第9話 迷宮に戻ろう

 この急作りの迷宮村では、アリスの名は知れ渡った存在だった。

 歓迎会の翌朝。俺は日課の運動を終え、開いたばかりのビルヘルム堂で、ラグがプルトップを開けてくれた猫缶黒印を一気に食って、ほかのメンツが起きるのを待った。

「おっ、早いな」

 その有名なアリスが起き出して、俺の隣に座った。

「オヤジ、朝メシの手配は大丈夫か。人数が増えた事を忘れるなよ」

 俺は笑った。

「ああ、もちろんだ。今日は抜かりない」

 オヤジが笑った。

「全く、本当だろうな…おっ、確かに大丈夫だ」

 料理が入った箱を荷車に乗せて、青いドラゴン亭のオッチャンが運んできてくれた。

「なんだ、聞いたぜ。ここにアリスが転職したってよ。あっ、本人がいやがった。まあ、ここはほぼ毎日、朝食セットを頼んでくれる上得意様だ。お前もその餌食だぞ」

 オッチャンは笑って料理をテントの床に置き、オヤジから代金を受けとり、そのまま戻っていった。

「青いドラゴン亭だな。一回は泣くほど美味いと聞く、朝食セットを食ってみたかったんだ」

 アリスが笑った。

「お前のところは、提携しているメシ屋が昇竜亭だからな。あそこは普通に美味いな。平均的に美味い」

 俺は笑った。

 もちろん普段は猫缶だが、時々少量を口にして人間の味を確認しているのだ。

「よし、ラグ。全員を起こしてくれ。朝メシの時間だ」

「はい、分かりました。まずは女性陣から起こします」

 ラグが笑みを浮かべ、カーテンの向こうから全員を起こす声が聞こえた。

「うむ、もう朝か」

 その声が聞こえたのか、ウレリックが布団から出て、まだお休み中のカイルを蹴飛ばして起こした。

「いてて…。あのな、一々蹴るな。揺さぶれば起きる!」

 カイルが身を起こしてアクビをした。

「よくいうわい。杖で思い切りぶん殴って、ようやく目を覚ますほど寝起きが悪いくせにな」

 ウレリックが笑った。

「それは、パーティを組んですぐくらいだろ。今はちゃんと起きる!」

 カイルが笑った。

「うむ、仲良しなのはいいのだが、早く寝間着から普段着に着替えろ。開店出来ない上に、朝メシが冷めてしまう」

 俺は笑った。


 全員で朝メシを食って、オヤジがカウンターの隣にあるガイド用の布を開けると、ビルヘルム堂の開店となった。

 早朝出立組の列が迷宮に向かっていき、それを懐かしそうに見つめているラグに、俺は笑みを浮かべた。

「なんだ、迷宮に行きたいのか?」

 俺は冗談で聞いた。

「いえ、そうではなく、なぜみんな高いお金を払ってまで、迷宮に行きたくなるのか分からなくて…」

 ラグが苦笑して。

「それはまあ、そこに迷宮があるからとしかいいようがないな。ある意味、冒険者はそういう病気にかかっている。中には、この冒険者病をこじらせてしまっているのもいるらしいが、そこまでは分からん。」

 俺は笑った。

「私たちは、まさにその病気にかかっています。疑問に思ったら、この目で確かめないと気が済まないのです。ここでガイドを志望したのは、この迷宮が面白そうだというのがきっかけです。この国を回っているうちに色々と耳に入り、それならば行ってみようと思ったもので。もちろん、ここで仕事はすると決めたのは生半可な覚悟ではないですよ」

 ミントが笑みを浮かべた。

「うん、三人ともいい目をしている。シュナイザー、ちゃんと仕込めよ」

 アリスが笑った。

「俺よりアリスじゃないかって一瞬思ったが、さすがにそれはないなって思った。まあ、三人に不満がなければ、今からでも遅くないぞ」

 俺は笑った。

「はい、そうくると思っていました。しかし、私たちはシュナイザーさんの後を続くと決めていますよ」

 ミントが笑みを浮かべた。

「やれやれ、やはりこっちのガイドは俺か。いっておくが、俺は客を蹴飛ばしたり引っ掻いたりするぞ。これは、真似するな」

 俺は笑った。

「ところで、今日は迷宮にいけそうか?」

「はい、私は大丈夫です」

 ミントが笑みを浮かべた。

「俺も平気だぞ」

 カイルが笑った。

「そうじゃな。なんだか、この暮らしに慣れてきたな」

 ウレリックが笑みを浮かべた。

「よし、今日の目標は一層最奥部だ。早く出ないと、夜中になってしまうぞ。オヤジ、準備ができたら三人を連れて迷宮に行ってくる」

「おう、分かった。アリスも連れていって、ミントたちの腕をみてくれ。基本的なことは教えたが、客がいる場合にどうするかは、教えられなかった。つまり、シュナイザーとアリスは客役だ。分かっていると思うが、出かかっている芽を摘むような事はすな」

 オヤジが笑った。


 迷宮に入るには少し時間が遅くなり、もうほとんど人の姿がなくなった迷宮入り口にくると、先頭をいくミントが足を止めた。

「すいません、少し待って下さい」

 ミント、カイル、ウレリックが出入り口のチェックをはじめた。

「よく教わっているな。ただ、正確な人数は分からないが、毎日ここを通る冒険者たちは多い。罠を気にするなら、今のように空いている時にな。そうしないと、踏み潰されかねん」

 俺は笑った。

「はい、分かりました。二人とも、もういいですよ」

 ミントが笑みを浮かべ、作業中だった俺たちに声をかけた。

 ちなみに、三人は訓練中を示す黄色の腕章をつけ、俺とアリスは赤い腕章と黄色の腕章を付け、三人を指導している教官だという表示をしていた。

「よし、先に進もう。本番はこれからだ」

 俺は笑った。


 迷宮に入って間もなく、通路は行き止まりになった。

「あれ?」

 ミントがポカンとした。

「さっそく矢印が示した方向の逆に行ったな。しかし、悪い事ではない。問題はいかにも間違えましたという様子だ。これが当たり前だくらいで、メモ帳でもなんでもいいから、晩メシのメニューでも考えながら、メモを書いたフリをしろ。絶対に客の前では狼狽したり、間違えたという素振りは見せるなよ。客との信用問題だ」

 アリスが笑みを浮かべた。

「はい、この癖がなかなか直らなくて」

 ミントが苦笑した。

「まあ、慣れるまではそうだろうな。まあ、それが当たり前になるまで、しばらく修行だな」

 俺は笑みを浮かべた。

「まあ、こういう時はジジイの出番じゃな。もし、ミントがやらかしたら、ワシが客の機嫌を取る事にしよう。カイルはミントの面倒をみろ。テンパるとなにをするか分かったものではないからな」

 ウレリックが笑った。

「まあ、それで納得する連中ばかりだから、基本的には問題ない。なかには口うるさいヤツもくる時がある。そういう時は、俺かアリスが単独で行く。慣れればなんという事はないのだが、取り扱いを間違えると、刃傷沙汰になるケースがある。サーシャとバイオレットのように、何年もかけて育てる余裕はビルヘルム堂にはない。アリスと協力して、なるべく早く正式な仕事という感じで、客を任せられるようにするようにやる。だからという事ではないが、そんなに酷い事はしないさ」

 俺は笑った。

「まあ、なんでもいいから、先に進むぞ。こんな暗がりで、長話している事はないだろう」

 アリスが笑った。


 再び出入り口前を通過し、本格的な迷宮踏破をはじめた。

「お前たちが好きな隊形を取ってくれ。俺たちはこれが一般的だという冒険者のフリをする。まず、一層の最奥部が目標だ」

 俺は笑み浮かべた。

「はい、分かりました。行きましょう」

 ミントが笑みを浮かべ、ウレリックが魔法で作った光量を抑えた明かりが照らす中、俺たちはゆっくり進んでいった。

 暗闇の中であまり明かりを使うと、まぶしさにやられて視界が効かなくなるので、罠や魔物の集団を見逃す危険がある。

 この辺りは、オヤジの教えがきちんと行き届いていると感じた。

 適当に進んだところで、ミントが立ち止まった。

「みなさん、これから先は魔物の出現地帯です。武器を確認してください」

 ミントがこちらを振り向いて、右手にはサブマシンガンを持っていた。

「うむ、私はなにを使えばいいか。おおよそ大抵の武器は使えるが、剣は苦手で特に銃が得意だ」

 アリスは笑みを浮かべた。

「俺は魔法しかない。猫パンチしたところで意味がないと思う。魔法専門で呪術も使えるが、俺はあまり前線には向いていないかもしれん」

 俺は小さく笑った。

「では、こうしましょう。私とアリスさんが銃で前衛配置。ウレリックとシュナイザーさんは中段はウレリック、後方はカイルでいきましょう。特に中段となるウレリックとシュナイザーさんは、前方も後方も見なければならないという忙しい場所ですが、いかがですか?」

 ミントが笑みを浮かべた。

「ああ、問題ない。ちなみに、アリスは少し攻撃魔法が使えて、最小限の回復魔法しか使えん。魔法が必要なら、俺かウレリックに頼め。実践でもこういうパターンが多いと思う。ガイドは一歩下がった場所にいるべきだが、戦力が必要なら指示をして客も使え。それが、生き残るコツだ」

 俺は笑った。

「そうだな。しっかりしたベテランパーティだったら、ガイドはどうしても隙になる後方の監視くらいしかすることがない。戦闘が終われば、客のコンディションを確認してから再び前列に立って歩く。その繰り返しだが、結成して間もないような不安定なパーティだったら、ガイドはもうパーティの一員だ。共に死線を抜けたりしたら、もはやガイドと客といった枠を超えて、変な友情が出来たりするものだ」

 アリスは笑った。

「そうですか。早く独り立ちしたいです」

 ミントが笑い、カイルとウレリックが笑みを浮かべた。

「うむ、今のところ減点はないぞ。この調子でサクサク進もう」

 俺とアリスが同時に笑った。


 今日は魔物の休日なのか、途中で一回キラーバットの群れと戦った程度で、夜組がよくテントを張っている広場までやってきた。

「ここがいいですね。広場のどこかで休憩しましょう」

 ミントが笑みを浮かべ、俺たちは広場の端に陣取って小休止をとった。

「シュナイザーさん、アリスさん。私たちはここまででどうですか?」

 やはり気になるのか、ミントが問いかけてきた。

「俺からは特に指摘事項はない。このまま続けてくれ」

 俺は笑みを浮かべた。

「私もない。強いていうなら、ミント。もうちょっと射撃の腕を上げてくれ。練習不足だな」

 アリスも笑った。

「は、はい。それなりに自信があったのですが…」

 ミントが決まり悪そうに、頭を掻いた。

「俺はよく分からんが、アリスの銃好きは半端ではないぞ。今度、どこかで手ほどきを受けるといい。もう、仲間同士だからな。遠慮しないでいいぞ」

 俺は笑った。

「うん、いつでも歓迎だ。地上に戻ったら、さっそくやろう」

 アリスが笑みを浮かべた。

「分かりました。ありがとうございます」

 ミントが笑みを浮かべた。

「さてと、疲れが取れたら先に進もう。この先の通路はややこしい。迷うなよ」

 俺は笑った。


 小休止を済ませた俺たちは、隊形を変えずにそのまま迷宮の奥に向かって進んでいった。

しばらく進むとミントが足を止めて、サブマシンガンを構えた。

「みなさん、魔物です」

 ミントが警告の言葉を放った時には、すでに戦闘配置についていた。

「この足音は…。気をつけろ、この階層ではまず見かけない巨人族だ」

 俺は呪文を唱え、防御結界を張った。

「なんですか、巨人族とは?」

 ミントが短く問いかけてきた。

「三層でよく見かける巨大な人間型の魔物だ。この前のマンイーターといい、どうも何かが起こっている気がする。まあ、今回はこの一層最奥部に行くのが目標だ。それより、迫ってきている巨人を倒す方が先だ。全員、ちょっと目を閉じろ」

 俺は叫びながら巨大な明かりの光球を作り、間髪入れずそれを床の上に転がした。

 少し前方で激しい光が飛び散り、床に轟くような悲鳴が聞こえ、重たいものが倒れる音が聞こえた。

 ずっと闇の中にいた魔物。それに強力な明かりを直撃させるとどうなるか…。

 いきなり目をやられて、大パニックに陥っただろう。

「よし、ワシがやろう」

 そこにすかさずウレリックが、氷の雨を降らせて凍結させた。

「この程度か…」

「甘いぞ。これで倒せるほど、コイツは甘くない」

 ウレリックの油断を引き締め、氷の塊をまき散らしながら起き上がった敵が、結界壁を激しくぶん殴った。

 それほど激しい衝撃ではなかったが、結界の一部にヒビが入る程の破壊力を持つ、巨人族の一撃。生身で受けたらどうなるか。想像はしたくない。

「久々に魔物らしい魔物だな。コイツには銃を含めて、物理的な攻撃がほとんど効かない。しかし、魔法ならよく効く。ウレリックの出番だぞ。前衛二人は注意を逸らしてくれ」

 こういった指示は本来は客の仕事だが、コイツを相手にそんな余裕はない。

「やれやれ、ちと厄介な魔物のようだな。どれ、やってみよう」

 ウレリックが呪文を唱え、次の攻撃をするべく大きく右腕をふりあげ、そこにウレリックが放った攻撃魔法が直撃した。

 敵がふりあげた右腕がズバッと切れ落ち、敵は大きな悲鳴を上げた。

「なかなかやるな。あとはウレリックに任せよう。ガイド中にこんなものが出たら、よほど腕に自信がある冒険者でもない限り、まずガイドに助けを求めるだろう。そうなったらという訓練だ。大丈夫だな?」

「無論じゃ。どこかその辺の若武者には負けん。どれ、とどめを刺すか」

 ウレリックは呪文を唱え、暴れだした巨人を攻撃魔法でさいの目切りにした。

「これなら大丈夫か?」

 確認するように、ウレリックが問いかけてきた。

「うむ、見事。だが、確認は前衛のアリスかミントだな。一番敵に近い」

 俺は笑みを浮かべた。


 種類の確認を忘れてしまったが、巨人族の一体を倒し、俺たちは再びミントを先頭に歩きはじめた。

「ミント、時間は大丈夫か?」

アリスが問いかけると、ミントは慌てた様子で腕時計をみた。

「うわ、もう夕方だ…」

 ポソッと呟くと、ミントが頭を抱えた。

「俺も腹が減ってきた。という事は、確かに夕方近いな。さて、ここで引き返すか、階段までいって引き返すか…階段はすぐそこだな。これは、お前たちに任せる。どっちも正解だからな」

「そうですね。安全性を考えて、ここで引き返しましょう。装備は空間ポケットに入っている物を含めて、一泊が限界です。無理せず、ここから地上を目指しましょう」

 ミントが笑みを浮かべた。

「俺は黙っているからな。アリスもここが初めてくる、新人冒険者のフリをしてなにもいうな。試験というわけではない。慣れて欲しいだけだ」

 俺は笑った。

「分かりました。では、まずはあの広場を目指しましょう。少し大変ですが、早足できた道を引き返すだけです。そこまでに、夜間の魔物が凶暴化する前には、まだ間に合います。そこで一泊する予定です。よろしいですか?」

 アリスが笑みを浮かべた。

「うむ、それでいいぞ。無理をする必要はない」

 俺は笑った。


 きた道を引き返し、すでに多くのテントが並んでいる広場に着いた時には、もう迷宮内がなんともいえない薄気味悪いものになっていた。

「迷宮内の空気か。なかなか懐かしいものだな」

 ミントたちと協力して、急いでテントを組み立てながら、アリスが呟いた。

「ああ、俺たちにとっては、当たり前の夜の空気だな。もう、どこかで魔物が吠えはじめた」

 俺は笑った。

「あの、四人用テントしかないので、どうしようかと。そのうちもう一つテントを買う予定なのですが…」

 ミントが困ったような顔をした。

「おいおい、俺もアリスもベテランガイドだぞ。自分のテントくらい持っている。もっとも、俺はどこでも寝られるし、誰かが組み立ててくれないといけないから、滅多に使わないがな」

 俺は笑った。

「分かりました、シュナイザーさんのテントを用意します」

 ミントが元気に声を上げ、俺は空間ポケットからテントを取りだした。

「部品の欠損はないが、古いタイプなので面倒くさいぞ。大丈夫か?」

「はい、問題ありません。昔から、こういうのは得意なんです」

 ミントが笑みを浮かべ、俺のテントがあっという間に完成した。

「うむ、パーフェクト。もう、独り立ちも近いぞ」

 俺は笑った。

「えっ、本当ですか?」

「ああ、俺は迷宮に関しては嘘はいわん。もっとも、一層まで限定だがな。今度は、装備を調えて二層までいくか。そろそろ、一層も飽きてきただろう」

 俺は笑った。

「はい、よろしくお願いします」

 ミントが笑みを浮かべた。

「よし、まずは防御用の結界を張る。あとはミントたちに任せるが、なにか食えよ。昼メシを飛ばしてしまったから、落ち着くと急に腹が減るはずだ。あとは、俺の猫缶を開けてくれればいい」

 俺は笑みを浮かべたのだった。

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