第10話 雪中幻影
年が明けて、一週間後。
ヴィラン連邦北部、丘陵地域。隣国であり、休戦中とはいえ敵国であるカルガトに隣接し、それがために防衛線が敷かれた地。国境の緩衝地帯は、ヴィランとカルガト、双方の歩兵や地上兵器の侵入に容易に気づけるよう、幅二キロメートルにわたって木々が切り倒され、平原になっていた。むろん雪の舞うこの時期、平原は雪原と化しており、吹雪で視界が悪い。
その雪原を、一人の二十歳の女が歩く。片手は、腰に差された剣の柄に置かれていた。冷たい吹雪にさらされて、くすんだ銀色、むしろ灰色といったほうが正確な髪がたなびく。
彼女の両横には狼が二頭、主に従って歩を進めていた。肩に載るのは一話の烏。女はふと足を止め、その烏の喉元に触れた。黒い羽毛を撫でる。
「すまないな、お前たちを死なせることになる。だが彼の命令だから……頼む」
女はつぶやいた。そして空に向かって手を振る。
それを合図に、烏は女の肩を蹴った。烏は吹雪の中に紛れ、姿をくらませる。
女は、再び足を前に進めた。狼たちが女に従い、足を進める。
もうすぐ、緩衝地帯を抜けるはずだ。
雪が降り、視界が白くかすんでいる中を、女は進み続ける。
そして目の前に現れたのは、ヴィラン連邦の前衛基地。大聖堂並みの高さを誇る監視塔がそびえている。
その、前衛基地の門が開いた。中から四人の兵士たちが飛び出してくる。それぞれが、機関銃を持っていた。
「そこの女、止まれ。不法侵入の疑いで拘束する」
兵士の一人が、拡声器で呼びかけてくる。女は、怒りで拳を握った。
「私は、急いでいる」
ヴィラン連邦へと消えた妹を探している。
「こんなところで余計な足止めを食らっている場合じゃない」
だが風の強い中で、前衛基地を飛び出してきた兵士たちには女の声が届かなかった。兵士たちは、慎重に近づいてくる。女一人であることに加えて、その両脇には狼が下僕のように付き従っている。怪しいものを感じているのだろう。互いに何か話しているようにも見える。
なかなか事態が進まないのに、女の苛立ちはさらに募った。
「行け」
両脇の狼に向かって、女は言う。
二頭の狼が、人の指ほどの長さのある牙を剥き出して駆けた。
兵士の一人が、慌てて機関銃を放つ。
だが、狼は姿を消していた。機関銃の弾は無意味に雪原の雪を散らす。
「消えた?」
「あの二頭はどこに行った! 狙いは正確だったはずだ」
「二時の方向にいるぞ」
「もう一頭は四時の方向だ」
兵士たちは、それぞれの方向に向けて機関銃を撃つ。だが分散した二頭は、再び姿を消した。
「また消えた」
「とにかく女を狙え。あいつ普通じゃない。放っておくな」
兵士の一人が、機関銃を女に向けた。女は自分を通そうとせず、逆に攻撃してくる兵士たちに落胆し、肩を落とした。
「待て、まだ狙うのは……」
上官らしい兵が止めようとしたが、すでに引き金が引かれていた。女に向けて、機関銃の弾が迫る。
だが、女も姿を消していた。機関銃の弾が、はるか後方に飛んでいく。
「あいつも消えたぞ。どこに行った! 探せ」
「ここだ。どこを見ている?」
女は、兵士たち四人の背後にいた。
四人が、一斉に振り返る。
「何……いつの間に?」
四人が動揺し、一人が声を漏らす。
そのとき、両脇の兵士に狼が襲いかかった。巨大な牙を剥き出して、兵士の喉元に咬みつく。
無言のまま、兵士二人が倒れた。
「アーサー! ベンジャミン! くそが」
狼からの攻撃を免れた一人が、仲間に咬みつく狼に機関銃を向ける。
女は、腰の剣を抜いた。振り上げる。
兵士の持っていた機関銃が、兵士の両腕の肘の先と一緒に宙を舞った。
「この獣に手を出させない」
女は言い、刀を振り下ろした。その兵士のがら空きになった左肩から右脇腹にかけてを裂く。
兵士は、そのまま倒れた。
残されたのは、さっき女に向けて部下が撃つのを止めようとした、上官らしき兵士一人。
女は、その兵士の顔を見た。
「この魔女が」
兵士が機関銃を構えようとしたとき、その腕と足に狼が咬みついた。兵士は叫び、機関銃を放り投げ、その場に倒れる。
「ここは、通してもらう。この先に妹が待っているから」
倒れた兵士を見下ろして、女は言い放つ。青い瞳は、兵士の怯えた目を捉えていた。
「だが通してもらうだけではない。私の故郷を焼いた罪、まずはお前から贖ってもらおうか」
「故郷を焼いた、罪だと……? わけがわからない。どういうことだ」
女は剣を振り上げた。
「なら問われる罪も知らずに死ね」
兵士が命乞いの言葉を吐く前に、女の剣はその胸を貫いていた。
雪原の向こう、カルガト側から、灰色の獣の狼が吹雪の中を駆けてくる。追加で現れた狼たちは女と倒れた兵士たちの脇を通り抜けて、次々と前衛基地の内部へとなだれ込んでいった。
狼の群れに押しかけられて、前衛基地は慌ただしくなった。警報がけたましく鳴り響き、その合間に、兵士の叫ぶ声が混じる。
発砲する音も聞こえた。基地に侵入した狼に向けて放たれたのだろうが、無駄だ。狼たちに銃弾は当たらない。
女も、息絶えた兵士の胸から剣を抜いた。狼の群れに続いて、前衛基地へと足を進めていく。
数十分後。
緩衝地帯の南方二十キロに位置する空軍基地。そこを取り囲む有刺鉄線付のフェンスの向こう、枝に雪を載せて白くなった木の枝に、四羽の烏がとまっていた。ただおとなしく基地の様子を見つめていたが、やがて四羽は羽ばたき、基地の上空へと向かっていく。
その基地の駐機場では、攻撃ヘリがローターを回転させていた。
『スノーフェアリー一号機より管制へ、エンジン始動を確認。異常なし』
『管制よりスノーフェアリー一号機へ、了解。スノーフェアリー隊全機の離陸準備が完了するまで待機せよ』
他の攻撃ヘリも次々と、エンジンを回転させていく。地上要員も退避を始めた。
先行隊として飛び立つ攻撃ヘリは、全部で五機。
『管制からスノーフェアリー隊、全機のエンジン始動を確認。スノーフェアリー一号機へ、クリアフォーイミディエイトテイクオフ。離陸後は上昇しながら方位005を維持。北に進路をとれ』
無線が飛ぶ。
『スノーフェアリー一号機、クリアフォーイミディエイトテイクオフ。離陸後方位005を維持』
攻撃ヘリ隊の先頭の一機が、エンジンの回転数を上げた。ゆっくりと地上から離れる。
空軍基地から急遽攻撃ヘリが飛ぶことになったのは、国境線沿いの前衛基地から救難無線をキャッチしたからだ。
何が起きているのか、空軍基地の者たちに知る手がかりはなかった。航空レーダーには前衛基地付近を飛行する不審な機影は映らず、砲撃探知レーダーはカルガトによる火砲の発射や、ヴィラン連邦の領土内に飛来する砲弾の類を探知しておらず、偵察部隊から進軍してくる敵性部隊の報告もない。前衛基地の方面には黒煙すら認められず、戦闘が行われている根拠はなかった。誤報かと推認する上級士官もいたほどだ。
だが、救難信号の後、前衛基地からの連絡が途絶えた。何度呼びかけても、応答がない。
ゆえにカルガトから何らか攻撃を受けている可能性がある。
『続けて二号機、三号機、クリアフォーイミディエイトテイクオフ』
『二号機、了解』
『三号機、クリアフォーイミディエイトテイクオフ』
一号機に続いて、二機も地上を離れていく。
『四号機と五号機は後方支援のためしばらく待機。スノーフェアリ―一号機から三号機へ、今後戦闘の可能性がある。敵襲への警戒を厳とせよ。全兵装の自由使用を許可する』
『スノーフェアリー一号機、全兵装の自由使用許可を……』
一号機のエンジン部分が爆発したのは、そのときだった。
爆発によって、四枚のローターが文字どおり四散する。そのローターの一枚が、後方の二号機のコックピットを貫いた。
エンジンを失った一号機と、パイロットを失った二号機は、落下に転じる。二機ともそのまま誘導路に叩きつけられた。
『スノーフェアリー三号機、離陸を継続! 四号機、五号機、クリアフォーイミディエイトテイクオフ。地上要員は一号機、二号機のパイロットの救出と消火に当たれ』
管制が指示を飛ばす。不測の事態で二機の戦力を失うのは痛手でしかないが、しかし、有事の最中、作戦を継続しないわけにはいかない。
『スノーフェアリー三号機、離陸を……』
三号機のエンジン部分が爆発し、無線が途切れた。火を噴く金属くずと化した機体は落下を始め、離陸のためエンジンの回転数を上げていた四号機の上に墜落した。二機が大破し、炎上。
残された五号機だけが、空中に飛び立った。
『五号機、全兵装の自由使用を許可! 基地周辺空域を警戒し、敵機を発見次第攻撃せよ』
『こちら五号機、レーダーに敵影なし。飛来してくる物体もなかった。どういうことだ! なぜ四機はやられた!』
五号機から悲痛な無線が響く。
そして、その五号機のエンジン部分が爆発した。同じく燃える金属くずと化した五号機は落下に転じ、誘導路に叩きつけられ、他の四機と同じく火柱を上げる。
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