第4話

 クラウスが発見した身元不明の少女は、そのまま兵術学校の医務室に運び込まれた。

 少女はとりあえず、命に別状はないらしい。体を温めてきちんと食事をとれば、すぐに回復する見込みだという。

 その少女のそばで、クラウスは聞取調査を受けていた。この部屋にいるのは、他にアレンやローゼマリーに、ユージン。少女に機関銃を向けたユージンだが、発見時の状況を知る者の一人として呼び出されたのである。

 クラウスは時々、そんなユージンに警戒の視線を向けるが。

「とりあえずは、手柄をあげたな、クラウス」

 声をかけてきたのは、タルム・リース。この兵術学校の教官である。

「偶然です」

「発見したときの状況をもう一度聞く。この少女は森の中に一人で倒れていた。それでいいのだな」

「はい」

「発見時から意識を失った状態か?」

「わずかな間だけ、目を覚ましました。逃げて、と言って、また意識を失いましたが」

「何からだ?」

「わかりません。ただ直後に不気味な狼と遭遇したので、その狼からかと」

「姿を消して別の場所に現れては襲ってきたという、お前が報告したあの狼か?」

「はい」

 あの、とアレンも口を開く。

「その一瞬で移動して襲ってきた狼なんですが、俺も見ました。何発撃っても当たらなかった。危うくクラウスがやられるところだった」

「にわかには信じられない話だが」

 タルムの言葉に、クラウスもアレンも黙り込む。立場が入れ替われば、同じようなことをクラウスも疑っていただろう。見間違えではないかと言っていたに違いない。

 例えば、実は群れで襲いかかってきていて、一頭が木の影に隠れ、別の個体が別の場所から現れて目くらましをした、という具合に。

「とにかく、問題なのは狼よりも、その少女自身だ。こちらも対処を決めるために、せめて身元くらいは明らかにしておきたいのだが」

 タルムが、ベッドで横になって寝ている少女を見つめる。

「それについては、私に意見が」

 ユージンが口を開いた。

「ただちに、身元を拘束するべきです。この少女は敵のスパイである可能性が高い」

 予想どおりだ。

「それについては、俺からも意見が」

 すかさずクラウスも言い返す。

「言ってみるといい」

「拘束までは反対です。まだ敵のスパイと決まったわけじゃない。そもそも、あの森にいたってだけでスパイと言い切るなんて強引だ」

これには、ユージンが反論をぶつけてきた。

「この少女については、外見が一致する遭難届は出ていません。近隣の聞き取りは進められているが、心当たりがある人は出てこないでしょう。なら、敵国であるカルガトから来たとみるべき」

「ただの可能性だ。まだわからない」

 クラウスが言い返したとき。

「あっ、その子、目覚めそう」

 ローゼマリーが言った。部屋に集まっている者たちの視線が、ベッドの少女に集まる。

 少女の瞼が震えていた。

瞼が開き、少女の青色の瞳が再びあらわになる。クラウスと目が合った。

「おはよう」

 クラウスはそっと、少女に声をかける。自分が知らない部屋にいることに、少女は戸惑っているのだろう。周囲を見渡している。

「ここはウルム兵術学校の医務室だ。雪の中で倒れていたのを運んできたんだ」

 クラウスは、なるべく穏やかに話す。この部屋の中に漂っている疑惑や敵意を、この少女が感じ取ってしまうことがないように。

「まだ名前を言っていなかったな。俺はウルム兵術学校候補生のクラウス・トンプソンだ。あんたの名前は?」

「私は、エルヴィ」

 雪原の朝の空気みたいに澄んだ声が、部屋に響く。寒さに意識を失い、機関銃の銃声でも目が覚めなかった彼女だが、意外と受け答えはしっかりとしていた。

「私、倒れていたの?」

「ああ、寒かっただろう。防寒着も着ていなかったし、荷物や食料もないみたいだったし、大変だったな」

 エルヴィはうつむくが、

「ありがとう、助けてくれて」

 感謝の言葉も口にした。

「無理してしゃべらなくていいけど」

「ううん、平気。話すだけだったら」

「じゃあどうして、あんなところに倒れていたんだ? 誰かとはぐれたのか?」

 クラウスの問いに、エルヴィの表情が凍りついた。

「……」

何も答えない。

「どこの街や村から来たんだ? 家族の名前は?」

「……」

「どこに向かおうとしていた?」

「……」

 まさか、とクラウスは思った。

「ひょっとして、覚えていないのか?」

 エルヴィは、うなずいた。

「ごめんなさい。そう、みたい」

 でも、エルヴィは森の中で、わずかな間、目を覚ました。クラウスの手を掴んできたし、あのときのことくらいは覚えているはず。

「森の中で、俺に逃げてと言ったよな。あれは、何からだ?」

「ひょっとしてだけど、私、前にあなたと会ったの? 今が初対面だと思うけど」

 ――今が、初対面?

 クラウスは、エルヴィの問いに答えることができなかった。

 確かに森の中で、エルヴィとは目を合わせた。言葉をかけてきて、クラウスのことを知っているような態度すら見せた。それなのに、忘れたのか?

 だがエルヴィに、詮索はできない。

「いや、何でもないんだ。気にしなくていい。すまないな。今は休まないといけないのに」

 クラウスは、笑みを浮かべる。

 クラウスも同じく、四年前、記憶がないつらさを味わったのだから。

 救助してくれた大人たちから、たくさんの質問を浴びた。家族や故郷の街や村。通っている学校の名前に、友達の名前。好きなスポーツ、本、食べ物……。大人たちに自分についていろんなことを聞かれ、クラウスはどれも答えられなかった。沈黙を続けば続けるほど、自分が得体の知れない何かである気がして、気味悪くなった。

 エルヴィにまで、同じつらい目に遭わせることはできない。

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