第3話
要救助者を発見し、兵術学校に引き返すことを無線で告げた後。
クラウスが少女を背負って、雪の上を移動していく。クラウスの邪魔になる装備品は、すべてアレンが持っていた。全長が人の腕よりも長い機関銃をもう一丁背負った状態で、機関銃を構え、さっきのあの狼が再び襲ってこないか警戒している。
「にしても、すんげー拾いものしたな」
アレンは軽口を叩く。
「そんな子を見つけてしまうなんて。なあ、きれいだと思わねーか、しゃべったらどんな声をなんだろうな」
――……逃げて……
さっきこの少女は、確かにしゃべった。でも離れていたし、小さい声だったから、アレンの耳に届かなかったのだ。
「アレン、警戒を頼むと言っただろう。ふざけている場合じゃない」
「わかってるよ。まったく重たいってのにひとづかいが荒い」
「何か言ったか」
こっちは要救助者を背負っているというのに。
「いや何も」
「無駄にしゃべっている暇があったら、まわりに目を光らせていろよ。あの狼がまた襲ってきたらどうするつもりだ」
「そうなったら、俺が身を挺してかばおう。こんな女の子のために死ねるなら男の本望ってな」
アレンは堂々とした笑みを浮かべ、両腰に手を当てて偉そうに胸を張る。
「……ったくアレンは」
「場を和ませようとしているんだぞ冷たくすんな」
「必要ない」
「カタブツが」
「仲間が来た。まずいな」
クラウスが前方を見つめる。
同級生のユージン・テイラー。
クラウスが、さっきの狼の次に警戒していた人物だ。
ユージンは、クラウスを見るやいなや、背負っている機関銃に手を添えた。クラウスの背中の少女に、敵意を向けている。
「何のつもりだ。ユージン。なぜ銃に触れる?」
クラウスは声を飛ばす。
「当然だろう。無線を聞いて驚いた。まさか四年前と同じことが起きるとは」
「やっぱりこの子も、あんたにとっては敵なのか? 四年前の俺のように」
クラウスは、目の前の少年に問う。
「ああ、そうだ」
四年前、血まみれの女の子の遺体のそばで呆然としていたクラウスを、連れの大人と一緒に発見した男の子。
それがユージンだ。
「クラウス、カルガトのスパイを連れ込んで、何のつもりだ?」
ユージンは、敵国の名を口にした。カルガト、ヴィランと北に国境を面する国だ。かつてこの国と交戦していた。戦線は南北に拡大し、両国に民間人を含めた多数の犠牲を出した末、十年前に休戦状態となっている。戦闘行為自体はなくなったが、いまだに両国のにらみ合いが続いていた。
「やはりこの子のことも、そう呼ぶのか」
クラウスは声を低くする。
「当然だろう。この
ユージンが、クラウスが陰で呼ばれている名を出した。
ウルム市近郊の森の中で発見されたクラウスは、自分の名前以外のすべての記憶を失っていた。出身地も誕生日も、住んでいる村や街も不明。あげくは家族がいるのかどうかすら、忘却の淵に沈んでいて、不明。もちろん、自分の母国も知らない。
今のクラウスはヴィランの国籍を持っているので、厳密な意味では無国籍者ではない。しかしそれは、ウルム市長であるアスランが特別な計らいをもって、半ば無理やり付与されたものだ。元々のクラウスは、無国籍者。四年前に十二歳の容姿で現れた、正体の知れない不気味な少年。
しかも、状況がまずかった。
ウルム市は、敵国であるカルガトとの国境に近い。
そして、街から北方の国境までにかけては軍事基地が点在するだけで、街や村はなく、従って民間人が住む場所はない。クラウスはそんな場所で発見された。敵国カルガトから流れ着いたと思われるのが自然で、子供とはいえ、スパイを疑う者がいてもおかしくない状況だ。
ユージンの言った
四年前にクラウスを敵と呼んだのと同じ理屈で、ユージンは要救助者の少女を敵とみなしていた。
「この子は衰弱していて、救助が必要なんだ。銃をいじってないでさっさと手を貸せ」
自分の命の恩人に対して、クラウスは怒る。自分が侮辱的に呼ばれたことではなく、ユージンが背中の少女の救助を遅らせていることに。
「敵かもしれない人間なのに、相当入れ込んでいるな」
「この子の正体はどうでもいい」
「敵国の人間、いやお前にとっての仲間を、そんなにこの国に引き入れたいか」
さりげなく敵扱いしてきたが、クラウスは気にせず再び歩き出した。
「手伝う気がないなら、黙っていろ。通せ」
ユージンは、しかし今度は、機関銃を構えた。銃口をあろうことか、クラウスの背の少女に向ける。
明らかな敵対行為。
「お前!」
クラウスは叫んでいた。
「正体が知れない人間を通すわけにはいかない。それとも、この場でお前を撃ってしまおうか。要救助者と偽って敵国の人間を引き入れようとしたお前を」
「ユージン、それはやめろ。まずいって」
アレンが、クラウスとユージンの間に割って入った。
「何をしているの」
雪の中で、さらにもう一人の女の声が響く。
反射的に、ユージンが機関銃を下げた。
木立の中で現れたのは、ローゼマリー・キャンベル。クラウスの一学年上の先輩である。雪まじりの風が吹いて、彼女の赤髪がたなびく。
「勝手に単独行動を始めて、許されるとでも思っているの? ユージン」
ローゼマリーが、ユージンを問い詰める。
「彼女は遭難者を装った、敵の可能性があります。このまま連れていくのはいかがなものかと」
ユージンの言葉に、ローゼマリーはクラウスの背中の少女に視線をやる。
「その子が、無線で言ってた要救助者?」
「はい」
クラウスは答える。
「敵の関係者かどうかはこの場で判断することじゃないわ。クラウス君、その子を引き続き兵術学校へ。ユージンは後で事情を聞かせてもらうから。機関銃も回収。何をするかわからない」
ユージンは不服そうだが、命令に従って機関銃をローゼマリーに手渡した。
クラウスは引き続き前に進む。
「大変だったね。大丈夫?」
ローゼマリーが、クラウスに声をかける。
「大丈夫です。これくらい」
「ごめんね。ユージンを止められなくて。彼、無線を聞いて勝手に行動して」
ユージンは反応して視線を寄越してくる。
「問題ないです」
クラウスは視線を感じながらも、前を見据えていた。
「病院に着いたら、その子の看病手伝ったりするから」
「敵かもしれないのに、ですか」
「言ったでしょう。それは大事じゃない」
「ありがとうございます」
「にしてもこの子、きれいな髪ね」
ローゼマリーの声が、急に明るくなった。手を伸ばして、少女の銀髪に触れる。
「雪景色にお似合いって感じかしら。触り心地も最高」
さっきまでユージンに向けていた威厳はどこへいったのやら。
「女同士とはいっても、勝手に触るのはどうかと」
「ごめんごめん、あんまりきれいだからつい」
クラウスに咎められて、ローゼマリーは手を引っ込めた。いたずらっぽく笑っている。
「ふざけている場合じゃないんですよ。とにかく急ぎます」
「クラウス君ったら、一生懸命だね。知らない子なのに」
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