第22話 しばしの日常

 ビルヘルム堂の朝は、相変わらず早い。

 次々にガイドを求める冒険者たちがカウンターにやってきて、オヤジがあらかじめ用意してある紹介状に、店名と肉球印の判子を押して渡す。いつもの光景だ。

 この紹介状に書かれている店にいくと、一泊して準備を整えるように話しがあり、翌日の早朝に迷宮に向かって出発出来るという感じだ。

「オヤジがガイド側の幕を上げないところをみると、今日は休暇だな。まあ、俺もまだダメだし、動けるのはアリスくらいだからな」

 俺は朝メシの猫缶を早々に食って、ゆっくりデリバリーの朝メシセットを食っている皆に目を配ってから、お気に入りになっているテントの角に横になった。

 体が怠いのは疲労もあるが、呪術を使った事にもよる。

 呪術返しによるダメージと、そのあとに続く術の残滓のようなものが、ベッタリ張り付いてくる。

 単発でもこうなるのに、あれだけ連続して使えば、下手をすると数週間は動けなくなる。

「シュナイザーさん、大丈夫ですか?」

 毛布を片手にやってきたラグが、それをそっと床に敷いてくれた。

「うむ、ありがとう。では、さっそく使うぞ」

 俺はその上に乗り、再び丸くなった。

「では、なにかありましたら、遠慮なく呼んで下さいね」

 ラグが笑顔で、テント内の掃除をはじめた。

 特になにもなく朝の喧噪が収まると、オヤジが金庫を開いて売り上げの計算をはじめた。

「うん、今日は休みか。まあ、たまにはいいな」

 メシを食い終わったアリスが、ポツリと漏らして微かに笑みを浮かべた。

「ああ、お前は迷宮に行き過ぎだ。今日くらいは、大人しくしていろ」

 カウンターのオヤジが笑った。

「そうだな。今日は自分のテントで、ゆっくりマッピング情報を整理しよう」

 アリスが笑い、ここのテントからトンネル状になっている通路を這って通り、自分のテントに入れるというようになっている。

 ミントやウレリック、カイルも同じ気持ちだったらしく、メシの片付けを終えるとそのまま各々のテントに向かっていった。

「さて、寝るか。やる事といえば、十分に休養する事だからな」

 俺は呟き、そっと目を閉じた。

 しばらくウトウトしていると、テントの幕にある出入り口のジッパーが開く音が聞こえた。

「おう、猫。今日はお休みか?」

 出入り口を元通り閉めたパーレットが、猫缶の山を抱えて入ってきた。

「ああ、休みだ。しばらく動けん。それにしても、その荷物はなんだ?」

「これは、お見舞いと感謝の印だよ。それにしても、酷い傷だね」

 パーレットがラグに猫缶の山を預け、俺の側にくると床に座り込んで小さく息を吐いた。

「なに、傷自体は大した事はない。呪術返しの影響があって、ちょっと疲れた感じだ」

 俺は笑みを浮かべた。

「そっか…。ごめんね、私ばかりか弟子たちまで面倒みてもらって」

 パーレットが、いつになくしんみりした声を出した。

「なんだ、気にするな。全く、これを病院でやったら、いくらかかったか分からないぞ」

 俺は冗談めかして笑った。

「分かってるけど、感謝だな」

 パーレットが苦笑した。

「今後の反省は、魔力感応式の罠には気を付ける事だ。迷宮病はいかんともしがたいが、最大限の予防策はやっておいたぞ」

 俺は笑った。

「そっか、そっちも感謝だね。いや、気になってきたら、予想に反して元気そうで良かったよ」

 パーレットが笑った。

「うむ、気にしなくていい。それより、仕事はどうした。今日は休みか?」

 俺は気になってパーレットに問いかけた。

「うん、三日間休む事にしたよ。猫ほどじゃないけど、疲れているしね」

 パーレットが笑みを浮かべた。

「そうだな。解呪直後はどっと疲労がくる。休むのは正解だ。弟子二人にも伝えておいてくれ」

 俺が笑みを浮かべると、パーレットが頷いた。

「とりあえず、私と同じく三日間休みにした。それでも、うちの店はなんとか回るしね」

 パーレットが笑った。

「うむ、無理してガイドをさせたら、危険しかないからな。さて、少し話そうか」

 こうして俺は、パーレットとどうでもいい話しを続けた。

 恐らく、今回の件で一番気にしているのは彼女。安心したかったのだろう。


 昼メシの時刻になると、皆が個人用のテントから出てきて輪になって座り、出前のメシを食った。

 これまた俺のメシは猫缶なのであっという間に終わり、毛繕いをしてから再び毛布の上に戻った。

「うーん、今日はシュナイザーさんの調子が良くないですね」

 メシを食ったミントが俺の側にやってきた。

「なに、ただの過労だ。休んでいれば大丈夫だから問題ない」

 俺は笑った。

「そうですか。お邪魔してはいけないので、私はあちらに行ってきます」

 ミントが笑みを浮かべ、輪になったまま雑談している皆の元にいった。

「やれやれ、呪術など使うものではないな。出来れば避けたいものだ」

 俺は苦笑した。


 ビルヘルム堂のテント内で休むこと半日。

 多少は楽になった俺は、ミントたちが先の迷宮探査の情報を元に、詳細なマップを起こしている姿をみて感心した。

 その作業の監督をしているパーレットが満足そうにニコニコして、必要な時にアドバイスをしていた。

 その傍らで、先ほど役場に登録したばかりで正式に一人前になった、サーシャとバイオレットがガイドの免許証をみて、お互い笑顔で笑っていた。

「おう、猫。お前の弟子はなかなか見どころがある。これは、私も負けられないぞ!」

 パーレットが笑った。

「お前が認めるなら問題ないだろう。一応いっておくが、ミントとカイル、ウレリックは三人で一組のガイドだ。例はあったはずだ」

 俺は笑みを浮かべた。

「うん、何年か前にあったね。確か、グループ登録すれば良かったんだっけ」

 パーレットが腕を組んで考え込んだ。

「そうだ。グループ登録すれば問題ない。まあ、当分先だがな」

 俺は笑った。

「素質は悪くはないけど、経験がってやつだね。こればかりは、実際に迷宮にいって鍛えるしかないか」

 パーレットが笑った。

「そういう事だ。三層まで行けるようにならないと、どうにもならん。もう少しかかるな」

 俺は笑みを浮かべた。


 よほど心配だったのか、パーレットは夜になっても帰らなかった。

 まあ、特にやることもなく、暇なので問題はないが、晩メシを過ぎた頃になって、パーレットたちの店を切り盛りしているオジさんがやってきた。

「おう、三人とも無事か。かみさんがうるさいから戻ってこい」

 オジさんは困ったような顔をしていた。

「あっ、そうだね。一緒に戻る。サーシャとバイオレットも帰るよ」

 パーレットは笑みを浮かべ、サーシャとバイオレットと一緒にテントから出ていった。

「うん、このまま寝ていくのかと思ったぞ。私は大丈夫だから、ガイドの仕事に出てもいいのだが…」

 ミントたちとトランプ遊びをしていたアリスが、小さく笑った。

「それはそうなんだが、まだ疲れが抜けないだろう。一度迷宮に潜って帰還したら、二日間休みを取る。これは、うちのルールなんだ」

 カウンターのオヤジが笑った。

「そうか、分かった。では、個人的にいくのはいいのだな?」

 アリスが小さく笑った。

「あー、それにダメだ。途中でなにかあったら困る。そういうペースの店なんだ。退屈かもしれんが我慢してくれ」

 オヤジが笑った。

「なるほど、分かった。では、今日は遅くまで起きていて平気だな」

 アリスは再びトランプ遊びを始めた。

「全く、あまり夜更かしするなよ。さて、俺はじっとして休んでいるか」

 俺は苦笑して、毛布の上で目を閉じた。


 ふと目を覚ましたところ、ラグ以外の皆は自分のテントに引っ込み、オヤジが店じまいしてカウンター側の幕を下ろし、鍵をかけていた。

「うむ、かなり寝てしまったようだな。しかし、怠さが抜けん。これでは、まだ迷宮は危ないな」

 客観的に考える事。これは大事だ。

「お前は呪術の使いすぎだ。まあ、それだけの事があったのだろう。細かくは聞かんがな」

 オヤジが苦笑した。

「まあ、そうだな。よく出来たと、今になって思っている」

 俺は笑った。

「あのな…。まあ、呪術も魔法もよく分からんが、無理はするな」

 オヤジが苦笑した。

「時には少し無茶もする。まあ、こんな事はそうそうないから安心しろ」

 俺は笑みを浮かべた。

「ならいいがな。さて、店も閉めたし遅めの晩メシといこう。店名と同時に料理も美味くなってな、お隣さんのメシは冷めても美味いんだ」

 オヤジがメシを食いながら笑った。

「そうか、いきなり変わったらしいから、何事かと思ったぞ」

 俺は笑った。

「そうだな、これはいい。お前が食えないのは残念だ」

 オヤジは笑い、手早くメシを済ませた。

「はい、ゴミを片付けますね」

 ラグがメシが入っていた使い捨ての容器を片付け、しばしノンビリした空気が漂った。

「それにしても、無事にお帰りになってよかったです。その傷はあまりに凄いので、何事かと思いました」

 ラグが小さく笑った。

「まあ、お陰でな。手すきだったら、オヤジの布団を敷いてくれ」

 俺は笑った。

「はい、分かりました。よっと…」

 ラグが布団を敷き始め、程なくオヤジの就寝準備が整った。

「これで完了です。他になにかありますか?」

 ラグが俺の近くに寄ってきた。

「いや、特にない。仕事は慣れたか?」

 俺は笑みを浮かべた。

「少し慣れましたが、まだまだです。色々教えて下さいね」

 ラグが笑みを浮かべた。

「そうか、分かった。困ったら聞いてくれ」

 俺は小さく笑った。

「はい、お願いします。今日は何事もなく平和ですね」

 ラグが小さく笑みを浮かべた。

「まあ、そうそうトラブル続きでは、やっていられない。こういうのもいいものだ」

「そうですね。では、私も寝る支度をはじめます。ここで寝てしまいますね」

 ラグが適当に布団を敷き、さっそく潜り込んだ。

「おっ、早いな。俺も寝るか」

 オヤジがカウンターの片付けを終え、ラグが敷いた布団に潜り込んだ。

「寝るなら俺も休むぞ。一応、結界を張っておくか」

 俺は呪文を唱え、ビルヘルム堂の周りを結界で囲った。

「これでいい。さて、俺も寝るか」

 俺は独りごちて、そっと目を閉じた。


 正確な時間は分からないが、テントを叩く激しい雨音で目を覚ました。

 どんな精巧な時計でもかなわないほど、立派な体内時計を持っているオヤジが起き出し、カウンターの準備をしている事から考えて、かなりの早朝だということは分かった。

「おっ、起きたか。今日もまたガイドは休みだ。暇だろうが、この大雨では外出は控えた方がいい。傷に障るとまずいからな」

 オヤジが笑みを浮かべた。

「この傷は止血も終わっているし痛みもない、体は特になにも問題ないぞ。まあ、大事をとって、今日の早朝日課はやめておくがな」

 俺は笑った。 

「そうした方がいい。これほどの大雨は久々だな」

 悪天候ではあったが、カウンターにはポツリポツリと冒険者たちが現れ、オヤジが色分けされた紙を選んで紹介状を書いて渡していた。

 雨など気にしない。まさに、これこそベテランの冒険者だが、今日は迷宮に行く事はオススメしない。

 宿代わりにもなる店で、一晩越してから進む方がいい。

 これは、集中力の問題だ。雨で濡れた体では、どうしても気持ち悪い。

「村の入り口で話しを聞いた。なんでも、ガイドを雇うならここで紹介してもらう必要があると。これからガイドを頼んで、出発は可能だろうか?」

 カウンターにやってきた、見るからに歴戦の勇士という鎧姿の冒険者がやってきた。

「はい、ここで紹介状を書いています。失礼ですが、パーティメンバーは四人ですか?」

 オヤジが予想行きの声で、冒険者に答えた。

「そうだ。前衛の剣士は二人で、攻撃と回復を担当する魔法使いが一人、高度な回復ができる回復士が一人だ」

 カウンターから見える人影は、確かに四人だった。

「分かりました。出発が可能かどうかは、各店の判断です。経験豊富とみましたので、この店を紹介します」

 オヤジが青い紙と取りだし、サインと肉球印を押した。

「うむ、なんだか可愛いスタンプだな。よし、さっそくいってみよう。世話になった」

 冒険者たちはオヤジに料金を払い、紹介状と一緒に渡した地図を広げ、冒険者たちはカウンターから離れていった。

「あれ凄いぞ。鎧がオリハルコンだ。いくらしたのやら」

 俺は笑った。

「うん、装備だけの見かけではないな。手合わせをお願いしたい」

 こっそり覗いていたらしいアリスが、ポツリと漏らした。

「やめておけ。お前では勝てん」

 俺は笑った。

「…」

 アリスが無言で俺の首根っこを掴み、思い切り放り投げた。

「なにをする。事実をいったまでだ」

 床に着地した俺は、小さく笑った。

「…むかついた。でも、そうかもしれないな」

 アリスが腰に差している剣を鞘から抜き、その刀身をみた」

「ちょうどいい。手入れはしているのだが、この剣もそろそろ限界だな。買ってくる」

 アリスは剣を鞘に収め出入り口を開いて外から閉じ、大雨のなかどこかにいってしまった。

「まさか、本当に決闘などしないだろうな。やりそうで怖いぞ」

 俺は苦笑した。

 雨足は収まるどころか酷くなる一方で、オヤジが暇そうにカウンターに座っているだけだった。

「そうだ、ミント一味はこの時間のこういう天候で、ここにきた客をどうあしらう?」

 時間があるので、俺はトランプ遊びをしていたミントに問いかけた。

「えっ、それは…」

 ミントが言葉に詰まってしまった。

「そりゃ、攻撃魔法でぶっ飛ばすじゃろうな」

 ウレリックが笑った。

「それだけはやめておけ。色々と問題が起きる」

 俺は小さく息を吐いた。

「素直に事情を話して、納得してもらうしかないよ。その方が、信用してもらえるし」

 カイルがまともな意見を上げ、小さく笑みを浮かべた。

「それが正解だ。結局、紹介した店が納得しないなら行かせないし、うちもそうだ。血気盛んな冒険者連中を納得させるのは難しいが、そういうのはオヤジが得意だ。俺たちが対応する事は滅多にない」

 俺は笑った。


 ミントの時計で一時間ほど経って、アリスがびしょびしょで帰ってきた。

「お帰りなさい。タオルです」

 ラグがタオルをアリスに渡し、それで頭をガシガシ拭きながら、見慣れない鞘に入った剣を見せた。

「吊るしだが、なかなかいい剣だ。思いのほか安かったしな」

 俺はその剣を見て、いいようのない恐怖心が走って全身の毛が逆立った。

「待て、その剣を床におけ。皆は下がっていろ」

 俺の言葉にキョトンとしたアリスだったが、素直に剣を床に置き、皆とテントの壁まで下がった。

 俺はその剣を中心にして呪印を描き、呪文を唱えた。

 剣から光がこぼれ、真っ黒な霧のようなものが吹き出した。

「やはりな。これは、呪われた剣だ。呪力は大した事はないが、持ち主を混乱をさせるという効果だな。こいつの解呪は大した事はない。持っていても役には立たないので、やってみよう」

 俺が呪いを解いた瞬間、その剣は粉々に砕け散った。

「あっ、なんて事だ…」

 アリスがガックリと首をうなだれた。

「騙されたな。どこで買った?」

 呪術返しでピリッと痛みを感じたが、それは無視してアリスに聞いた。

「ヤラン武器防具店だ。いつものホルテ武器防具店が定休日だったからな」

 落ち込んだ様子で、アリスが嘆息した。

「あそこはダメだ。こういう手合いを平気で売りつける。まあ、授業料を払ったようなものだな。元の剣はあるのか?」

 この村にはいくつかの武器防具店があって、その中で一番評価が低いのはヤラン武器防具店だ。

 口コミは大荒れ。こんな店にまともな剣など置いているわけがない。

「いや、元の剣は下取りに出してしまった。早く、新しい剣を探さないといかん」

 ここで、またアリスが嘆息した。

「では、また走るか?」

 俺は小さく笑った。

「いや、懲りた。今日はやめておく」

 アリスが三度目の嘆息をした。

「全く、なぜ相談しないで飛び出したのだ。手持ちに剣はある。少し待て」

 俺は空間ポケットを開き。なんとか剣の一部を引き出した。

「俺の力ではこれが限界だ。あとは、鞘ごと引き抜いてくれ」

 俺が声をかけると、アリスは顔を上げて、その剣を俺の空間ポケットから引き抜いた。

「な、なんだ。刀身が赤く光っているぞ」

 珍しくアリスが声を裏返した。

「人はドラゴンスレイヤーと呼ぶ。ドラゴンすら倒すという、希少価値の高い魔法剣だ。迷宮で遊んでいたら見つけたものだが、お仲間割引でタダでいいぞ。どうせ、俺には使えん」

 俺は笑った。

「うん、これは凄い。最初から、相談した方が良かったな」

 アリスが笑顔になった。

「やれやれ、思い立ったら突っ走る子供ではないのだぞ。これで、剣はいいだろう」

 俺は笑みを浮かべた。


 夕刻になり、雨も上がった。

 朝よりも混雑する店替え要望が溢れる中、オヤジは手早く処理してあっという間に作業を終えてしまった。

「これはかなわないな。俺も少しは慣れてはいるのだが、さすがオヤジだ」

 俺は笑みを浮かべた。

「当たり前だ。シュナイザーに負けるわけがない。さて、あとは夜を待って店じまいするだけだ。明日はガイドも開ける。今動けるのはアリスとシュナイザーだな。ミントたちには悪いが、まだ仕事で迷宮には行かせられないんだ。さらに慣れて仮免許が出せるようになったら、シュナイザー同伴で仕事に参加させるられるぞ」

 オヤジが笑みを浮かべた。

「はい、分かりました。みんなもいいですね?」

 ミントがウレリックとカイルに問いかけた。

「まあ、そうじゃろうな。ワシが客だったら、なにしやがると思ってしまう」

 ウレリックが笑った。

「それじゃ、剣の素振りでもやっているさ。鍛錬しないと」

 カイルが笑った。

「はい、そんなわけで、私たちは同意です。お仕事、気を付けて下さいね」

 こうして段取りが終わり、俺は笑みを浮かべたのだった。 

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