第15話

 街を襲っている何かとは、まだ遭遇していない。別の街区を襲っているのか。どこかに潜み、奇襲の機会をうかがっているのか。通信障害が生じて、市民からの通報や街の外からの情報が入らない今、直接確認しない限りはどうしようもない。

 初等学校の前に、小隊がさしかかる。

「おい、マジかよ」

「学校もか」

 小隊員たちが声を漏らす。校庭も、悲惨な状態だった。ここで学んでいた子供たちが、殺されている。殺された子供の状態は、通りで殺された人たちと同じだ。鉄錆に似た血のにおいは、普段子供たちの声でにぎやかなこの場所でも、濃厚に漂っていた。

 街を襲っている何かは、子供だろうが差別しない。死を平等にもたらす。

「隊を二手に分ける。ニール、周辺の探索を任せる」

 マクガリフが、小隊副長のニールに命じる。

「クラウスとユージン、アレン、ライプニッツ、ヘニッヒ、ドミニク、以上の六人は俺と来てくれ。他は待機。その間の指示は副官のニールに任せる」

 クラウスも続き、後にはユージンやアレン、他三人の小隊員が続いた。校庭に横たわる子供の遺体に、レーアやエルヴィの姿がないか確認しながら進んでいた。

「レーアの姿はない。とにかく進むんだ」

 アレンが、背後から声をかける。

「すまない」

「謝んなよ。みんなも同じだ。家族やエルヴィの安否を気にして責めたりしねーよ。だから冷静でいてくれ」

「ああ」

 クラウスは、前を見る。レーアとエルヴィが助けを待っているかもしれない初等学校の校舎を。

 その校舎の窓に、何かがよぎった。灰色の、毛皮のようなもの。

「何だあれは」

 ライプニッツも、見ていたらしい。

「助けを待っている子供か?」

 ヘニッヒが言う。

「いや、人ではなさげだ」

 アレンの言うとおりだ。クラウスは、獣のように見えた。

「とにかく入るぞ」

 マクガリフは言い、初等学校の校舎に入っていく。玄関口には、子供の遺体に混じって、教え子たちを逃そうとした、あるいは守ろうとした先生たちの遺体も転がっていた。廊下も、壁も、血に染まっている。屋内で風通しが悪い分、血のにおいも濃い。

 そして壁には例の、鋭い何かで裂かれた跡がある。

すべて、あの灰色の獣の仕業なのか。

ではやはり、森の中でクラウスたちを襲ったのと同じ獣が、この街に?

 初等学校に潜んでいる何かは、生存者を探すクラウスたちを襲ってくることはなかった。クラウスたちが、初等学校のどこかに隠れている子供を見つけ、連れ出すのを待っているように。



 生存者を見つけられぬまま、クラウスは、校舎最上階である三階奥のレーアのクラスにたどり着く。

「レーア、いるか?」

 クラウスは思わず声を出す。

 ここも、やられていた。教室に、担任の教師と、五人の子供が血を流して倒れている。犠牲者の中に、レーアの姿はない。それでも、一人の遺体を見つけて、クラウスは顔をそむける。

 長い髪をレーアとおそろいの赤いリボンで結っている、しかし血の海の中で横たわったまま動かなくなっている子。あれは、リリスだ。レーアと特に仲の良い友達で、よくお互いの家を行き来したり、街を一緒に歩いたりしていた。クラウスも何度か話をした。


 妹とおそろいのリボンがかわいい、とリリスに言ってやると、そのリボンに触れながら笑っていた。


 妹の友達の死に、クラウスは拳を握る。怒りは、罪のない子供たちを襲った何かへ。

 ごんっ、という音が聞こえて、クラウスは振り返った。音がしたのは、掃除用のロッカーからだ。クラウスは急いでそのロッカーに駆け寄って、開け放つ。

 中にいたのは、レーアとエルヴィだった。狭いロッカーの中で、エルヴィは手でレーアの口元を押さえている。

「クラウス、助けに、来てくれたの?」

 エルヴィが、今にも消えそうなくらいに小さな声を出す。レーアの顔からも手を離した。

「レーア、エルヴィ、無事でよかった」

 クラウスが、ロッカーから出てきたレーアを抱きしめる。

「馬鹿! 私なんかより、他の子を優先してよ。まだどっかに隠れて怖がっている子もいるかもしれないのに」

 レーアは強がって、クラウスを責め立てる。自分も怖かったはずで、その証拠に手も震えているのに。

「見つかったのはお前だけだ、無事でよかった」

 クラウスはレーアの体を放さない。

 自分の背後で横たわる、友達の悲惨な姿を見せないために。

 だが、余計に力を込めたことが、逆に彼女の不審を買った。

「やめて、放して」

 レーアはクラウスを押しのける。そして、彼女は見た。

 荒れ果てた教室、乱れた机や椅子の間に、血肉を散らして横たわる教師や友達。

 教室に立ち込める鉄錆のようなにおいの正体に、レーアは床に膝をつき、吐いた。クラウスは妹の背中をさする。エルヴィも、教室に転がる子供の遺体から目を背けつつ、レーアの背をさすっていた。

 吐き終えたレーアは、顔を上げた。

「リリス……?」

 レーアは、口元も拭わぬまま友達の元へと歩み寄った。その小さな手を震わせながらも、リリスの顔に触れる。それで彼女の死を確信して。

「そんな、ご、ごめんなさい。私が、自分だけ……」

 突然に命を奪われた友達に、レーアは贖罪の言葉を口にする。

 明日も仲良く遊び、机を並べて勉強するはずだった子の死を前に、レーアは嗚咽を漏らす。

 そして、エルヴィに駆け寄った。

「どうして私だけを助けたの!」

 レーアが、エルヴィを責め立てる。エルヴィは、黙ったままだ。

「友達を見殺しにして、リリスがこんな目に遭ったのに……!」

「やめろレーア。仕方がなかったんだ」

 クラウスが、レーアの腕を掴む。見てはいないが、この教室で何が起きたのかは容易に想像がつく。もしエルヴィが、掃除用のロッカーにレーアを連れ込み、息を潜めて隠れてなければ、教室に横たわる遺体がもう二人増えていただろう。

「エルヴィを責めるのは筋違いだ」

 クラウスの言葉に、レーアはその場にへたり込む。

 クラウスは、エルヴィの肩に手を載せた。

「妹を守ってくれて、ありがとう。あんたも、無事でいてよかった」

 エルヴィは、座り込んだレーアを心配して見下ろしている。そのレーアは、ただひたすらに、贖罪の言葉を口にしていた。

「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」

 立ち上がらせる手が必要か、とクラウスはレーアに手を伸ばそうとする。だがレーアは、自分から立ち上がった。

「今すぐここから逃げて。あいつらに見つかったらいけない」

 目に大粒の涙を浮かべたまま、レーアは言う。

「まだ学校のどこかにいる。見つかったら殺される」

「わかったわ。あの子も連れていこうね」

 エルヴィが、リリスの遺体に向かおうとした。だがレーアは、その手を掴み、止める。

「だめだよ、エルヴィ」

 クラウスも驚いた。友達を、置き去りにするのか。

「レーア、どうして?」

「リリスも連れていこうとしたら、あいつらから逃げられない」

 レーアが泣き腫らしながら言う。

「でもこんなところにいさせたままなんて」

「生きている人が大事。無理に運んで、それでエルヴィまで殺されたら……」

 レーアは、それ以上の言葉を続けられなかった。目元を袖口で押さえて静かに泣きじゃくる。

 見ていたクラウスは、意を決した。

「わかった。とにかくここを離れる。いいですね、先輩」

「ああ。この子を連れて、急ぎここを離れる。ユージンとアレンは後方を警戒。ライプニッツ、ヘニッヒ、ドミニク、前方を警戒して安全の確保を」

 マクガリフが指示を飛ばすと、レーアは赤らめた顔を上げた。拭いきれぬ涙を頬に残したまま、教室の外を見つめる。一行の中で最初に動き出したのは、レーアだった。

 掴んだエルヴィの手はそのままに。

 ライプニッツが廊下を確認し、進んでも問題ないことを告げて、他の者たちも教室を後にする。

「私たちを襲ったのは、人間なんかじゃなかった」

 友達を失い、殺されるかもしれない恐怖の中で、それでもレーアは自分から言い出した。

「獣だった。あれがいきなり教室に現れて」

 クラウスは、校舎の窓をよぎった灰色の獣を思い出した。

「あれに見つかったら逃げられない。私とエルヴィがやり過ごせたのも、たまたま……」

 銃声がして、レーアは口をつぐんだ。

一行も足を止める。

「外にあいつらがいる」

 レーアは、さらに強くエルヴィの手を掴むようになった。

 銃声は立て続けに響いている。遠くではない。

「学校の前からだ」

 クラウスは言った。そこには、待機を命じられたニールたちがいる。

「ニール、どうした? 何が起きている?」

 マクガリフが無線端末に声を吹き込む。だが返答はない。銃声だけが響き続ける。

 だが、やがて銃声はやんだ。

「外に出る。ニールたちに何かが起きた」

 マクガリフが、無線端末をしまった。機関銃を構える。銃声がやんだのは、襲ってきた何かを追い払うのに成功したから、ではないだろう。それならば無線で報告が飛んでくるはず。無線端末は、沈黙を続けるだけだ。

「レーア、エルヴィ、俺とクラウスの後ろにいるんだ。何かあったら真っ先に逃げろよ」

 アレンが指示を飛ばす。レーアは震えるばかりだが、うなずいた。行きたくないと駄々をこねたりはしない。

「心配するな。いざというときでも、これがある」

 アレンが後方を警戒したまま、持っている機関銃を掲げてみせた。

「たまにはレーアにいいとこ見せたいと思っていたんだ。ゼッコーの機会だな」

「静かにして、アレン」

 レーアは怯えたまま、周囲を見渡して警戒している。

「あいつらに銃なんて意味ない」

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