第64話 いつもそこにある背中
王都に住む人々にとって、そして大陸中の人々にとって、決して忘れることのできない日。そう後に語り継がれるほど、衝撃に満ちた濃厚な一日はすでに峠を越えた。
多くの魔物達が押し寄せ、空から巨大な竜が隕石を降らして王都を破壊した。全てが倒されたと思ったのも束の間、本来の力を発揮した竜の王が流星さながらに魔法を乱れ打ちにし、人々を絶望に追い込んだ。
そして極めつきは、天まで届こうかというほどの巨大な黒き光の柱。最後の切り札だったのか、竜の王が使ったその魔法は、強烈過ぎる見た目とは裏腹に大きな効果を発揮しなかった。
本来は玉のような形で相手に放ち爆発を引き起こすはずだったそれは、最後の最後で失敗した。光の柱は戦いが終わった合図と言ってもよく、目前で自らの魔法を浴びた竜王は当然のように消えた。
色とりどりの建造物と自然に溢れていたはずの地が瓦礫だらけとなり、竜の王がいた周辺はまるで砂漠のようだった。その虚無だらけの世界で、必死に走り続ける者がいる。
彼女は金髪を揺らしながら、誰かを探して声を上げる。近くにいた老齢の男や、年上の女性からの静止も振り切り、ただ一人の男を探している。
「ジーク……ジーク!」
彼女は何度も何度も叫んだ。ボロボロに朽ち果てた残骸だらけの世界をたった一人で。
「ねえお願い! ジーク……ジ……」
聖女フィアはその細い脚で地面を蹴り続け、竜の王がいた辺りにようやく辿り着いた。そして、ここしばらくずっと見慣れた背中をようやく目にする。
でも、フィアには何か信じられなかった。その背中は、まるで普段と変わりがなかったからだ。あの強大と呼ぶことさえ馬鹿らしくなるほどの魔法を浴びておきながら、普段村で会う時と全く同じ後ろ姿をしている。
そんなはずはない。
ということは、彼は聖女が思い描いた幻なのではないか。
会いたくて堪らなかったはずの背中が、不意に悲しい予感へと変わる。フィアはもう数歩というところまできて、その背中に飛びつくことができないでいた。
幻かもしれないそれは、こちらに気がついてゆっくりと振り返る。
「あ、フィア! 良かった! 無事だったのか」
「え」
彼は至って普通の顔で、彼女の側へと歩み寄った。拍子抜けするほどあっさりと側までくると、安堵のため息を漏らしながら彼女の両手を握った。
「良かった! 俺たち、生き延びたんだな……本当に、良かった」
「ジーク……あたしも、あたしも! ジークが今度こそ死んじゃったかと思って、それで……」
最後まで言葉を紡ぐ前に、彼女はジークに抱きついていた。この時、フィアは普段纏っていた聖女としての自分を完全に破り捨て、まるで子供のように泣きじゃくった。
それを受け止めている男もまた、同じように泣き声を上げる。信じられない戦いを乗り越えた二人は、自分達が生きている喜びに耐えきれず、人知れず五年前の二人に戻っていたのだ。
あの時は不安でいっぱいだった二人は、今は訪れた平和に喜びでいっぱいになっている。遠くから歩いてきたアンジェは、そんな二人を遠目から見て微笑んでいた。
◇
災厄としか思えない悪夢から、三日が経った時のこと。
崩壊しかけていた王都ラグはぎりぎりのところで破滅を免れた。ラグ城の謁見の間はいくらか風通しが良くなっているが、王にとっては特に悪い気はしない。
そこに集められたのは、今回の討伐で大きな功績を残した二十数名ほどの冒険者や騎士達だった。三列で並ぶ彼らはひざまづき、王と先頭にいる少女に視線を送っている。
「聖女フィア。そしてこの度、竜の王討伐を成した勇者達よ。前へ」
「はい」
フィアは静かに立ち上がり、王の元へと静かに歩みを進めた。
「此度のお主の功績、誠に見事であった。竜の王を討伐した聖女など、歴史上二人と現れまい」
「は、はい」
彼女はどこか気まずそうにしていたが、どうにか返事をする。
あれから竜の王がどうなったのか、誰が倒したのか、国を上げて事実確認を行った末、聖女フィアが竜王を討伐したという結論に落ち着いていた。
しかし、彼女は自分の幼馴染である村人ジークが討伐したと力説した。だが、あの混沌とした戦場において、彼の活躍をはっきりと見ていたものは、フィアとアンジェ以外に実は誰もいなかった。
今回のことでアンジェは特に言及しなかったため、ジークのことを証明しようとしていたのはフィアだけになってしまう。
だから信じてもらうこともなく、最後まで抵抗を続けていた聖女の力により竜の王は倒れたという話になってしまう。フィアにしてみれば納得がいかず、何度も抗議はしたが信じてもらえず、最終的にはアンジェになだめられてしぶしぶ引き下がるしかなかった。
しかも、アンジェはむしろこれでいい……好都合だと意味深なことを話しており、なにか嫌な予感まで漂う始末。だからこの場にはジークはおらず、外で彼女を待っていたのだった。
また、今回の表彰では、参加できなかった者も何名かいる。聖騎士ハクは名誉の戦死を遂げ、魔術師アイナは心身の疲労が回復しきれず、大事をとって休ませていた。全員で褒美を受け取れなかったことが、聖女にとってもう一つ無念なことだった。
フィアが褒美の品をもらうと、順番に一人ずつ国王の元へと歩み寄り、宝石や栄誉の表彰、驚くほどの大金を受け取っては元の位置に戻っていった。最後にまたフィアが先頭になった時、少し後ろで待機していたギデオットは短く嘆息した。
この場で行われるのは表彰だけではないことを、彼は知っていたからだ。国王はついさっきまでの微笑をしまい、厳格な顔つきに戻る。
「さて、お主達の活躍には誠に感謝が絶えない。この後はよりいっそうの労いといきたいところではあるが、一つ確認したい。今からここに来る男についてだ」
その一言が合図となり、フィア達の背後にある扉が開かれ、数人の兵士達がやってきた。彼らは一人の男を魔力をかけた鎖で拘束し、決して逃げられないようにしている。男は国王とフィア達の前に突き出され、膝まずかされた。
「ディラン様!」
思わずフィアが叫ぶ。竜王と戦っていた時、彼はボロ雑巾のようになっていた。今はその時より多少マシになった程度で、端正な髪も服も汚いままだった。
「剣聖ディラン。我らの希望となり、今後大陸の平和を守ってくれるはずの男だった。しかしながら、今回の戦いでこやつはいくつもの裏切り行為を犯した。相違ないか」
やつれた剣聖は力なく笑い、王とフィアを交互に見つめた。そして悠長に、自らの潔白を証明しようと言葉を尽くそうとする。
ギデオットはただ睨みつけ、フィアは呆然としたまま彼の言葉に聞き入っていた。
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