第12話

「……以上のとおり、我が軍の前衛基地からの連絡が途絶えた」

 タルムが、詳細を話した。彼女の背後と、講堂の天井に一定間隔で設置されたモニターには、ヴィラン北部、カルガトとの国境付近の地図が表示されていて、問題の前衛基地がある地点には赤色の✕印が付されている。入学式も行われるほどの広大さを誇る講堂の一角で、クラウスは国境の点線近くにある✕印を見つめていた。

「これが、その前衛基地からの最後の無線連絡だ。音声データを流す」

 タルムが講壇の機械を操作すると、モニターから地図が消え、暗い画面にSOUND ONLYという文字のみが表示された。

『こちら第一管区前衛基地。異常が発生した。化け物が基地に侵入している』

 叫び声が、講堂内に響く。軍人らしからぬ、具体性のない連絡だった。化け物とは何なのか。

『こちら第一管区空軍基地、化け物とは何だ? 具体的に報告せよ』

 これは、前衛基地の南方二十キロの地点に位置する空軍基地からの通信だ。通信士の声は冷静そのもの。

『この監視塔にも奴が侵入している。ただちに迎撃しろ。獣どもを通信室に侵入させるな!』

 よっぽど、事態が切迫していたのだろう。前衛基地の通信士は、空軍基地からの通信への返答ができていなかった。

『前衛基地、冷静な応答を。敵襲ならば、援軍を乞うか』

 再び、空軍基地からの通信。しかし、

『何? こいつらいつの間に。さっさと撃ち……』

 前衛基地の通信は、突如として途絶えた。通信機が破壊されたというよりは、通信士が突如として息の根を絶たれたような終わり方だ。

『前衛基地、聞こえるか。応答せよ』

 後は、空軍基地からの呼びかけが虚しく続くだけ。タルムは、音声データを切った。

「前衛基地の件については、詳細は不明だ。一切の連絡が絶たれている。なおこの通信の直後、空軍基地から攻撃ヘリが五機飛び立とうとしたが、すべて大破した」

 講堂のモニターが切り替わった。出てきたのは、攻撃ヘリの無惨な残骸だった。誘導路上に叩きつけられた機体はつぶれ、ほとんど原型をとどめていない。残骸の上部の折れたローターで、かろうじてこの残骸はヘリだったとわかる程度だ。離陸直後で燃料を多く積んでいたために、残骸は大きく炎上して、黒こげになっていた。

 あれでは乗員は無事ではないだろう。

「前衛基地からの通信が途絶えたことと、空軍基地における攻撃ヘリの墜落。敵に何らかの動きがあるとみられる。今後、諸君らは正規部隊への編入もあり得る」

 十年前のカルガトとの間の戦争で、国民の消耗は激しい。総人口の一割が死亡したともいわれているし、それゆえに、軍も慢性的な人員不足となっている。 

 だから、このウルム兵術学校の候補生たちも予備人員として、有事の際には正規の兵に編入される決まりになっていた。

「なお、これらの件についての情報は軍内部のみの扱いとし、市民への公開を禁じる。これも混乱を避けるためだ。徹底せよ。以上」



 タルムからの説明が終わり、クラウスは講堂を出た。ローゼマリーやアレンと一緒に廊下を歩いていく。

「年明け早々に、厄介なことになったね」

 ローゼマリーが、ため息をつく。

「きっと、近く俺たちも駆り出されるでしょうね。連絡がつかなかった前衛基地の調査に」

 クラウスは言う。

「ただ敵襲があった、というわけでもなさそうなのが不気味だし。何かあったとしたら、心配だね。私、今年からクラウス君たちとは別の班になったし」

 新年を迎えて、班の組み換えがあったばかりだ。クラウス、アレン、ユージンは同じ班のままだが、ローゼマリーだけが、別の班に組み込まれることになった。

「俺たちは、何とかしますよ。先輩が心配なくらいです。あまり話していない子と一緒になると、緊張して上がるでしょう」

「うぐっ、後輩風情が生意気な。余計な心配はしなくていいから」

 ローゼマリーが顔をかすかに赤くする。

「ところでクラウス、聞いたか? さっきの最後の連絡」

 アレンが、クラウスの肩に手を載せてくる。

「ああ、獣と言っていた」

 通信室に侵入したのが敵兵であるならば、素直に敵と言えばいいのだ。どうして獣と言ったのか。

「ひょっとして、二人は気にしているの? 襲ってきたっていう狼のこと」

 クラウスは、うなずく。

 エルヴィを発見した際に遭遇したあの狼について、クラウスとアレンは一応報告はしている。だが、姿を消して一瞬で移動していたことは、取り合ってもらえなかった。雪で視界不良の中、錯覚を起こしただけだとされている。

「あいつと同じのが、前衛基地を襲ったのかも」

 あの狼に背後をとられたクラウスが言う。機関銃を振りかざすのがあとわずかでも遅れていれば、殺されていた。恐らくその後はアレンや、エルヴィも。

「まさか、たかが狼が基地を陥落させられるわけないじゃない、って笑い飛ばしたいところだけど」

 クラウスの話をあらかじめ聞いていたローゼマリーも、否定しようとはしない。

 そのときだった。クラウスのポケットの中のスマホが震えた。

「すみません」

 クラウスはスマホを取り出す。自宅からの着信だった。

『クラウス』

 ユーリスの声。

「ユーリスさん? どうした、こんなときに」

 クラウスが電話に出る。今日、ユーリスが勤務する病院は休業日だ。家にいるのは自然だけれど、日中に電話をかけてくるのは珍しい。

『クラウス、そっちは無事?』

 ユーリスの声が、おかしかった。何かに怯えているように、声が震えていた。

「何があった?」

『その様子だと、軍はまだ動いてないのね。街が襲われている』

 どういうことだ?

「何に襲われているんだ。そっちはどうなっている?」

『家は無事よ。でも街に負傷者が出ているし、市民たちも地下の避難施設に逃げ込んでいる。私も家を出るところ。でも』

 ユーリスが、言葉を詰まらせた。

「レーアか?」

 彼女は今、初等学校に通っている。ユーリスは、娘を案じているのだ。スマホの向こうで、ユーリスが「ええ」とうなずく。

「街に何かが起きているなら、そろそろこっちでも命令が出るはずだ。今は軍に任せて、身の安全を。避難が必要なら逃げてくれ」

『わかった、ありがとう』

「エルヴィも一緒か?」

『それが、学校に向かったの。ついさっき』

「え?」

『レーアが家に忘れ物をして、学校に届けに行くって。たぶん今頃、学校に着いているかも』

「わかった。エルヴィも何とかする。ユーリスさんは急いで安全な場所に向かって」

 クラウスはそう言う。

『ええ、クラウス、気をつけて。あの獣に出くわしたら、くれぐれも戦おうとしないで、逃げることを考えて。あれは……』

 ユーリスが、街を襲っている何かについて説明を始めようとしたとき、ぷつりと電話が切れた。

「ユーリスさん?」

 クラウスはスマホを見る。圏外と表示されていた。試しにニュースを検索しようとする。だが、表示されたのは『インターネットに接続されていません』の文言。

 にしても、ユーリスの最後の言葉が気になる。

 また、獣という言葉が出てきた。

「どうした、クラウス。ずいぶん深刻そうな電話だったな」

 様子を見たアレンが尋ねてくる。

「携帯がおかしい」

 アレンやローゼマリーも、スマホを取り出した。

「繋がらねえ。ローゼマリー先輩は?」

「私もダメ。通信基地に何かあったのかな」

 二人はそれでも、スマホをいじっていたが、やがて諦めてそれぞれのポケットにしまった。

 どうなっている? ウルムの街に、何が起きている?

 そのとき、ブザーが構内に響いた。耳をつんざく音に、三人は講堂のスピーカーを見つめる。

『市内にて襲撃事件発生。負傷者が多数発生している。繰り返す。市内にて襲撃事件発生』

 タルムの声が響く。さっき候補生たちに前衛基地との連絡が途絶えたことの説明をしたばかりなのに、冷静そのものだ。

「襲撃事件?」

 ローゼマリーが声を上げた。クラウスも、突如として変化した状況を整理しようと頭を働かせる。

「警察じゃ対処しきれないのか?」

 アレンの声も無視するように、タルムの次の声が校内に響いた。

『全候補生は交戦規則に則り、臨時に正規兵に任命。訓練どおり至急戦闘の用意をされたし。繰り返す。戦闘用意』

 タルムの声が、教官としてではなく、指揮官のそれに変わっていた。今は余計なことを考えず、目の前の脅威を排除することに集中しろと告げていた。

『用意のできた小隊から街の状況確認。敵を発見した場合は交戦も許可する。市民の保護と避難場所への誘導を最優先せよ』

「状況まだ把握できていないのかよ」

「アレン、文句を言っている場合じゃないわ。とにかく出撃の用意よ」

 ローゼマリーは駆け出していた。クラウスも彼女に続いて走る。

「置いてくなっての!」

 アレンが二人を追ってようやく走り出した。

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