第25話 ディランの必殺剣
叫び声だけで大地が震え、戦っていた者達は恐怖に身を強ばらせた。
次の瞬間、ゾウよりもずっと大きな体が飛び上がり、前衛で固められた地点を超えて着地する。地鳴りとともに落下したそこはギデオットの側であり、他支援や攻撃魔法を行なっていたメンバーも近い場所だった。
しまったと、ギデオットの背筋に冷たいものが走る。後方支援から潰していったほうが早いと考えたのか、魔物は大口を開けて飛び込んできた。
目前に迫り来る牙。簡単に人間を丸呑みできる口が、今ここにいる混合部隊のリーダーを食い殺そうと迫る。
「く!」
ギデオットは自らの得意とする防壁魔法を使おうとしたが、間に合いそうにない。しかしギリギリのところで聖騎士ハクが割って入った。二メートル近い彼と同等の大楯が、獰猛な牙を間一髪で防ぐことに成功した。
その後、すぐにギデオットが透明な壁を作り出す魔法【ウォールバリア】を使ったことで、魔物は追撃できず後ずさることになった。
ここで前衛にいた面々が追いつき、戦いは混沌を極めていく。支援班はすぐに散開し、先ほどまでと同じ戦いが繰り返されるように思えた。だがここで剣聖が動きをみせる。
「アイナ。奴を縛ってくれ」
「オッケー」
軽い返事と共に、小柄な魔法使いは詠唱を開始。妖艶な赤色の魔法陣が足元に現れたと同時に、周囲一体が不穏な朱に染まっていった。
「ヘルチェーン」
声とともに赤い無数の光が魔物を取り囲み、あっという間に鎖型へと変化。瞬きする暇もない速度で全身を拘束した。冒険者や兵士達は、その早業に驚きの声を漏らしつつ追撃を狙った。
「みんな離れていてくれ。今カタをつける」
剣聖が攻勢に出る。剣を頭上に掲げ意識を集中していた。
詠唱はすでに済ませており、絶好のチャンスを掴んでいる。数多の光が頭上から降り注ぎ、一振りの剣に注がれていった。剣聖ディランの必殺剣、発動すれば敵を必ず死に至らしめてきた技を、ここで放とうとしている。
巨大な魔物は苛立たしげに体をゆするが、アイナの拘束魔法を外すまでには至っていない。ディランは自らの剣に充分な力が溜まったことを確認すると、助走をつけて高く跳躍した。
「秘剣、神魔連斬」
戦いの最中に手を止めるべきではない場面だったが、冒険者を含め兵士までもが石のように固まり、剣聖の技に目を奪われてしまった。虹のように光る剣線が、目にも止まらぬ速さで幾重にも魔物を切り刻み、そのまま空高く上昇。
巨大な魔物さえ見上げる高さへと跳躍した時、ディランは矢の如き速さで最後の一撃を見舞う。美しく垂直に魔物を切りつけたまま灰色の地面へと着地した。
この後どうなるのか、魔物に背後を向ける形になってもディランは知っていた。その体は真っ二つに分離され、静寂の後に倒れ伏すのだと。
だが、先ほど発したものと遜色ない咆哮が、再度背後より響き渡った。
「……なんだと?」
想像とは別の展開に事は進み、初めてディランは微かに動揺した。咄嗟に振り向いた先にあったのは、目を血走らせながら拘束魔法を引きちぎる魔物の姿。剣聖の鮮やかな剣技は、魔物を倒すには至らなかったのだ。
その体からは無数の傷が生まれ、血が湧き出ている。黄色い鱗がいくらか剥がれ落ち、中から藻のような色の新たな皮膚が顔を出していた。
全員が攻撃の手を緩めていたことが仇になった。魔物は大きく息を吸い、全方位に炎を吐き出して敵を怯ませる。直後、突然地面に潜りだし、あっという間に逃げ去ってしまったのである。
誰もが信じられない面持ちだった。魔物が逃げたことではなく、一度もしくじったことのない剣聖の必殺技が、初めて失敗したという事実に。
◇
「奴を逃しただと!? ええい! 一体何をしておるか!」
ラグ城の二階、幹部室のソファに腰掛けていた防衛幹部は、顔を真っ赤にしながらテーブルを強く叩いた。対面に座るギデオットは、ただただ頭を下げる。
「申し訳ございません。しかしながらあのクロコダイルのような奴は、そこらにいる魔物とは格が違います」
幹部は無言で話の続きを促した。
「あやつには多くの冒険者が扱う武器、魔法の類がほとんど効いておりませんでした。まったくの無傷ではありませんが、表面的に傷つける程度です。強度が他の魔物達とは雲泥の差です」
「頑丈なだけというなら、攻め続ければなんとかなろう」
「いえ……実は、かの剣聖ディランの必殺剣ですら、奴を仕留めるには至りませんでした」
この一言に幹部は絶句した。冒険者として活動開始から一年、ディランがあの剣を用いて倒せなかった存在などいないはずだ。ダイヤの如き固さを誇る魔物も、ゼリーのように捉えどころのない魔物も、ことごとくが屈してきた最強の技。それが通じなかったとなると前代未聞だ。
ディラン達一向は冒険者としてはまだ駆け出しであり、彼ら以上とされる使い手もいる。だが、剣聖の必殺剣は歴史上でも特別な意味を持っていた。かつて、遥か大昔に魔王を倒したとされる必殺剣。剣聖がまだ若輩とはいえ、倒せなかったという事実は大きい。
「さらに奴は退散する間際……奇妙な変化がありました。全身を包んでいた黄色い体の中から、やや緑がかった体が這い出てきたのです。まるで脱皮のように」
「まさかとは思うが、今後さらに進化する可能性があるということか」
「はい。既に残された抜け殻については、ここ王都へと運搬している最中です。解剖をすれば、いくらか対策は練られましょう」
「対策できねば困るのだ。とにかく、今回は貴様の失態だぞギデオット。挽回のチャンスはまだある。頼むぞ」
「はい。必ずや期待にお応えします。それでは」
最後の声はやや掠れていたが、ギデオットはどうにか礼をして部屋を出る。扉を閉めてからため息を漏らすと、見覚えのある面々がいることに気づいた。
「やあ、随分とお疲れのようだね」
涼しい顔で話しかけるディランを見て、彼は苛立ちを隠せなかった。聖騎士ハクと魔術師アイナも彼の側にいる。
「何か用でもあるのか?」
「いや、特に用事ということもないのだが。今後の動向を注視していく必要があったのでね」
「ふん。今もっとも勢いがある冒険者ともあろう奴が、慎重なものよな」
「君達で奴を追い続けるのかな。それとも、方針の変更がある?」
「何も変わらんさ。俺が指揮を取り、奴を全力で探し出して討伐する。しかし、戦力の増強は行う必要がある」
「そうか……君が中心になるならきっと大丈夫だね。安心したよ」
ギデオットは話は終わりとばかりに、ディラン達の側を通りぬけた。だが、しばらく進んだところで靴音が止まる。背中越しに、彼は結果的に自身の邪魔でしかなかった若造に囁いた。
「お前の初めての失敗だな。剣聖よ」
「失敗? 何のことかな」
熟練の冒険者はもう足を止める事はなかった。規則的に鳴らされる靴音を聞きながら、ただ剣聖は無言で微笑んでいる。その笑顔が少しばかり引き攣っていたことに、気づいた者は誰もいない。
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