第14話

 異変は、街区を一つまたいだところで起きた。

 街の人々が、逃げ惑い、兵術学校のほうへと向かっていく。中には、負傷している者もいた。

 肩や背中を切り裂かれた者、足を何かで貫かれたような傷がある者。そうした者には、無傷の者が肩を貸して、ようやく移動を続けている。

「おい、何があった?」

 マクガリフが、近くを通りがかった中年の男を捕まえて、問いかける。

「あ、あれは化け物だ」

 男は言う。

「誰に襲われた。なぜ軍への通報が遅れたんだ」

 マクガリフも、薄々とおかしいことに気づいているらしい。

 前衛基地との通信が途絶したとはいえ、カルガトの軍勢がウルムに押し寄せてきているとすれば、航空監視や無線の傍受、郊外の住民からの目撃情報などで気づける。だが警報が出される今の今まで、そのようなものは一切なかった。

「知らん。気づいたらあれらがいたんだ。街にいつから忍び込んだのかもわからん」

 それだけ言って、その中年の男はマクガリフの前から走り去ってしまった。

「とにかく急ぐ。負傷している者は後続に任せて、先に進め。いつ交戦してもおかしくないぞ」

 マクガリフは、先へと進む。

 すでに市民が混乱し、動揺しているというのに、銃声は聞こえないままだ。街は静かで、黒煙一つ上がっていない。

 街を襲っている誰か、あるいは何かは、銃火器を使っていない。

「クラウス、この先にあるのは初等学校だ」

 マクガリフが、突然に話しかけてきた。

「わかっているな。万が一、学校が襲われていれば、子供たちの避難を優先させる。妹が通っているんだろう?」

 暗に、妹を守れと言ってくれていた。

「了解」

 クラウスは応じる。

「あれは何だ!」

 小隊員の一人が、声を上げる。

 逃げる市民たちの列がそろそろ途絶えようかという頃合いだった。無人に近くなった街の通りの向こうでは、積もった雪が赤く染まっていた。

 血によって。

人々が倒れ、折り重なっている。冷たい風に乗って漂うのは錆びた鉄に似た、血のにおい。

「救助の用意だ。重傷者を優先して保護しろ」

 マクガリフが指示を飛ばし、走っていく。

 クラウスも、他の小隊員たちと一緒に走っていく。そして、クラウスは倒れている人のそばにさしかかった。若い、女性だ。肩から脇腹にかけて、無残に裂かれている。話しかけるまでもなく、絶命していた。

 四年前の記憶とかぶって、クラウスは体がこわばる。

 記憶をすべて失った状態で目覚めたクラウスが、最初に見た、血まみれになって死んでいた、茶髪の女の子と、目の前の遺体はそっくりの状態だ。

 クラウスは立ち上がった。四年前に見たものに集中をかき乱されそうになりながらも、他の者たちと同じく生存者を探す。

「クラウス、無理はすんなよ」

 アレンが話しかけてくる。

「この手の死体、お前にとってトラウマだろう。周辺の警戒だけでも」

「俺のことは構うな。こういうこともあるのは承知で兵術学校に入ったし、危険と隣り合わせなのは俺たちも市民たちも変わりない」

「強がりやがって」

 アレンは、引き続きクラウスと一緒に生存者を探す。

 だが、無駄だった。腸を散らし、手足が千切れ、中には胴体がかろうじて皮一枚でつながっているだけの街の人々の中に、生存者はいない。

「死体の様子、どれもおかしいな」

 クラウスはつぶやく。「ああ」とユージンも同意した。

「撃たれた、というよりは、食い千切られたり、引き裂かれたりされている」

 銃創のある遺体は一人とてない。獣の牙や爪にかかって命を落としたように。

「おい、見ろ」

 小隊員の一人が指差している先に、クラウスは目を向けた。

 建物の壁面、そこに鋭い引っ掻き傷が三筋、入っていた。近くには、何かに殺された男性が、裂かれた腹部から血を流して壁にもたれている。

「何の爪痕だよこれ」

 明らかに、弾痕の類ではない。

「生存者を探すことに専念しろ。クラウス、ユージン、アレン、警戒を厳に。不審な人物を見つけ次第報告を」

 マクガリフが指示を飛ばす。警戒に集中するようクラウスに命じたのは、通りを埋め尽くさんばかりの遺体を見ずに済むよう配慮したのか。

 余計なお世話だ、とクラウスが思ったとき、通りの先を走る者たちがいた。子供たちだ。何かから逃げている。

あれは、レーアが通う初等学校の子供たちだ。先生に率いられる様子もなく、高学年らしい子が低学年の小さい子の手を引いたり、おぶったりしている。その数、ざっと四十人くらい。

「おい」

 クラウスが、声をかける。目の前にいるのは、軍服をまとった、背の高い男たち。保護してくれる大人もいないまま、懸命に走っていた子供たちは、みんなが一気に泣き喚いて小隊のほうに向かってきた。

「兄さん!」「助けて!」「殺される!」「先生たちが!」「死にたくない!」「友達がまだ学校にいるの!」「逃げないと!」「友達を助けて!」

 子供たちが死の恐怖にかられるまま、口々にわめき、クラウスたちに助けを求める。

 言っていることがばらばらだが、断片的にでも、クラウスには状況が理解できた。この子たちの通う初等学校が、何かに襲われている。先生たちも襲われ、まだ、学校に助けを待つ子供がいる。

 目の前の子供たちの中に、レーアの姿はない。初等学校に残っているのか、別の方向へ逃げたのか。

「アレックス、バニンガー、ダニエル、子供たちを最寄りの避難施設へ」

 マクガリフの指示が出る。三人が口をそろえて了解する。

「みんな、僕の後についてくるんだ。先生や他の子たちのことは別の兄さんたちに任せて」

 三人の中で年長のアレックスが、子供たちに声を飛ばした。高学年の子たちが引き続き低学年の子たちに指示に従うよう言い聞かせて、アレックスたちに続く。

「君、レーアは見ていないか」

 去っていく子供たちのうち、近くを通りがかった高学年らしい女の子に、クラウスは問いかける。

「ごめんなさい。同じクラスだけど、学校で、はぐれた」

「エルヴィ……銀髪の、俺くらいの女の人は?」

「レーアに忘れ物を届けにきたけど、その直後にあれが襲ってきて……知らない」

 その女の子は、泣き出してしまった。他の子がなだめ、クラウスの前から去っていく。

家族とエルヴィを案じるあまり、問い詰めすぎてしまった。あの子もあの子で、動揺している最中なのに。

 クラウスの肩を、アレンが叩いた。

「俺たちはこのまま学校に向かう。あの生意気なお前の妹を見つけてやれ」

「ああ、エルヴィも」

「どうしてエルヴィが? 学校にいるのか?」

「さっきのユーリスさんが電話で、レーアの忘れ物を届けに学校に向かったと言っていた。あいつも助ける。もちろん他の人たちも」

 街を襲う脅威の正体も知らぬまま、クラウスは言って自らを奮い立たせる。

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