第11話

 ウルム兵術学校にて。

「クラウス君、休暇は楽しめた?」

 ローゼマリーが、クラウスに声をかける。兵術学校に戻ったところを、寮のエントランスで待ち構えていたのである。

「はい。エルヴィも、うちの家族と仲良くしています」

「確かに、仲良くしているみたいね。この間、一緒に街に遊びに行ったときもそうだったし」

 ローゼマリーはエルヴィを街のいろんなところに連れていってくれた。クラウスも一緒で、あまり遊べなかった詫びも兼ねて、レーアも一緒だった。

「あのときは、お世話になりました」

「お礼なんていいよいいよ」

「エルヴィもレーアも、楽しそうでしたし」

「私も誘ってよかった。レーアちゃんもかわいかったし。エルヴィちゃんがカメラ嫌がらないってわかったら、たくさん写真撮り始めて」

「レーアは、いつもそうですよ」

「私も写真、たくさん撮っちゃった」

 そう言って、ローゼマリーはポケットからスマホを取り出している。雪化粧が施されたウルムの街中で、四人で撮った写真を見返している。

 そんな彼女が、にやっと笑った。

「それにしても、寝ているクラウス君、癒されたな」

「どういうことですか? 寝ているって」

 街に出たとき、当然、クラウスはずっと起きていた。寒い中だったし、公園かどこかで横になって寝たりなんてしていない。なのになぜ?

 ローゼマリーは、スマホを指でさっさと操作して、画面をクラウスに見せる。

「この写真」

「んな!」

ローゼマリーのスマホに表示されていたのは、アスランの家のソファーで横になっている、クラウスの寝姿だった。毛布を派手に蹴飛ばして、だらしなく口を開けている。

「な、何だこれは!」

「まだあるよ、ほい」

 ローゼマリーが画面をスワイプする。次の写真には、クラウスの寝姿に加え、パジャマ姿のレーアが写っていた。白く小さい歯を出して、いたずらっぽく笑っている。ニシシという声が聞こえそうだ。

「この写真、レーアが送りつけたのか」

 レーアは、よくクラウスにスマホのカメラを向ける。だがここまで油断した顔を撮られたのは初めてだ。

「かわいい兄さんたくさん撮れたよ、ですって。ほんといい妹だよね」

 ローゼマリーは言いながら、次々とスワイプする。そこには、レーアの数々のいたずらが記録されていた。クラウスの髪を変な方向に引っ張る写真。ラディベアのぬいぐるみと添い寝させている写真。起こさないよう、慎重な顔つきで頬を指でつつく写真。

「何てことを! ん? 待てよ、これ」

 羞恥の中で、クラウスは異変に気づく。写真のレーアは、どれも両手がきちんと写っていた。つまり自撮りなどではない。テーブルや棚にスマホを立てかけて撮影したわけでもなさそうだし。

 ということは、撮影者(グル)がいる?

「次はもっといいよ、ほれ」

 ローゼマリーが、また画像をスワイプする。レーアに加えて、ユーリスまで写っていた。レーアと二人がかりで、クラウスに毛布をかけ直している。ユーリスもレーアも母性的な優しい目だ。

「やっぱりあの人がグルかよ! って、あれ? これも」

 ユーリスの両手も、レーアの両手と同様、写真の中に収められている。

 グルは、ユーリスだけではない。

――まさか。

「おう、そのまさかよ」

 クラウスの脳内を覗き込んだようなセリフとともに、ローゼマリーは次の写真にスワイプした。

「って! しちょー!」

クラウスが声を上げる。今度は、アスランも写っていた。片腕でユーリスとレーアを抱え、もう片方の手は大胆にもクラウスの頭に載せて、笑っている。

 ――ごめんなークラウス、娘の頼みごとだから断れなかったんだよ。

 アスランの声が聞こえそうだ。

「街のお偉いさんが何をしているんだ! で、これも……」

 クラウスの寝姿で戯れるトンプソン一家の写真には、全員の両手が写っている。撮影者は、ユーリスやアスランでもない。

 ということは、グルがあと一人。あいつしか、いない。

「やっぱ、最後のが最高に幸せそうかな」

 ローゼマリーがスマホをスワイプ。

 写っていたのは、エルヴィ(三人目のグル)だった。自撮りモードにしたスマホを自分に向け、空いたほうの手をクラウスたちに向けている。クラウスは相変わらず眠ったままで、片腕で妻子を抱えたアスランに頭を撫でられていた。

 それはエルヴィがアスランの家に来てからの、初めての家族写真(一人絶賛爆睡中)だった。

「エルヴィちゃんも楽しそうね。よく見たらちょっと笑っているし。ほんと仲良くしてるんだ」

「これ、絶対レーアの差し金だ」

 いろいろ遠慮しているエルヴィが、レーアの言うことに逆らえるわけがない。

「クラウス君が構ってあげないからこうなったのよ」

「だからって、何てことを」

「しかも、エルヴィちゃんと手を繋いだんでしょ。根に持たれているわね」

「そ、それは……」

 ローゼマリーの冷たい小声に、クラウスは声を失う。

「あー、最高! 私の弟が見せたらどんな反応するかな。にしてもクラウスは偉いね。ベッドはエルヴィちゃんに譲って、自分はソファーで寝るなんて」

「今すぐデータ消してください!」

「嫌よ。あとスマホ無理やり取り上げようとしたら、どうなるかわかっているよね?」

 まさに無理やり取り上げようとしていたクラウスは、うっと動きを止める。相手は女の先輩。乱暴を働いたら、社会的にも上下関係的にもとんでもないことになる。

「君もエルヴィちゃんも楽しそうにしていて、先輩はほっとしたよ」

「……先輩はエルヴィのこと、警戒しないんですか」

 ユージンの影響もあって、兵術学校の中でも、カルガトからのスパイを疑う声はちらほらと聞こえるのに。

「私、思い込みだけで根拠もないことは口にしない主義だから。ユージンたちの言っていること、状況証拠しかないでしょ」

「でも、疑惑は疑惑ですよ」

「それ、クラウス君にも同じことが言えるんだけどな。クラウス、ユージンたちにあれこれ言われて、大丈夫なの?」

 エルヴィに向けられた疑惑は、クラウスに向けられた疑惑と同じだ。何度も、クラウスはカルガトからのスパイを疑われた。

 でも今は……

「俺は、平気です」

「割り切るんだ?」

「疑われるだけなら、どうでもよくなりました。記憶は失ったけど、俺は街の他の奴と同じです。普通に学校に通って、普通に過ごしている。後ろめたいことなんてしていない。なら、気にする必要はないでしょう?」

 もちろん、今ここにいるのはアスランたち一家のおかげだ。街の子にいわれのない陰口を言われるたびに、アスランが励まし、ユーリスが慰め、レーアが陰口を言った子を叱り飛ばした。

あの一家に引き取られていなければ、疑惑に押しつぶされてどうなっていたか。

「クラウス君がそう言ってくれて、私ほっとした。まあ私もクラウス君のこと、疑ってないけど」

 ローゼマリーが、再びスマホを操作した。画面をクラウスに見せる。

「また俺の写真ですか。って、これ……」

 クラウスは、懐かしくなる。

 見せられた写真は、四年前の自分だった。頬は柔らかそうに丸っこく、瞳は大きくてつやがいい。困ったような、はにかんだ笑みを浮かべている。正確な歳は不明にしても、明らかな子供だった頃のもの。

「レーアちゃんが撮った、クラウス君の初めての笑顔の写真。四年前の君はふさぎ込んでばっかりだったから、あの子は笑わせようと精一杯だったってね。苦労したみたいだけど」

 だから、その四年前のクラウスがつい笑ったとき、レーアは大はしゃぎだった。やったー、兄さんが笑った、と大声を上げて、両手を上げて、跳びはねていた。どうしてここまで喜ぶのか、クラウス自身が困ったくらいに。

「四年前のクラウスみたいな子供がさ、敵国に潜り込んでスパイ活動? 笑わせないでよね」

 ローゼマリーは画面を消し、スマホをポケットにしまうと、クラウスの肩を軽く叩いた。

「だから引き続き、堂々としていなさい。エルヴィちゃんのためにも」

「はい。ところで先輩、どうして俺の子供の頃の写真まで持っているんです?」

 懐かしくはなったけれど、自分の子供の頃の写真を他人が持っているのは気持ち悪い。

「だから、レーアちゃんが送りつけてくるんだって」

「なぜ大事そうに保存しているんですか? この様子だと、まだたくさんありそうですね」

「うっ」

 ローゼマリーの白い頬が、少し赤みがかっている。

「先輩も変な趣味をお持ちのようだ」

「け、消したらレーアちゃんが怒るからに決まってるでしょ! 生意気言うな」

「本当にそんな理由ですか?」

「お、弟も、見たがったりしているし」

 クラウスの脳裏に、ローゼマリーと同じく赤毛の少年が浮かんだ。名前は、レオン・キャンベル。レーアと同じ学校に通っている。レーアを学校に迎えに行ったとき、やたらとクラウスに絡んできた男の子だ。

「レオンに見せびらかして何するつもりですか」

「私の弟、クラウス君の写真大好きなんだよ? 今回の写真たちも、見たらきっと大笑い」

「勝手に人の写真晒すな!」

 そのとき、エントランスのスピーカーからタルムの声が響いた。

『候補生は至急、講堂に集合せよ。繰り返す、候補生は至急、講堂へ』

 兵術学校の寮内の空気が、がらりと変わる。

「クラウス君、行くよ」

 ローゼマリーの瞳は、すでに軍人のそれに戻っていた。

「はい」

 クラウスはローゼマリーに続いて、講堂に向かうべく寮の建物を出る。

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