女神の塔(十七)

「おーい。そっち終わったー?」


 ラミカの間延びした声に振り向く。やや疲労したように見えるのはおそらくエリューゼとの激闘のためではなく、自分の足で体重を支えて階段を上ってきたからだろう。


「なんとかね。エリューゼのこと、ありがとう」


「いいってことよー」


 無事の再会を喜ぶのもそこそこに、後事を簡単に打ち合わせて大階段を駆け下りる。

 ややあってその姿を見つけた。手摺てすりに背を預け、魂が抜けたように座り込む小さな魔術師。




「エリューゼ!」


「……なにさ」


「遅くなってごめん、私と一緒に行こう!」


 戸惑うばかりのエリューゼの手を取ろうとした時、すぐ下の階から怒号と足音が迫ってきた。上層の異変を悟った信者達が上ってきたのだろう。

 彼らに捕まれば私やラミカはもちろん、エリューゼもどうなるかわからない。彼らがあがめていたミオさんも、運命を捻じ曲げるほどの幸運をもたらす『女神の涙』も失われてしまったのだから。


 だがエリューゼは、全てを諦めたように首を振るだけだった。


「……アタシはいいや。早く行きなよ、あいつら信じられないほど愚かバカだから、何するかわかんないよ」


「そんな事させない!」


「ちょっと!何してんのさアンタ!」


 有無を言わせずエリューゼを抱えて大階段を駆け上がる。足も胸も抗議の悲鳴を上げている、刺傷も切創も打撲痕も、もうどこがどう痛いのかもわからない。ともかく私よりも小さな魔術師を抱えたまま階段を上りきり、迷わず塔の端を蹴った。ともにすっかり黒雲が消え去った水色の空へ。




 奇妙な浮遊感、続いて柔らかな感触。


 私達が落ちたのははるか下の地面ではなく、白い羽毛の上だった。ドラゴンのごとく雄大な翼を広げる巨大な白鳥の背中。だがその上で、エリューゼは目に涙をためて抗議の声を上げた。


「どうしてアタシなんて助けるのさ!アタシなんかもう……」


 それに続く言葉は、かつてカチュアが発しようとしたものと同じだったと思う。だからまた私はそれを奪い取った。




「寂しい思いをさせてごめん。声を掛けてあげられなくてごめん。勝手に助けたつもりになっててごめん。後悔してる、だから今度こそやり直そう。私と一緒に」


「悪いのはアタシでしょ!アンタに逆らって、勝手にひねくれて、魔術を悪用して。なのにどうして謝るのさ!」


「エリューゼが本当は優しい子だって、私は知ってるから。本当は素直になりたいんだって、私はわかってるから」


 力なく項垂うなだれる小さな魔術師。頬を膨らませ、おまけに顔をそむけて、でもその手は私の右手を掴んで離さなかった。


「……今度は離さないでよね」


 風に掻き消されそうな小さなつぶやき、だがはっきりと聞こえた。




「へー、素直じゃん。最初からそうすれば良かったのに」


 余計なことを言ったのは私ではない。少し、いやかなり太り気味の大白鳥。


「アンタかよ!このデブ!」


「いてててて!むしれるむしれる!」


「うっさい!むしれろ!」


 白鳥の背中の羽毛をつかんで思い切り引っ張るエリューゼ。丸々と太った大白鳥は大きく羽ばたき、『女神の塔』を後にした。




 雷雲が去った水色の空に白く輝くその姿は神々しく、後に人々は運命の女神アネシュカがその姿を変えたものだとささやき合ったという。

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