま、口から血を吐く。喉の骨が砕かれる音を、クラウスは耳元で聞くことになった。
狼がマクガリフを放す。
彼の体が、力なく倒れた。息の根を完全に絶たれたマクガリフは、すでに殺された三人同様、動かない。
「マクガリフ先輩がやられた!」
アレンが叫ぶ。
「何?」
ユージンが動揺し、機関銃の弾が止まる。そして、さっきまで指示を飛ばし続けていた先輩の、なれの果てを見下ろした。
「エルヴィ! お前がこれを仕組んだのか」
ユージンの叫びは、仲間を殺した獣ではなく、守っている少女に向けられた。
「ち、違う。私、こんな化け物知らない!」
エルヴィも叫ぶ。
「何を言っている! そんな場合じゃないだろ!」
クラウスが叫ぶ。
そしてユージンの背後、何もない空間から、狼が姿を現すのを見た。大きく口を開け、ユージンの喉を咬み千切ろうと後脚で地面を蹴っている。
クラウスは剣の切っ先を繰り出す。だがこの間合いでは、届かない。
そのクラウスの目の前に、アレンが割って入った。機関銃の銃身を、ユージンに食らいつこうとした狼の口に咬ませる。同時にアレンが、ユージンの体を蹴って突き放した。
そこに、別の一頭が姿を現した。
身動きがとれないアレンの足に咬みつく。
「危ない!」
叫んだのは、レーア。エルヴィの腕を振り払って、アレンの足に咬みついている狼にその小さな体をぶつける。狼はよろめき、アレンを放した。
「やめろレーア」
クラウスの目の前で、レーアにぶつけられた狼が彼女を睨みつける。彼女の体が硬直した。
「レーア、逃げ……」
アレンは、それ以上の言葉を話せなかった。機関銃に咬みついていた狼が、改めてアレンの喉元に咬みついたのである。喉の骨が折れる音が、またひとつ響く。
「アレ……」
至近で見ていたレーアは、その名前を最後まで呼べなかった。レーアの右肩に、狼が咬みついたからだ。牙が、彼女の肉に食い込み、骨が軋んで折れる。
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